北の大地にて
富良野都市郊外まで徒歩で移動をしていたミソラとユキナは、郊外に近づく度に監視が強化されていることに気付いた。特にアウトバーンで車両が立ち往生している。警察に見つからないようになんとか立ち回っているものの、異様な気配が覆っている。
「ただの泥棒で終わると思ったのに」
「本当は良くないことです」
「そうなんだけど、どちらにせよ動く必要があるでしょ。──やっと掴めた家族の手がかり。泥棒で済むならそれでいいわ」
それは三日前のこと。唐突極まりない〈P〉の指令に”旅するアイドル”は何度も混乱したものだが、今回の指令はいままで以上に不明確で曖昧なものだった。
雪が降り積もる北海道の大地を進むキャンピングカーは、いったん獣道の中でとどまっていた。雪が車の周囲を覆い尽くし周りの景色と同化している。おかげで”追手”からのいい隠れ蓑になっているが、別の問題が起こっていた。
「凍死だけは勘弁よ、まったく」
ミソラが不安そうに言った。毛布を体に巻いてキッチン近くに立っている。ソファやベッドは他の人が寝転がってい独占していたからだ。ラムも定位置の運転席から居住スペースへ移動し、他の面々を気遣っていた。
「みんな寒くありませんか? ココア欲しかったら是非」
「ありがとうございます。ひとつください」
「アタシにもくれ」
ユキナとアイカが返事をする。ラムは嬉しそうに台所に立ち、カセットコンロで水の入った鍋に火を入れた。キッチンのコンロは使えない。現在、このキャンピングカーは吹雪の中で故障してしまったからだ。
「車、動けばいいですね……」
ユキナのつぶやきで、この状況における最大問題がやってきていた。北海道に来てから一ヶ月はそれなりに堪能した。
「この自然を満喫してきたけど、しっぺ返しされてしまったみたいね」
「なに感心してんだ。状況わかってんのか。備蓄失ったらアタシらで食料奪いあう羽目になるだろ」
アイカの懸念は的を得ていた。閉塞した状況の中では、刻一刻と資源が奪われていく。吹雪の中に囚われてからの不安要素は食事と排泄が主に占めていた。
「それは大げさかと。一週間ぐらいの備蓄はあります。それに皆さん、ちゃんとあの人のことを労ってあげてください。〈P〉が故障箇所を見つけて直してくれますよ。……今すぐにでも様子を見に行きたいです」
ラムがこの中で〈P〉に対しての心配が強い。しかしこの吹雪の中で外に出ればタダではすまない。なのに〈P〉だけは大丈夫だという根拠がどこにあるだろうか。
いまだに正体を明かさない仮面の人物〈P〉について知っていることは、その身ひとつでネットワークを操ることができること、身体能力がやけに高いこと、なにより人間かどうかも怪しいほどに”謎”が多いことだ。普段は合成音声で声を発するので男か女かもわからない。ただラムは異性に憧れるような情を抱いているフシがある。ただ正体という観点からみるに参考にならない。そもそも本当に人間かどうか怪しい部分が浮き彫りになってきている。またその正体もミソラはなんとなく掴めている。ただ〈P〉の存在がなければこの旅が続いていないのは確かだ。あとでねぎらいの言葉でもあけてあげようと、ミソラは思った。
割とピンチな状況にある”旅するアイドル”であったが、ラムの言う通り食料だけなら一週間以上保管してある。しかし未だ誰も外で用を足していない。ミソラ自身、特定の住居を構えない生活を考えて障害となるのが、衛生面の不快感だった。一応、キャンプ場のトイレに紙がないことが割とあったので、トイレットペーパーぐらいは用意がある。
「ああもうっ、だから言ったのに!?」
突如ヒトミが奇声をあげた。誰もが驚いて彼女を見ると、毛布やサバイバルシートを二重に包まりだるまと見間違った。普段のプロポーションはどこへいったのか。体を震わせながら大空ヒトミは立て続けに言った。
「冬が来る前には本州に戻るってあれほど言ったじゃない!? なのにどこまでいっても同じ景色ばかり。ぶっちゃけ一ヶ月で飽きたわっ。それにユズリハちゃんもいないし、満足度半減よ」
「貴女、わりと満喫してたじゃない」
「そりゃ遊べるなら遊ぶわ。けど外が寒くなっていくたびになんか気力がなくなったし……わたしは冬嫌いみたい」
ヒトミはその場でうずくまって毛布で顔を隠した。確かに最近の彼女は外に出る機会が少なくなっていた。理由を聞けば納得だ。以前彼女が住んでいた”海洋巡間都市サヌール”は常に温暖な海洋を進んでおり、常夏での気候が長年染み付いているのだろう。それが氷点下で生活することになると、心身の恒常性が保てなくなるのも無理はない。
「急かしいヤツだな。エネルギー節約のためにちった黙ってくれよ」
「アイカちゃんこそ、そろそろなんじゃないかなって思うなあ。……トイレットペーパー持って、外に出ていいのよ?」
「──ッ、てめえ!」
「まあまあ、二人共その辺で。……明日にはやんでいるといいのに」
ユキナが降りしきる雪景色を眺めてつぶやいた。〈P〉は外で車両のメンテナンスを行っており、車内でこもったような音が届いている。どうやら〈P〉は零点下の中でも堂々と動ける人物らしい。
「ユキナさん、少し寝るわ」
「じゃあわたしもそうしますね」
二人は車両後方のベッドへ向かった。未だにアイカとヒトミはなにかと言い合っている。こういうときには水野ユズリハがさりげなく諌めたりしていたが、彼女は車を降りて仙台の実家に戻った。旅の目的の一つがようやく達成されたのだが、彼女をいろいろなことに巻き込みすぎたことに関しては罪悪感が残っている。願わくば、彼女の行く末に不幸が訪れないように祈るばかりだ。
ベッドへ潜ろうとしたとき、ユキナがミソラの横たわったベッドへともにしようとしていた。
「まって、こっち来るの?」
「……あ、駄目でしたか……」
と、ユキナが己を恥じるよううつむいた。三ヶ月前にユキナが改めて”旅するアイドル”になってから、今まで見たことのない姿を見せ始めている。遠慮しなくなり、アイカやヒトミにも遠慮なく物を言うようになった。体を蝕んでいた発作が完治し、精神的にも活発的になった証だろう。それは喜ばしいことだ。
「いいわよ、二人分ぐらいなら余裕はあるし。代わりにめいいっぱい抱きしめてね。じゃなきゃ、暖取れないから」
「が、頑張ります。では、失礼して……」
ユキナがおそるおそる布団の中へ入ってきたのを見計らって、毛布と掛け布団をかぶせた。自分とは別の熱源がうごめく。ユキナの顔が間近にあり、多少なりとも気恥ずかしさを感じた。
「寒くない?」
「……はい。ちょっと熱いかなって」
「じゃあもっと寄って。私、体温高いほうじゃないから」
思えば気を張っていたのだろう。ミソラは体温というものが、人が感じるなかで一番心地よい設定にあることに気づいた。暖かさと一緒に、安心感があった。懐かしいような、そうでないような、不思議な感覚だった。
「研究所以来よね、こうして一緒に寝るの」
「……はい」
凍えきる中、もしかしたらこのまま死んでしまうかもしれない。だけど、終わるなら誰かの腕の中がいい。姉と兄以外に、そんな相手ができたことがこの旅で得られたものなのかもしれない。
ミソラはおやすみ、と言って目を閉じた。同じように返したユキナの声を最後に、冬眠が始まった。
次に目覚めたときは、何もかも状況が変わっていた。
「……ソラさん、ミソラさん」
肩で揺すってくる感覚でミソラは目が冷めた。頭だけを出して眠っていたはずが、上半身が表に出た状態になっていた。瞼はバッチリと開いたが、上半身に伝わってくるはずの冷たさが一切なかった。周囲を見わたすと、明るさが目に染みてきた。
「ユキナ、さん。起きてたのね。どれぐらい寝てたの?」
「半日眠ってたけど、とにかく今は起きて。〈P〉がみんなを集めて話があるって」
その言葉の不可解さに目が覚めた。北海道の旅で一切口出しすることなかった〈P〉がここへ来て沈黙を破った。居住スペースには〈P〉を始め、ラムやアイカ、ヒトミがこちらを待っていた。ミソラを待っているとわかったので、着替えもせず向かった。
「車、動いたのね。……吹雪、やんだようで何よりだわ」
窓の外はモノクロの景色を脱したようだ。澄み渡る青空から差し込む陽光が雪に反射してより明るくなっていた。今すぐにでも外に出て空気を吸いたい衝動に駆られるが、みんなの様子がそれを許さなかった。
「おはようミソラちゃん。リラックスの時間はここまでよ」
「……どういうこと?」
思い浮かんだ冗談に、誰も反応しない。少し悲しい。すると〈P〉が男とも女ともわからない機会合成音声で、こう反応した。
「頭は回っているようだな。旅するアイドル、三ヶ月の休暇──途中からはそうとはいえないが、ここからは本格的に動くことになる。心して聞いてほしい」
体にへばりついた不快感が、〈P〉の言葉で吹き飛んだ。続けさまに〈P〉は言った。
『私はこの三ヶ月前水面下である動向を探っていた。いままでは、ユキナくん、ミソラくんの事情を優先して動いていたが、今回は私のために働いてもらいたい』
あまりの意外な言葉に、誰もが動揺を浮かべていた。困惑するだけで〈P〉を窺うユキナとラム。明らかに拒否反応を示すアイカにヒトミ、そしてミソラ。その様子を見越してか、〈P〉が仮面の中で笑みを浮かべた気がした。
『一応、君たちに恩義は売ってきたつもりだが、まあ、君たちらしいともいえるな』
「御託はいいんだよ。だがお前の言うことも一理あるな、話だけは聞いてやる」
「やめといたほうがいいと思うけどなあ。絶対厄介事じゃない」
「今更かと。むしろ私たちの本懐なのでは?」
そう裏方のラムが言うので、ヒトミは唇を突き出して不満を顕にした。ただし彼女を責められない。ラムは三ヶ月前の『花園学園襲撃事件』で半グレに腹部を刺されてしまい、食生活を根本的に変えてしまうこととなった。運良く致命傷に至らなかったことを考えると、代償は安いといえる。
「〈P〉が言うことに間違いなんてありえません。彼が欲しているものは、きっと皆さん方に有益に働くかと──」
『いや、今回の仕事は曖昧な状況の中で行ってもらう』
ラムの饒舌さが止まり、〈P〉に視線で訴えかけてきた。〈P〉は腕を組んで語り始めた。
『場所は北海道富良野市にある”実験都市富良野”。君たちもご存知のように、日本の交通機関の問題を解消した宗蓮寺グループのお膝元といえる場所だ。そこである物を入手してもらうが、その物が私にはどういうものか分からない』
さすがのラムも唖然としたようで、戸惑いがちに尋ねていた。
「では、私たちはその正体不明のブツを見つけ出すだけではなく、手に入れなければならない……」
「ハン、やってられるかよ。せめてどういう物かわかってりゃ、ちょっとは手伝ってやったさ。だがそんな訳のわかんねことに突き合わせる義理はねえ。今回はアンタひとりでやれよ」
『ご覧の通り、私が外に出ると否応なく目立ってしまう。君たちなら潜伏するのに目立つことはないだろう』
ユキナがおずおずと手を上げて言った。
「けどわたしたちも表に出れば人目にさらされて目立ってしまうと思います」
『それには及ばない。いまの君たちに世間は関心を寄せていない。気になるなら顔を隠すなりして都市内を探索すればいい』
強固な姿勢を示す〈P〉に、車内の空気がひりついてきた。気が進まないのはミソラも同意するところだ。ただ、〈P〉がそこまで欲するなにかというのは興味がある。ミソラは真剣な顔で尋ねた。
「ねえ、貴方がそこまで求めるブツっていうのは、私たちに有益? それとも貴方個人の買い物レベルのもの?」
ミソラの問いに、〈P〉は間を開けて意思の灯った声で言った。
『これだけは確信をもって言える。そのブツを手にすることで、我々は今まで以上に過酷な道中を歩むことになるだろう。だがこれを手にしないことには、前へ進むことはできない。それに──』
〈P〉はミソラに言い放った。
『宗蓮寺志度がその制作に関係していることは間違いない』
「──兄さんの」
おそらく〈P〉はミソラが自ら尋ねることを見越していたのだろう。最初から兄に関係していると話していれば、ミソラは誰よりも参加を決めていた。なんだかため息を付いてしまう。あまりにも回りくどい。
「嘘、付けばいいじゃない」
『嘘はつけない』
「フェイクぐらいお手の物でしょうに」
こちらも見越しているふうに〈P〉へそう言った。ミソラはすかさずラムの反応を見た。なにやら慌て気味に〈P〉へ視線を送っている。やはり、彼女は最初から〈P〉を知っているようであったし、ミソラのなかでも確信が持てた。
「いいわ、受ける。私だけでもやる」
その一言に、ユキナとアイカが驚いた。アイカがミソラに掴みかろうと近づいてきた。
「正気かよ。リスクが大きすぎるだろ。これから行くところ、宗蓮寺グループのお膝元なんだろ? もしかしたらフィクサーの手もあるかもしれねえんだぞ」
「そんなの今更でしょ。むしろ奴らのしっぽをつかめるチャンス。今までは後手にまわざる負えなかったから、ほとぼり冷めたこのタイミングを逃すわけには行かないわ」
「けどよ──」
アイカが未だに否定的な中、ユキナが彼女にこう言った。
「アイカちゃん、ミソラさんが心配なんだね」
「はあ、はあ!? そんなんじゃねえよ、バカ!!」
「だってミソラさんが行くならそれで終わりでいいのに、わざわざ行くかどうかを尋ねるから。それにアイカちゃん、なんだかんだ付いていくよね」
「──ッ」
アイカがわなわなと震えながら黙ってしまった。ユキナに対しては完全に型無しで、アイカは椅子へ座って黙りこくってしまった。それからユキナが言った。
「わたしも同行します。一応、あれら(・・・)を持っていきますけどいいですよね」
『ああ、ミソラくんも必要であれば使えばいい』
「ええ、遠慮なく使わせてもらうわ。この三ヶ月、ただ旅していたわけじゃないもの」
願わくば使わないことを期待したいが、平穏無事で済まないだろう。参加者は二人。そこで沈黙を保っていたヒトミが「あーもうっ」と叫んだ。
「しょうがないから負けてあげるわ。けど勘違いしないで、私は同調圧力に負けただけなんだから!」
「それはそれでどうなのでしょうか。ともかく、ヒトミさんも参加するということで。〈P〉、出発は?」
『翌日に都市内に潜入後、追って連絡する。二人一組に分かれて、私の指示したエリアと場所での状況観察。それが主な仕事となる。めぼしい箇所を見つけた際は、潜入と相成るが、そのときは君たちが身につけている”装置”を使ってくれて構わない。ただし一度で一時間しか持たない。そこのところは気をつけてほしい』
そうして旅するアイドルは次の目的地、実験都市富良野で活動することになった。ただし、今までとは違い、アイドル活動は行わない。以前、サヌールでの潜入では〈P〉がPV撮影と宣言したが、今回はあのような余興は必要ないという判断に至ったのかもしれない。
こうしてアイドルもどきの活動は縮小され、工作任務が増えていくのだろう。
本来ならば、それこそが私たちの目的ではあるのだが、なぜアイドルなんていう”余暇”が加わってしまったのだろうか。
こうしてある意味では、正道な活動が始まった。
〈P〉が指示で宛もなく散策し、都市外部からやってくる業者を逐一報告。そうしてどうやら、目的のブツが中央の第三区画にあることはつかめたのだが、潜入して三日目に都市の事態は急変することになった。
ミソラはこれが例のブツと関係しているか見極めるため、ユキナと共に都市内の外れにある場所へ向かった。




