バスローブの女
ミソラとユキナは、バスローブ姿のリツカと名乗る女性を近くのビルの中へと押し込めた。二人も潜伏がてら身を潜め、彼女から情報を聞き出すほうが先決だと判断し、目覚めるのを待った。
潜めたビルは中小企業が連なるオフィスとなっており、1階から2階の不動産会社の従業員の手を借りて、客間用のソファに寝かせ彼女を介抱してもらった。リツカは高熱を発し、体中に細かい切り傷があったが、素人目に見ても命に別条はない。穏やかな寝息がその証拠だ。ユキナはほっと息をついてから不動産会社の社員に礼を言った。
「急な対応に感謝しかありません。本当にありがとうございます」
ユキナが頭を下げる。三〇代前半の従業員の女性は笑って「いいのよぉ」と言った。
「こんな状況だし、救急車も呼べないのよね。病院に行くには、ちょっと不穏だもの」
「ちょっとどころではありません」
楽観的な態度の深澤に、ミソラは切り込んでいった。
「バスローブ姿でこんな冬空に出ていかないといけない事情があったのでしょう。先の銃撃事件といい、この富良野では水面下で事件に巻き込まれている」
「事件って大げさよ。確かに先の宣言であまり外を出歩かないように言われているけれど、緊急性が高いとは思えないし……」
「いえ、すでに事態は最悪の方向へ向かっています。私たち、例の銃撃騒ぎの近くからここまで歩いてきましたが、その間、道を行き交う一般市民はほぼいませんでした。警察と自治体の人が外へ出ようとしている人を片っ端から注意していたからです」
「結構無理矢理な感じでしたよね。仕事があると言っても、とにかく外に出るなの一点張りでした」
ミソラとユキナの言葉に、別の従業員が同意した。
「俺も同じ目にあったぜ。つい三十分ほど前な。取引先に出向こうとしたら、警察と自治体の人が事態宣言どおりの行動を取れって。さすがに理不尽だと思ったんだけどな、どことも連絡取れないし、これマジなんじゃねえかって」
「それって電話とかメールだけでしょう? ネットは普通に使えるし、SNSでメッセージでも送ってみればいいじゃない」
「その手がありましたね。まずは富良野がヤバいことになってそうでも投稿してみますかな」
ようやくその可能性に至った人間が端末を手早く操作し、”富良野ヤバいw”とでも投稿するようだ。すでに似たような投稿がされていると想定するが、通信網だけを遮断できる手段が敵側にはあるのは恐ろしいと感じる。特にこの実験都市という最新鋭のセキュリティ下で、いち早く遮断に取り掛かり、状況を掌握した。そんな連中が、ネット網を遮断しない選択があるのだろうか。そこまで考えて、ミソラはある可能性に思い至った。即座に男の端末を背後から覗き込んだ。
「な、なんだよ、別に変な投稿するつもりはねえって」
「そうじゃなくて、いまから二時間前までの投稿で、富良野・実験都市というワードで追ってみて」
「え、なんだってそんなこと」
「いいからやって。頭のいい人間ならすぐに分かるから」
男性従業員は渋々と言った感じでSNSの検索機能を使い、言われた通りの条件とワードを記入した。出現した投稿を男は眺めて、眉をひそめた。
「富良野行ってみたい、富良野タワー思っていたよりしょぼかった記憶。他の実験都市と比べてあまり見栄えない……」
「たった二時間まえの書き込みでそんなこと書いてるやついるの?」
深澤が呆れ返るため息を付いたが、男性従業員は事の重要さを悟ったようだ。同時になにか思い当たる節があるようで、パソコンで検索を始めた。
「おい、なんで誰も今のことに言及がねえんだ。ちょっとぐらいあってもいいだろうよ」
「どういうこと?」
「だから、富良野のことに関しての書き込みが二時間前からこれっぽっちもねえってことだ!」
やはり、と思ったミソラは男から離れてユキナのもとへ耳打ちした。
「ネットも掌握されている。おそらく三ヶ月前同様のやり方で」
「そんな、それじゃこの件って……」
「まだわからないけど、宗蓮寺としての立場なら、わざわざ変なことを富良野で起こすはずがない。実験都市は宗蓮寺グループの主要な施設であり施策。そこに問題があるとなったら、他の実験都市にも影響が及ぶもの」
また彼女の企みにしては杜撰な状況だと思わずにはいられない。先導ハルなら警察や自治体の手を煩わせることなく、緻密な計画のもとで動くはずだ。この事態はまるで、通常の警察業務の範疇としか考えられない。それも水面下でなにかが起こっていると分かっているからこそ、住人たちに強制的な指示を押し付けている。
「どちらにせよ、現実でもネットでも取り残された状況なのは違いないわね。願わくば、異変後に外に出た人が事態を知らせてくれる方がありがたいのだけど」
期待は薄いだろう。富良野までの道は東西のアウトバーンと北西から南西まで伸びる一般道に鉄道、そして舗装されていない山道しかない。それにここ最近の大雪によって交通状況は芳しく無く、富良野への配送に慣れている運送業者が主な都市来訪者と考えると、昼時を過ぎたこの時間に外から新たにやって来る客はほぼ無いと見ていいだろう。
「なんだか、わからないことだらけですね。誰が何を起こしているのか、何をしようとしているのか、考えれば考えるほど迷路に迷い込んでしまう構造になっているような気がします」
「それがこの事態の本当の目的なのかも。長くて夜明け前に事を成して、何事もなかったように退散する。筋書きがこの通りなら、このまま何もしないほうが得策でしょうね」
「……わたしたち、完全に巻き込まれ事故ですよね」
そうともいえない。これは完全に〈P〉が首を突っ込んできたのだ。例のブツ、正体不明のブツ、そしてこのタイミングで起きた銃撃事件を発端とした様々な状況は、今後の自分たちの運命すら握っているような気がしてならない。気持ち的にはこのまま何事もなく過ぎ去ってほしい。
人間はきっかけがないと動けない。動きたくないのだ。だから〈P〉の元へ向かい、指示を仰ごうとしている。連絡が取れないから向かうというのは後付の理由かもしれない。本当はただ、わけのわからない事態から逃げたい。そんな気持ちが強まっている。
「ここで待っていても、〈P〉がなんとかしてくれるかもしれないわ」
「……他力本願」
「がっかりした?」
「いいえ、ミソラさんはいつか動きだすって分かってますから」
謎の信頼をユキナが向けてくる。悪い気分ではなかった。この顔になる前から、彼女はこの情念をいだき、向けていたのだろうか。だとしたら、二度も裏切るわけには行かない。ユキナからも貰ったものは、大切に胸のうちで育てているのだから。
そうやっているうちに、室内がにわかに騒ぎ立っていた。従業員たちは各々連絡をとったり、ネット上での連絡を試みたらしいが、どれも不発に終わったらしい。
「まさか掲示板の書き込みすらダメかよ。ニュースサイトのコメント欄はどうだ」
「送信ボタン押してもダメです。書き込みが反映されません」
「なあ、これヤバいんじゃないか。富良野だけ連絡もネットもできねえって、そんなバカなことあんのかよ」
従業員の叫びに、深澤が思い当たる節があるようで、こう言った。
「あるじゃない。三ヶ月前、ある学校で共同生活をおくっていた集団にアクセスする情報をまるごと変えてたってやつ。宗蓮寺グループとネットメディアが共謀してそんな事を企てたらしいけど、それと似てない?」
「ああ、”旅するアイドル”の件ですか。あれ結局なんだったんですかね、厚労省の不祥事暴いて、カジノ船の人身売買を止めて、あとは”Traveling!事変”でしたっけ。学校の監視カメラ壊して、ゲリラライブして逃亡して、まじで訳のわかんねえ連中で……」
ミソラとユキナは互いの顔を見合わせ複雑な顔をした。世間の反応を生で受けるのは初めてだ。結論はわけのわからない連中で怖いというものらしい。それはこちらも同じ思いなのだが、口にすることは金輪際無いだろう。二人はマスクを付け直し、正体バレに一層気を使ってみたが、ふいに耳元に囁かれたようにその言葉が飛来したきた。
「やっぱり、あんた達が旅するアイドルだったんだ」
え、と振り向いてしまったのがユキナだった。とはいっても、ミソラも不意打ちに肩をはねてしまっていた。ソファで眠っていたはずのバスローブの女性リツカが片目だけを開けて見上げていた。
「宗蓮寺ミソラに原ユキナ。まさか、こんな場所にいたなんて驚き」
「え、えっと、そのぉ、なにか勘違いしていませんか?」
ユキナがとぼけてみるも、リツカは確信を持った口調で言い返した。
「あのねえ、二人とも有名人だって自覚ある? いまは熱りが冷めている状況でも、結構な鮮烈さを未だに残しているの。私ね、始まりから三ヶ月前のゲリラライブまでちゃんとチェックしてるんだから」
ふふん、と得意げなリツカだったが、ミソラたちはただ呆然とするしかなかった。彼女が自分たちの正体を看破したからではなく、語り口がまるで追っかけそのものだったからだ。ミソラはユキナに耳打ちした。
「ねえユキナさん、あの人って私たちのファンだったりしない? 私じゃ判別つかないのだけど」
「ど、どうでしょう。厄介なアンチという可能性も捨てきれませんよ。実際、ネット上では過激でもリアルではおとなしいことが多いですし」
アイドルファン側の意見は至極まっとうなものだった。そう考えると、不祥事に脳を熱くさせる輩である可能性もある。もっとも、ここで所在を明らかにされたからと言って、彼女に何かをするわけではない。なるべく関わらないように離れていくだけだ。
「あの、お二人さん。お話したいことがあるの。もう少し近づいてくれるとありがたいなあって」
ふいにリツカがこう切り出した。いつの間にか砕けた口調になって、馴れ馴れしさが表に顕在化していた。これが彼女の素なのかもしれない。ミソラたちはリツカに一歩寄った。
「これでようやく本題に入れる。──私があんな格好で外に出ていたのは、宿泊先が何者かに占拠されたからなんです」
そうしてポツポツと、リツカは語り始めた。
「北海道の旅行の最中でね。一週間ほど。それで最終日は第五区画のリゾートホテル……まあ結構お高めのいいホテルで終えるつもりでさ。バスローブ姿なのはちょうどお風呂に入り終えたあとだったから。昼のコース料理が楽しみにしてて、部屋に戻ろうとしたら──見ちゃったんだ」
リツカは徐々に恐怖を思い出したようで、両手で己の体を抱きしめた。
「銃を持った男たち。それも二十代ぐらいの若い人たちだった」
「……銃」
どこかで聞いた話だ。ミソラは話を続きを待った。
「一人や二人じゃない、十人単位が一気にホテルの中に押し寄せてきたの。そのまま彼らは発砲をはじめて……ホテルの中は騒ぎ立てて、客室の人間を広場に集めろって命令を聞いたの。それを聞いて、私はすぐに身を隠して警察に連絡かけた、けどなぜかわからないけどダメだった。全く通じないし、だから外に出るしか無いと思って……」
この時すでに、通信網は遮断されていたのだろう。大まかな事情はわかった。あとは銃を持った集団について情報を得なければ。
「銃ってどれぐらいの大きさ。拳銃ぐらい?」
「ううん。両手で使う、ほらゲームとかで銃撃つやつみたいな」
ジェスチャーでリツカが説明する。ミソラはすぐさま、サヌールの船底で繰り広げた警察軍の訓練を思い出した。耳栓をしても脳の中をかき乱す爆音は、人の潜在的な死を想起させ、あの場にいる警察軍を含めた全員が屈服していた。あのときの銃口はミソラたちに向くことは最後の方しかなかったが、今回は無法者が最大の恐怖を振りまこうとしている。若者と彼女が言うからには、精神的にも不安定かつ独善的であると考えていい。そんな人間と人を殺せる武器をかけ合わせたからには、災厄な結果をもたらすことは必定である。
事態は思っていたより災厄な方向へ向かっているらしい。銃を持った謎の連中とはまだ接触していないが、水面下で都市を制圧している可能性がある。このまま何もしないでいても、状況は悪化の一途をたどるかもしれない。
「他に何か気になることとかある? リーダーっぽい人の特徴とか、気になるワードとかでいいから」
「ごめんなさい。話なんて全然聞いてないんだ。リーダーっぽい人も分からない」
そう、とミソラはこぼして窓の外を眺めた。日本で新しく作られた都市を狙い、蠢き、暗躍する何者かと出くわすことを避けたかったが、どうやら関わらないで切り抜けるには向こうはあまりにも支配しすぎている。ならばやることは単純だ。
「リツカさん、情報ありがとう。おかげでどう動けばいいのか分かったかも」
「それは、良かったです。……それで、あなた達はこれからどうするつもりですか」
リツカが不安そうな目を向ける。ミソラたちが”旅するアイドル”だと知っても、彼女から見たらまだ少女としか見えないだろう。もう成人済みではあるのだが、大人という認識に変わるには二十歳からが適切に感じてしまうだろう。
「貴女はゆっくり休んでて」
「それじゃあ、二人共外へ出るんですね」
二人はリツカにうなずいた。そうして二人はオフィスの外へ出た。途中で呼び止めるものもいたが、ユキナが保護してくれたことの礼をして、安全地帯への義理を済ませる。
外は依然と凍えそうな寒さだ。空気が張り詰めているのは、気候だけの問題ではないだろう。警備していたはずの警官と自治体の姿が見あたらない。この都市が発令した厳戒態勢というものは相当な力を持っているようであったが、おとなしく従っているのも違和感があった。若者が多く済んでいると言われているこの街で、比較的自制心がないのが若者の一人や二人、見当たらない。特に二十代の姿があってもいいはずだ。
「さて、ユキナさん。これから銃をもった連中と接触するわ。そうしたら──」
ユキナにこれからのことを説明した。彼女は了承するも、不安げに微笑んだ。
「人にやるのは初めてだから緊張します。……あと本当に大丈夫かどうかも」
「私もユキナさんも、身を持って味わったでしょ。いざとなったら、私が蹴飛ばすから」
床にコツコツとつま先を叩いて示す。物騒な一言なのに、彼女は信頼を寄せた目でミソラを見返した。




