蠢く者たち
西暦2039年12月12日。
北海道全土を襲った大雪は例年以上に各都市の交通網は打撃を受けていたが、ある都市だけは大雪の影響を逃れていた。空から降り注ぐ吹雪は、都市の天井を覆う透明な膜で雪を防ぎ、その都市の中には僅かな雪だけしか積もっていなかった。およそ冬の北海道の景観とは思えなかった。
その場所は北海道富良野市。富良野といえば一面に咲き誇るラベンダーや避暑地として有名だったが、いまでは都市部や山を拓いて開発した”実験都市富良野” の印象が強い。
"20年禍"の最中にある企業が打ち立てた日本再生プロジェクトの一環で、全国四箇所で新技術の恩恵を与った都市を設立することとなった。世界中から集めた新技術や機構をいち早く導入することで、実際の生活に対してのアプローチをかけられることが、日本だけではなく世界中で注目を集めている。
──”実験都市計画”。
宗蓮寺グループと国が共同で推し進めている新たな時代の登竜門だった。
今でも議論をかわされている”実験都市計画”の中で、この富良野は類をみない成功例だった。エコロジーの粋を極めた発電機構を始め、北海道では必需である薪による温暖は一切使用されておらず、都市内の発電機構であらゆるインフラが形成できていた。他の都市と比べると、最新技術という部分に関しては見劣るする部分があるが、何より優れているのは無駄のない街のデザインだった。いまでは若者や研究者が集まる”研究都市”の側面を持っている。
「……くそ、こんなとこに隠すんじゃなかった」
そんな”実験都市”の端で、春日二郎は唇を震わせていた。かつてない緊張で全身が固まっており、都市機構で冬でも20℃前後を保っている”実験都市富良野”であっても震えが止まることはなかった。
彼は”実験都市富良野”の開発計画における被害者だった。元々、開発前の土地に隠し倉庫を持っており、そこに大量の武器をしまい込んでいた。旧世代のロシア製の武器を買い取り、商売とコレクション目的で収集していたが、”20年禍”以降の武器開発の進化の前には、急性代の武器を欲しがるものはいなかった。しかも日本ならなおさらで、半グレすら欲しがらないと来た。それが先日、あるクライアントとのコンタクトを受け、倉庫内の武器をすべて買い取りたいと買い付けてきたものが出てきた。
「へへ、これ全部売ったら一生遊んで暮らせる。……死なねえようにやんねえと」
刈り上げた黒い髪に、スーツの上には黒いチェスターコートを羽織り、防寒対策としてストールを一巻きにして身につけているどこの街にもいるサラリーマンにしか映らないことだろう。人や街に溶け込むことこそ、裏の商売の鉄則だ。春日は都市高速のある高架下までたどり着いた。
ふと懐から振動がきた。端末を取り出すと、通知欄にメッセージが書いてあった。
”指定の場所への到着を確認。タクシーが来たらそれに乗れ”
差出人の名はなく、インスタントメールアドレスの記載しかない。これを追ったところで、黒幕の断片すら掴めないのは明白だ。数分待つと、春日の目の前でタクシーが止まった。後部座席の扉が開き、春日が乗り込もうとしたところで動きが止まった。座席の一つが埋まっていたことに気づいた。
奥に人が座っていた。日本人ではない。たったそれだけで、こちらに存在感を示していた。日本人には似つかわしくない紅色スーツを着た外国人は春日を見て鼻を鳴らした。
「金がなさそうな商売人だ」
日本語で見下してきた外国人の男に対して、普段なら眉をひそめるところだったが、そんな態度を許さない眼光が彼にはあった。欧州の人間かと思いきや、肌や目たちは南米人の特徴を持ち合わせていることを春日は見逃さなかった。
春日は戸惑いを押さえ込み、男の隣に腰を下ろした。ドアが閉まるをの待っていたが、いつまで経っても閉まらないので自分で閉めた。タクシーは行き先も言わず出発した。
公道へ差し掛かった頃になって、紅色スーツの男が話を切り出した。
「この寒さは私たちには馴染めないな。”Science City Furano”、こちらの国では”実験都市”と呼ばれているようだな。実に業深い」
「はあ、ですが未来の技術がここに集まっているから、特に若者は強く惹かれているのだと思います」
男はつまらなそうに鼻を鳴らし窓の外へ目を向けた。
「それらすべてが文明のモルモット。あの宗蓮寺がやりそうなことだ。そうだろう、売人」
売人と呼ばれ、本題が始まろうとしているのだとわかった。ここからは流されてはいけない。交渉を成立させるため、主導権を握る必要がある。
「ええと、取り敢えずは本題へ入らせてもらいますね」
春日は作り笑いを浮かべながらビジネスバッグを開き、ファイルから一枚の紙を男に渡した。男はそれを受け取り、文面の内容を読み上げた。
「AK49、各種実弾に手榴弾。旧型とはいえ、相当な数取り揃えているとはな。日本のテロリストに卸すつもりだったか?」
「い、いえ。半分は趣味みたいなもので。ロシアには大量の武器が一般市民へと流れ込んでいまして……。まあ、半分は在庫処理的にいただいたものばかりです」
「十分だ。この日本においては、この武器だけで十分に成果を果たせる」
武器を買うものが普通の人などありえない。どんな客であろうと、在庫を処理できるなら万々歳だ。だからこそ、交渉事で隙をみせるわけにはいかない。
「つきましては事前で全額の振り込みをさせていただきたいのですが。それから倉庫へご案内します」
と、春日はすかさずタブレットの契約書面を取り出した。伺うような視線を見せる前に、男はタブレットの押印に指を押し付けた。春日は面を食らった。契約内容を頭から確認をしてから押印を求めようとしたからだ。彼のこの態度で、自分はここで命尽きるのではないかと感じた。
だがそういう星の運命にあることは、この仕事を始めてからわかっていた。自分は正義の側には立てない。暴力団や半グレ、革命側の人間こそが、あるべき人の姿だ。警察や政府の腐敗は、人が本来持ち得る魂すら汚染し、誰もその自覚がないまま飼い慣らされている。
最近は警察組織の連携が高まったせいで、密輸屋の仕事は廃業になるとかと思ったのだが、突如として秘密裏にコンタクトしてきたものと、破格の褒賞に釣られてしまい、依頼を引き受けてしまった。
それに男の風貌が厳つい。スキンヘッドに刈り込みが入り、高級な腕時計と紅色のスーツ、なにより人を何人も殺してきた普通とは程遠い目が春日に恐怖を植え付けていた。いま殺されても仕方ない。動物的な本能が隣の男に殺されても仕方がないと訴えてきているからだ。
春日は覚悟を胸に前方の見据えていると、突如思わぬ声が割り込んできた。
「ダメだよマーカス、このおじさんその顔に怯えちゃってるよ」
この場に似つかわしくない少女の声に、春日は唖然とした。この車内にそれらしき人物は乗っていないはずだ。だが正体は明らかだった。マーカスと呼ばれた男は、運転手に対し知人のような気楽さで言った。
「む、そうだったか。なにぶん、生まれ持ってからこの顔なのでな、替えがきかない」
「脅すときにその顔使ってあげて。おじさん、口座確認しなよ。アタシたちは、最高の同志に惜しまない報酬を捧げる。そういうイイヤツだから」
老年の運転手の言葉に春日はすぐさま端末を取り出し、指定口座への振り込みを確認する。裏の口座含め、十億ちょうど振り込まれていた。
「た、確かに確認した。しかし、こうもあっさりと。あ、あなた達は、いったい……」
「素性を探るのは勘弁いただこう。……つい先がた、この運転手が喋ってしまったがな」
「ヘヘ、ちょっと浮かれててさ。ようやく”パパ”の故郷で大暴れできるんだもん。マーカスだって同じ気持ちでしょう」
あはは、快活に笑う運転手の少女。異様な光景に理解が追いつかないが、いまはクライアントにいい思いで去ってもらいたい。そうして交渉の終盤がやってきた。
「では案内してもらおうか。武器が眠る貯蔵庫へ」
春日とマーカスを乗せたタクシーは都市部のアウトバーンを進んでいく。マーカスは窓の外から目を離さなかった。窓に映る全てをこの目で刻み込もうとする機械のようだ。
「”いまの世の中は無駄に増えて、無駄に太っていくばかりの箱庭である”。パパはいつも正しいことを言うね」
「”主”の言葉だ。当然のこと」
「日本中巡ってさ、パパの言葉が本当か確かめたいよね。実験都市に宗蓮寺の支援者……たしか”フィクサー”! あとは日本を牛耳っている本物の権力者にもにも会ってみたいな」
「無駄な時間だ。私は武器の入手後は本国に戻るが、まさか一人で行動するつもりではないだろうな」
「たまには一人で牙を研ぎたいの。パパだって一人きりでいることが多かったじゃん」
時折挟み込まれる二人のやり取りを聞いて、春日は彼らが何者であるか思い浮かんでしまった。運転手の少女が隣の男を「マーカス」と口にしたとき、脳裏で該当する人物が思い浮かんだ。ニュースで見た容姿にも合致する部分がある。もしそうなのだとしたら、なぜ、どうして、と疑念が湧く。なぜ、この日本に。
春日の案内でタクシーが都市外れにある古い家屋へ到着した。都市化を逃れた住人のもので、大半の人間が都市へ移り住んだ。この家屋は、古くなったものを春日が譲り受けたもので、手入れもしていないので据えた匂い外にまで届いている。
「こんなところに隠し持っているのか?」
「盗人や警察すら見つけることはできません。そもそも、こんな辺鄙な所に来る人はいませんがね」
春日とマーカスはタクシーを降りた。タクシーの運転手も一緒に降りて、春日の横に立った。少女の顔を拝んでみたかったが、タクシー帽子を深く被っていたので拝むことはできなかった。彼女もマーカスが所属するあのグループの仲間なのだろうか。気にしても答えは出ない。
「いかにもって感じ。ここも都市の一部なの、おじさん?」
「いや、この辺りは中心から外れた旧富良野ってとこですよ。昔、富良野っていったらこのあたりのことを指したんですがね」
「おじさんは北海道の人なの?」
「東京からこちらにね。元々、適当に物売ってたら、それが長く続いちまったしがない売人だったもので」
三人は土足のまま玄関をあがりダイニングを抜けた。ガラクタが積み上がっているところで立ち止まる。春日は積み上がったガラクタをどかしはじめた。電化製品や壊れた家具を隠れ蓑にして廃屋を演出させていた。大切なものを隠すためのバリケードみたいなものだ。しばらくして、フローリングの床板に、機械じみた仕切り板が出てきた。春日は右掌を床下にあてた。数秒のあと、小気味の電子音が響き、床下のパネルが開き始め、一人分の幅の穴が広がり、外より冷えた風が中から吹き込む。
倉庫内に入るのは久しぶりだ。買った武器のメンテナンス方法なんて知らないので、半年に一度確認するだけにここ十年はとどめていた。こうして買取の段階になって、春日の中に不安がよぎった。もし武器が使い物にならないと知った場合、契約は破棄されるのではないか。
「あ、あの、僕は武器のことに関しては素人なものでして、手入れは全くしていないのですが……」
「心配するな。経年劣化ぐらい織り込み済みだ。弾薬がしけっていたら残念だと思うが、我々には用意する準備がある」
「じゃなきゃやってられないからね、この商売。ていうか、おじさん嘘ついているよね」
突如、運転手が少女の声でそんなことを口走った。春日はなんのことかわからなくて首を傾げた。
「家の中に入ったときから感じてたんだけど、ここ数日で人が入った形跡がある」
「……数日で人が?」
盗人でも入ったのだろうか。それにしてはガラクタの位置は以前と変わりないと感じた。春日は今日このときに限って、自身の境遇を呪った。穴の中には階段が続いており、背の高い男性は屈まないと天井へぶつかってしまうほどの狭さを進んだ。視界がひらけ、熱感知の照明が付いた。眩しさに一瞬目がくらんだあと、春日は部屋の様相をみて唖然とした。
「な、なんたることだ。武器がない!?」
保管庫の中にあったはずのAK49や手榴弾、ロケットランチャーとその弾薬など、裏で回っている型落ち武器が全て消えていた。その数、全部で110の数はあった。しかも少女の言う通り倉庫の中は何者かが侵入してきた形跡があった。床に多数の靴跡が残っており、武器をしまっていた箱が散乱している。背後から続いていたマーカスが部屋の惨状をみて鋭利な一言を放った。
「売人、我々に対して随分と度胸のあることをしたな」
「ち、違うんだ。誰かが中に押し入ったんだ。だがここのセキュリティは私以外には解除は不可能のはず。いったい、どうやって」
手形認証に加え、実は網膜と顔型と三段階認証で地下室の扉は開くようになっている。たとえ製造者であろうと、登録者以外の解錠は不可能だ。
マーカスがスーツの懐へ手を伸ばそうとしながらこんな事を言ってきた。
「言い訳はいい。ここに品がないのなら話は簡単だ」
春日は歯の奥が水のように波打つのがわかった。不可解な出来事に言い訳する暇を、マーカス・リックは与えない。だがマーカスが何かを取り出す前に、外から響いてきた音に注意が向かった。
裏の世界で生きてきた春日にはわかる。聞き間違うはずがない。それは他の二人の反応からしても明らかだった。
マーカスは懐の拳銃──30年製ハルムAS──を取り出し、拳銃上部のスライドを引いた。これで春日を一発で殺害が可能であったが、マーカスは階段の上を警戒していた。
「アタシたちに襲撃かけるとか度胸あるじゃん。さて、どんなヤツか拝んでみようかな」
「シャオ、頼めるか」
オッケー、と軽快な調子で少女は階段を駆け上がった。それが日常だと言わんばかりに嬉々とした様子でいた。マーカスは彼女を止めるどころか戦線へ送り込むように促した。この二人は、日本において常軌を逸した行動原理を持っていることは明らかだ。
春日は震える全身を、今までの危機的な状況を乗り越えてきた経験を思い出して抑えようとする。それでも、恐怖が紛れることはなかった。
立て続けに発砲音が鳴った。一発、二発と交差するようなリズムで、打ち合いか二人同時に発砲しているのか、春日には判別が着かなかった。一方、マーカスはその場で動かず様子を聞いているようだった。先程の少女がマーカスの仲間なら拳銃の一つや二つ持っていてもおかしくない。本当にただの運転手ならすでにこの世を去っていることだろう。そして次は、武器も後ろ盾も何も持たない春日が標的にされる。
「死にたくない……。絶対に生き残っていやる」
一発逆転のチャンスをこんなところで不意するわけにはいかない。高校で悪い先輩との付き合いが始まり、そのまま半グレ入りして裏の世界で生きるようになった。その半グレグループが警察の手によって解散したあと、武器調達の仕事を任されていた春日は警察の目を掻い潜って、この武器商人を始めた。それすらも中途半端に終わり、人生を終えてしまうのだろうか。部屋の壁にうずくまって震えて待つしか春日にはできない。そこでふと、マーカスが銃をおろした。
「終わったぞ。まずは私が外に出る」
そう言って、マーカスは階段を駆け上がった。春日はどうするか迷った挙げ句、マーカスのあと追った。今の状況では、ここにいたところで何もならない。地上へ近づくにつれて、知らない匂いが鼻をついてきた。濃い鉄の味を口に含んだような不快な匂いだった。地下室から地上へ出たあと、ダイニングで人が倒れていた。
運転手の少女だった。血が床に広がり、ぴくりとも動かない。生きていないことが明らかだった。
だが他にも異様な死体が転がっていた。若い男が二人、玄関先で微動だにしない状態でそこにいた。今にも動き出し
そうな気配がするのに、若者たちは目を開けて口をほうけさせたまま、眉間から血を流し死んでいた。春日は恐怖を貼り付けた表情でマーカスを見た。
「この男たちは、何者なんですか……?」
「さてな。それは殺したやつに聞くとしようか。起きろシャオ。他に追手がいなさそうなら──」
と、マーカスが死体に話しかけていることの疑念は、不意に彼が身を翻したことで霧散した。マーカスは武器保管庫への道へと翻し、飛ぶように中へ入った。彼の行動の意味を知る前に、春日は一秒ほど遅れて視界の変化に気づいた。
光と炎が外から吹き出してきた。
死を身近に置いてきたはずが、状況すら飲み込めないまま春日二郎の全身は、人体を壊すほどの衝撃を身に食らう。
四十六年の人生が、こうして幕を閉じた。




