交戦
「あらら、随分と物騒な物を持っているわね。君たち、あどけなさが残っているけど、人を殺したことはないでしょうね」
ヒトミが目の前で銃を構えた二人組の男に言い放つ。二人共、一見して一般人としか見えないはずが、両手で抱えている物体がただごとではない雰囲気を醸し出している。
「サバイバルゲームをしているわけでもなさそうですね。こんな町中では迷惑でしかありません」
「私たちも混ぜてよ。せっかく楽しいこと続きだもの、つまらないことに時間を使いたくないのよねえ」
「まったく、状況わかってるんですか」
ユズリハが呆れたように言った。ヒトミといると、場の緊張感が薄れていく。ただそれは、ユズリハだけの話で、銃を持った男たちは銃口を真っ直ぐ向けてくるのだった。片方の男が言った。
「うごくな! 都市はいま厳戒態勢が敷かれているはずだ。なぜ外に出ている!」
「両手を上げて、跪け! じゃないと、分かってるな!!」
銃口が確実にこちらに向いている。その引き金を絞れば、ヒトミたちは一生分の怪我を負うか、人生の脱落を余儀なくされるだろう。しかし二人は全く動じなかった。それどころか、一歩ずつ近づいていくのだった。
「ヒトミさん、素人相手の方が逆に危険です。下がっていてください」
「いいの。私みたいな子に迫られて悪くしない男はあまりいないもの」
実際、ヒトミは表情や仕草を作り出していた。何もしていなくても、妖しい佇まいをし、そこらの男の情欲を揺さぶる体つきをしている。男性の奥底で求める獣らしさを引き出し、なおかつ彼女の意図的に作り出したものが合わさると、たとえ銃を持っている危険な男であろうと一瞬で鼻の下を伸ばすことになった。だが男たちは意思の力で頑なな態度を貫いた。
「く、来るな。いいか、本当に撃つからな!」
「いいえ、あなた達は撃てないわ。だって君たちはどこにでもいるただの一般人。不幸な事に、積み重なった不満や欺瞞が、誰かの煽り立てた思想に飲み込まれてしまったのね」
諭すようなヒトミの言葉に、若い男たちの反応は顕著だった。図星に近いところを宛てていたようだ。ようするに、この若者二人はもともと銃を持つことのない一般市民であり、世や自分の世界に何かしらの不満を持つ一般市民でもあった。どちらのバランスが崩れれば、社会秩序を乱す不穏分子担ってしまう可能性がある。おそらく今回の事態を引き起こした何者かは、そういった彼らの心理を見事に付き、味方に引き入れたに違いない。
だとするなら、なぜこの都市に侵入しなければならないのだろうか。ここは宗蓮寺グループが作り上げた、5つの実験都市の一つに過ぎない。特にこの富良野はすでに役目を終え、地方都市の一つという印象しか残っていない。とにかく情報が欲しい。ユズリハも一歩ずつ近づき、片方の男に詰め寄った。ついでに胸のうちから黒い革張りの手帳を取り出し、中身を見せた。
「警察です。武装を解除させてもらいます」
ユズリハは2つの銃口をそれぞれ掴み上げ、軽く跳躍した矢先に二人の男の首元へ腕を巻きつけた。すっかり隙だらけの二人は一瞬抵抗してみせたが、腰が浮いた状態でなにかできるわけがなく、そのまま床に落ちた。うめき声を上げる二人に、ユズリハは冷たく言い放つ。
「凶器準備集合罪、銃刀法違反で現行犯逮捕です。話は近くの署まで──」
二人の手を背中で合わせ、二つの手錠をそれぞれの手首に付けた。警察としての役目を果たし、生存を脅かした緊張感が失せていく。ヒトミは「あらあら」と前置きして言った。
「ユズリハちゃん東京の警察官でしょ。北海道警察の設備使わせてもらえるの?」
「ドラマの見過ぎではないですか。手柄をあちらに引き渡せば、事情は聞き出せるでしょう。それに大半の警察は私の命に逆らえませんから」
「粋のいい子犬さんね。飼い主にだけ従順なのは、そのときから?」
「……貴女には従った覚えはありませんよ」
「ごめんごめん、他意はないのよ。たかが100万と貴女が貰ってきた年収と比べたら、おカミさんに従うのは当然だもの。別に悔しくなんて無いもん」
どうしてか拗ねてしまった。わがままで気ままな彼女に、この三ヶ月の間ミソラたちもさぞ振り回されたことだろう。心底同情する。
「さて、私はこのまま二人の身柄を署まで連れていきます。幸い、乗り捨てられた車もあります。ヒトミさん、少しばかり手伝ってください」
「ええー、手伝う義理なんて無いんだけど」
「市民の務めというやつです」
「私、ニッポン人じゃないもん」
「……いや、アナタ”大空家”の子だとか言われてませんでしたっけ」
三ヶ月前の”旅するアイドル”のドキュメンタリー番組でそんな情報が出てきたはずだ。”大空家”と言われて、一般人はぱっとこないと思うが、その家は日本の由緒正しい名家の一つで、大手工業メーカーの出資や政界争い名を連ねている者だ。旧態依然としたやり方に業界内から賛否はあるものの、絶対的な物量はたしかであり、かの家の協力を取り付ければ怖いものなど何もないとも言れている。現在の警察官の装備は、”大空家”が出資している工業メーカーが作られているのは暗黙の了解だ。
「あのねえ、そんな嘘をまんまと信じちゃうの? ちょっと調べりゃわかるでしょ、警察なんだから」
その時初めて、ヒトミから”嫌悪”という感情が表に出ていたような気がした。それ以上は話をしないほうがいいと判断し、ユズリハは二人の被疑者を掴み上げ、無理やり歩かせた。近くの車を調べていくうちに、
「……一応、言っておきます。大空家の登録に、ヒトミさんの名前はありませんでした」
「ふーん、調べたんだ」
「もちろん」
「どれぐらいしてから?」
「はい?」
質問の意図が理解できず問い返すと、ヒトミは頬を膨らませた。
「だーかーら、私のことを調べたんでしょ。そっちに戻って、どのタイミングで調べたのよ」
意図が因数分解されたような、そうでないような問いかけだった。ようは警察戻ってヒトミのことを調べた日時を言っているのだろう。それならすぐに答えることができた。
「仙台の実家に戻ってすぐですよ。報告書をまとめるついでにですけど」
数秒の間があって、ヒトミの膨らんだ頬をしぼんだ。
「そう。ならいい、不問にする」
「はあ」
どうやら納得してくれたようだ。なぜだがごきげんな様子を見せ、被疑者の片方を連れて行こうとした。
長い尋問を受けているような気分だ。大空ヒトミとは、よく因縁がある。そもそも彼女は”旅するアイドル”の一味なのだから、職務上の関係で関わることは必然だ。ただし、仲間意識など毛頭なく、いずれは国家に仇なすものとして捕まえる。そこに関係性なんて無意味だし、同情も欠片もない。ただ、大空ヒトミは”旅するアイドル”のなかで、ユズリハの立場を見破っている唯一の人間だった。サヌールのときから、なぜだが暴いていた。そのことを、今でもメンバーの誰にも話していないのだろうと確信している。これは信頼か、果たして油断させられているのか、未だに判別はつかない。
物事を冷静に対応し、客観的に捉え、そして悪を摘み取るために手段を選ぶな。
公安警察は普通の警察とは違う。国家という正義のためには手段を選ばない。もし選んでいたら、本当に大切なものを見失う。見失ってしまったからこそ、警察官のなかでも忌避される存在に身を投じたのだと思う。公安警察以外の道はなかった。
つまらない感傷に浸っていたようだ。いまは二人を署に届け、本来の任務へ戻るべきだ。いくら外と連絡が取れないからといって、状況に流されてはいけない。この二人を捉えてから、次は”旅するアイドル”が標的なのだから。
二人を連れてあるきだしてしばらくして、ビルの路地から二人組の男が出てきた。身を張り詰めたのは、その二人組みが銃を持っていたからであった。もちろん、すぐに身を隠して躱すことはできた。──だがその二人が持っていた武器は常軌を逸していた。
肩に筒のようなものを持ち、その筒の先端部分に意識が引き込まれた。ありえない、あるべきではない、と全身が訴えかけている。
夏休みの自由研究でありそうな抜けた音が放たれた。ユズリハは迫ってくる飛翔物を眺めることしかできなかった。突然の状況に反応できたのはただ一人だった。
「ユズリハちゃん!」
誰かが抱きしめてきた。体が宙に浮き、視界が真っ赤に染まった。
体と意識が遠ざかっていく。落ちたと思ったら、また浮き上がり、何かと一緒に吹き飛ばされていく。
四つあったものが二つになったことは分かった。あの若者は業火に包まれ、一瞬のうちに無残な姿になっていたことは想像できた。それ以上は何も考えられない。──考えたくなかった。
片耳に装着したインカムから聞こえてくるのは、命を散らした戦士たちの名前だった。タクマ、コウキ、ヨシユキ、リキジュ、リオン、ケンシロウ、カズ、シュウガ、ツトム、タイセイ、ミクリ、トシオ──そしてつい先程、レイとルイの死亡が確認された。
死因は様々だ。大半は『栄誉ある死』──つまり我らを悟らせないため、自らの存在ごと闇の葬るというものだった。しかし不可解なのが、『栄誉ある死』が存外少なかったことだった。作戦に死は付きものとはいえ、半分以上は遺体を残したまま警察の手に渡ってしまったらしい。それが意味するものは唯一つ。
「あのテロリストを抑えられなかった……」
若い男は吐き捨てた。憎しみが込み上がってきてしまう。作戦概要には、命をかけてでも殺すべき対象がいた。金棒を持たせないように作戦を立てたはずなのに、相手は生粋の鬼であった。人間として扱ってしまったのが、対象の殺害失敗をもたらした要因だろうとみた。
「殺害対象は潜伏。もしかしたら、俺たちを狙ってる可能性もあるそうだ」
「だが、武器の奪取は終わったんだろ? もう一つのブツも手に入れた。俺たちは例のルートで逃げるぞ」
「ああ。せっかく手に入れた武器だったが、まあいつか使える日が来るだろ」
「来たるべき聖戦ってやつだな」
「はは、厨二臭えが心躍っちまうな」
男たちは笑い、武器を肩にかけまま、ロングコートを羽織った。冬だからこそこの格好が隠れ蓑になる。あとは自分たちだけが許されるルートで拠点に戻ればいい。目的はすでに達成させられた。第一目標物は”国家の犬”が持っていたようだ。聖戦の準備も抜かり無い。
「俺たちが、変えるんだよな。この腐った世の中を」
「たりめえだ。立場や境遇はどうでもいい。どうせ腐りかけの連中だったんだ。弱者を見捨てたこの国は、また新たな弱者を生み出そうとしてるからには、俺達みたいな半端者が変えてやるって思わねえと」
そのための力は胸にある。抗うための力であり、自分たちのような弱者が支配の軛を解き放つのだ。負けやしない。たとえ日本政府や世界を震撼させたテログループが相手でも、自分たちは生きるために戦っているのだと知らしめてやるのだ。自分たちの心が熱いうちに──諦めた連中には抗うだけの力はないのだから、これからの若者のために、いま立ち上がらなければならない。
男たちの勇ましい足取り、耳元から届くルート追跡。警察や自治体と一切出くわすことなく、仲間たちは実験都市内を自由に歩いていた。ただし絶対ではないので、警察と交戦することもしばしばあったらしい。だが男たちはそれでも構わないと思っていた。たとえ一般人が表に出たとしても、やることは決まっているのだ。
指定のルートを進むうちに、男たちはその一般人と出くわした。女性二人で、自分たちより若い。女子高生にも見え、彼女たちに出会った不幸に悲しみが募った。
「あ、ユキナさん。ようやく人と会えた!」
「うん、うん……あの、助けてくださいっ。さっき、銃を持った男に襲われたんです!」
助けてくださいと寄ってくる二人の少女。正直にいって、ものすごくタイプな女性たちだった。こんな状況や己ではなければ、色欲の目を向けていたことだろう。だが欲望は大義の前では封じ込まれる。──それは自分の本心とは無関係に、頭の中に刷り込まれていたものだということは、男たちは気付いていなかった。
耳元から脳に呼びかけてくる声がある。あまりにも蠱惑的で甘美な味わいが耳を溶かしてきた。脳は快楽物質であるドーパミンを放出し、甘美な刺激や快楽を常に求めようとする。男たちが味わっているのは、ドーパミンを求めんがためにある命令交換を行わされていた。
──銃を持っていない連中と出くわしたら殺せと。
男たちの目がとろけていく。それと合わせて、予めプログラムされた行動──すなわち銃の安全装置を外し、発射できるところまで動かした。
「ひっ!?」
「う、うそ──」
女たちが旋律の眼差しでこちらを見ている。ああ、やっぱり殺したくない。そんな抵抗は無意味だった。
「殺せ」 「滅ぼせ」 「それが正解」
淫靡な声が響く。今にでも少女達を殺せば、最高の快楽を得られる。
ヤれ、やれ、破れ、殺れ、演れ。
もはや制御は不可能だ。これはいま、自分の意志で行っている。声の快楽を得たい。きっと素晴らしいものだろう。刷り込まれていた精神が、このときのためのものだと叫んでいるのだ。
引き金に指を番えた。ほんの少し締めるだけで、彼女たちの肉体は破裂する。きっと彼女たちを殺したところで、何も感じはしないのだろう。インカムから届く声がすべてを肯定してくれるのだから。
息を潜んだその瞬間、男たちは自分の体が吹き飛ぶような感覚に陥るのだった。
全身が背後へ吹き飛んだのは、銃の反動に耐えられなかったからだった。そう考えるしか無い。インカムからの声が途絶えたのは、目的を達成したからだろう。
「Iya、おkashiいゾ??????」
「あRe?! こえGa、お歌詞いぃぃぃぃ?!?!@@」
世界がぶつ切りなったような気持ち悪さが頭の中で渦巻いていた。銃の反動はここまでのものだったか。
「なんde、体が動かないぃいIIIII?」
もし銃の反動でなったのだとしたら、先程自分たちが構えていたのは銃ではない。何かの洗脳装置に違いない。そうだ、そうに決まっている。男たちは体を動かそうともがき、ようやく首だけが上に上がった。地面に伏した女達をみて、安心したかった。真っ直ぐに見据えた先にあったのは、こちらを見下ろしている少女たちだった。
「What?」
あまりの不可解さに英語が出てくる始末だった。ふとベージュブロンドの少女が腕を組み近づいてきた。
「さて、十分に効果が出たようね、ユキナさん。タイミングもお見事だったわ」
「うん。けど本当に怖かった。もしコインが外れたと思うと……」
「大丈夫よ。そうなったら、私がユキナさんを助けてたもの」
絶対に。と信頼を寄せた目を向けてくる。黒髪の少女は嬉しそうにうつむいた。種類の違う花同士が寄り添い合っている場面を目撃したようでほっこりするのだが、反面自分たちを取り巻く状況があまりにも不可解だったので、ただ困惑と恐怖を覚えてしまった。
「効果が切れるのはどれくらい?」
「人によりますけど、最低でも三十分はあのままだと思います」
「そう。……ここにアイカさんがいれば、尋問の一つや二つできたのでしょうけど、仕方がないわ」
ベージュブロンドの女が、ふいに不穏なことを口にした。男たちの高ぶりが失せていく。少女達が迫り、首根っこを捕まえた。
「……あれ、なんか否応に重いわ」
「まあ、私達と違って体つきも違いますから……うんしょ」
引きずられていく男たちは、自分たちのみに何が起きたのか悟った。
銃を撃つ前に反撃されたと考えるしか無い。それも、男二人の体を吹き飛ばし、体の自由を奪う手段。それを最初から持っていたのだ。つまりは、彼女たちは意図的に自分たちに接触したと考えられる。
路地に引きずられた二人。それから武器が奪い去られていった。やめろ、と叫ぼうとしても無意味な抵抗なのは明らかだった。ふと、彼女たちはなにかに気付いたようで、体の表面を弄ってきた。
「この感触、体になにか巻き付けているのね」
「見てみましょう」
体に巻き付いているとはなんの事か。そんな覚えはない。出鱈目が多すぎる。この者たちも、虚言を撒き散らしていく政府側の人間か。ベージュブロンドの少女がTシャツを捲くりあげる。すると二人は驚きと恐怖の眼差しで体を見た。
「そ、そんな、これって……」
「……正気じゃないわ。あなた達、ここまでして何が目的なの」
「ミソラさん、どうしましょう。アイカちゃんがいれば解体できそうだけど」
「下手に触らないほうがいいわ。私達が巻き込まれたらたまったものじゃないもの」
彼女たちの表情に偽りは感じなかった。むしろ困惑と恐怖が広がり、なぜだが自分たちにも同じものが伝わってきた。ならば真実は、この体には彼女たちが戦慄するだけのものがあったということになる。
「Naにが、あルんだ」
ベージュブロンドの女が、本当に気付いていないの、と訴えかけるように言った。
「あなた達の体には手榴弾がいくつも装着されているわ。これはもう少し、話を聞かせて貰う必要があるかしら」




