Happy Hack
家着から私服に着替えて身支度を整える。実に二週間ぶりの外出だ。休学の身ではあるが、これでは学校をサボっていることと変わらない。ナツとアキも、あの一見から学校を休みがちだ。ナツはともかく、アキは来年には受験が控えている関係上、心配の付きない問題ではあるが、当の本人は「そろそろ行く準備をととえている」と言ってみせた。
「……姉さん、一人で平気? だって、外出たら衆目浴びちゃうよ。一緒についていくから」
ハルは首を横に振って断った。これは自分の足で向かわないといけない。あの場所で始まったのなら、あの場所で終わらせないといけないからだ。
「一人で行かせて。じゃないと、〈スター〉に申し訳ない」
玄関前に立って、扉の取っ手を横に引いた。すると外の塀に立っていた者がこちらに気付き、奇異な視線を浮かべて近づいてきた。
未だに、どこぞのゴシップ誌が面白おかしく書き立てていることは察していたが、二週間しても熱りが冷めていないことには複雑さを伴った。
何人かの記者がボイスレコーダーを手に近づいてきた。ハルは意に介さず、庭に放置したままの自転車に乗り込んだ。ペダルを踏むと錆びたチェーンが軋んだが、抵抗を力任せに押し込んで自転車は門を飛び出し、集団を突き放した。あの連中が家族たちに迷惑を掛ける可能性もあるが、二人もハルも瞠るくらいにたくましくなったので心配いらないだろう。
通学路の途中から通勤路へと道を変えていく。電車で行くほうが早いが、そんな事を気にもとめなかった。とにかく、彼女に会うためにエネルギーを使いたい。かつて彼女が一人で踊っていた公園を過ぎ、バイト先のビル前を駆け抜ける。そこから数十分ほど漕いでいたところで、自転車のチェーンが切れてしまった。仕方なく、ハルは路地裏に自転車を置き、足を動かした。星までの距離は後少しだ。
二週間も体を動かしていないと、疲労が蓄積するのも早い。なんとか公園前にたどり着いたが、約束の時間を過ぎてしまっていた。呼吸を整えながら広場の眺める。茜色の光が自分の影を色濃くしていく。伸びていく影の先に、小さな影が佇んでいた。段差からこちらを見下ろす少女が、あまりにも画になっていたので見とれてしまった。
「……遅い」
「ごめん、久々に外に出たからついね」
「でもいいよ」
〈スター〉は軽やかに段差を一段だけ飛び越えた。ふわりと舞う姿は銀河をまたにかける王女様のようで、〈ハッピーハック〉の小さな星とは思えなかった。そして、自分の目が間違っていなかったことを確信する。
「今日は、今までの〈スター〉とは違うようにみえる」
「そっか。確かにあれから色々とあったから、そう思ってもらっても仕方がないかも」
「……〈スター〉は何かが変わったの?」
「変わってないよ」
「嘘よ。今までで一番輝いているようにしかみえない」
「私を輝かせているのは、〈エア〉だよ」
「え……」
切実な声がハルから出た。あの一件で、ハルはふさぎ込んでしまった。自分の行いのせいで、数々の人間が人生を狂わされ、その果てに大切な仲間に最悪の結果をもたらしてしまった。その仲間とは、実質絶縁を言い渡され、自分を責めることでしか償いの方法が残っていない。
「〈サニー〉は……ううん、ハルはずっと自分のせいだって思ってるんだよね。〈エア〉を誘わなければ、あんなひどい目にあわなかったって。アキやナツが、そんなふうに思ってたよ」
どうやら家族にまで自分の想いを見透かされていたらしい。〈スター〉は目をつぶって、祈るような佇まいで言葉を続けた。
「誰のせいでもないよ。ハルがやってきたこと、何も間違ってなんかない。誰にも責任はない。……ううん、違う、嘘。本当はわたしが、受けなければならなかった。あの水を浴びて、悲鳴を上げて、〈エア〉が代わることなんて本当はなかったはずで……」
「……〈スター〉」
そうだった。水をかぶるはずだったのはステージ端から近かった〈スター〉だった。ポジショニング的に、偶然あの位置でパフォーマンスを披露することになってしまった。突然の襲撃に呆然としてしまうのも当然だ。しかし、他の偶然によって〈スター〉は助かった。いや、助かってしまったのだ。
「〈エア〉とは、もう会えないって言われた。お姉さんたちの望みなのか、〈エア〉の望みかはわからない。でも、ここに来てほしいってことは、〈ハッピーハック〉の全員に伝えた。……わたしなりに、今までと、これからのことをたくさん考えたんだ」
そして彼女なりの答えを導き出したのだろう。ハルは情動を耐えつつ彼女の話を聞いた。
「何も間違っていない。けど、ここで身を引いたら、本当に間違いになる。……〈エア〉の曲も、〈サニー〉の歌詞も、わたしのダンスも、あれが全部間違いなんて、わたしが認めない」
また段差を飛び越え、ハルの目の前に着地した。小柄だった少女が、ここ数年でハルと同じくらいの背丈に成長していたことに驚いた。成長よりさきに、ハルは本当の意味で目の前の少女を対等以上の存在に思えた。家族や友人、仲間とも違う。思わず、その輝きに縋りたくなってしまうような感覚だ。それを理性で抑え込む。彼女に甘えることだけは許されない。あの輝きに付いてこれる存在は、いまや自分だけなのだから。
〈スター〉が何の目的で〈サニー〉とここにはいない〈エア〉を呼び出したのか、彼女の態度から察しが付いた。〈スター〉が太陽の光にてらされ、空気を吸い込んで、自らの輝きを口にした。
「わたしは明星ノア! これから日本中を、ううん、世界を輝かせるアイドルになる。──傷ついた魂たちは、やがて大きな星になる! 誰も不幸になんてさせやしない! みんなが幸せになれるように、わたしは最後の最後まで輝き続ける!」
そうして〈スター〉は段差を駆け上がった。躊躇はしない、省みさせやしない。〈スター〉の決意を、若さの勢いと断ずることも出来る。だが、前へ進むものをどうして止めることが出来るだろうか。
たった一人でみんなを幸せにする。
「──私も、いつか、本当に」
生きとし生けるもの。今日を苦しみ、明日を望むもの。過去に縛られ、未来を望めなくなったすべての人に、創星の唄を届けたい。
太陽と、星と、空気は、永遠なのだと。
最後の〈ハッピーハック〉は、太陽と星、そして空気が、幸せになれることを望んで、静かに確かに幕を閉じた。
その幕引きを〈エア〉も遠くから見届けた。車の窓を開けて、風のように鳴く二人の歌と合わせて歌を重ね、最後の曲を完結させた。二度と世に出ることのない歌だろう。
もう二人の前に会うつもりはなかった。〈スター〉が何を決意したのか、〈サニー〉が何に心を動かされたのかは、知る必要はない。
「車を出して。もう誰も居ない世界で、静かに終わりたい」
「……いいの?」
「ええ──もう、いままでの私じゃない」
ミソラの白い包帯で顔が覆われており、口と鼻だけを露出した状態にあった。視界が晴れるのはいつになることやら。おそらく、鏡を見ることはないだろうと思った。
「〈ハッピーハック〉の〈エア〉は、あのときもう死んだ。……だから姉さん、兄さん。私で一人で大丈夫だから、いまからでも考え直して」
何より、自分のせいで人生を棒に振ることなんて耐えられない。二人の足手まといになることが、どれほど心を痛める事案だろうか。それなのに、二人の声音はいつまでも優しかった。
「ミソラ、お前が傷つく世界なんて、俺は耐えられない。ちょうど三十を超えてえた教訓だ」
「あのね、私が就いていた立場は、そこらの人にだって出来ることなのよ。けど、貴方を人生の最後まで守ることは、きっと私達にしか出来ない。……ミソラ、貴女が望むまで一生を添い遂げるわ。私と志度が、あなたを幸せにするから」
「……姉さん、兄さん」
胸が締め付けられるくらいに悲しくて、嬉しい。仕事に忙しくても、その愛情は常に受け取っていたつもりだった。そしてあの二人の決意を心の底から踏みにじってしまう自分の心が憎い。
誰も幸せになんてなれない。
──私が、何も幸せになれなかったのに、どうしてみんなを幸せになれるなんていえるだろうか。ミソラは閉じる窓に最後の風を送り届けた。
「ありがとう二人共。大好きだったよ」
好きだったものに別れを告げる。これからは私だけの幸福が待ち受けている。
毎日、家族三人で朝ごはんを食べる。
もうそれ以外に、何も望まない決意をし、三人が乗る車は「みんな」の世界から消えていった。




