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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【EX】第四章 Happy Hack.
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歩く理由

 病院の手術室前で、立ち尽くす四人の影はそれぞれ縋り付くように祈っていた。

 〈サニー〉と〈スター〉は、報せを受けて急行してきた宗蓮寺麗奈と宗蓮寺志度に事情を説明し、緊急搬送された〈エア〉の手術が終わるまで側に付き添うことを告げた。二人も異を唱えることなく、無言のまま時を過ごした。


 何時間も経過した。なのに、手術室の扉が開く気配はない。〈エア〉が受けた苦痛は、それぐらいの時間が経っても和らぐことのないものだろうか。きっとそのとおりだと思った。彼女が受けたものは、人の尊厳を奪うほどに苛烈なものだったからだ。


 いまだにあのときの状況が整理できていない。警察から事情聴取を受けたが、〈サニー〉と〈スター〉は言葉を発することすら出来なかった。マネージャーの配慮もあってか、落ち着いた時に話をする約束を取り付けたものの、彼女の安否を確認できないことには他のことにエネルギーを回せない。

 麗奈と志度は身を寄せ合っている。聞けば、血のつながっている家族はミソラだけだと聞いている。気が気でないのは当然だと思った。


 〈スター〉は床に体育座りで座り込み、顔を見せないようにしている。涙と罪悪感を決して誰にも見せてないけないというある種の責任感でそうさせていると思った。あのときの光景を思い出したくないのに、脳裏に焼き付いてしまったものは一朝一夕で消えるものではないのだろう。


 特に〈スター〉は本来はあの酸を受けるはずだった人物だ。それを一番近くにいた〈サニー〉がかばうわけでもなく、いち早く状況を察知していた〈エア〉がかばった。かばわれた〈スター〉はもちろん、一歩も動けなかった〈サニー〉も自責の念に押しつぶされてしまいそうだった。


 なぜ、あのとき一瞬でも体が動かなかった。会場の方に目を奪われていたなんて言わせない。現に〈エア〉は彼女を守るために動けたではないか。あの悪意の塊のような状況で、身がすくむことなく仲間をかばった。その勇気の結果が、あんな痛ましい慟哭をもたらしたのだ。


 もう一度、あのときをやり直してほしい。


 そうやって頭の中が堂々巡りになっていくうちに、思考を遮る出来事が起こった。手術室の扉が開き医師の一人が出てきた。その人は開口一番に言った。


「ご家族の方、どうか中へ」


 その家族の中に〈サニー〉と〈スター〉は含まない。麗奈たちは〈サニー〉たちを気にする素振りもなく、開いた扉の中へと入っていった。扉がしまったあと、再び静寂がこの場を支配した。二人の手前、会話することもできなかったが、今なら話ができるだろうと思い、〈スター〉の隣へ腰を下ろした。嗚咽を漏らさないように抑え込んでいたのだろう、呼吸が荒くなっているのがわかった。


 なにか言おうと思った。しかし気休めにしかならない言葉しか出てこない。今は待つしかない。〈エア〉が無事に戻ってくることを。


 手術室の扉が開いた。時間にして数十分くらい経ったように思う。彼女たちは〈サニー〉の前に立って、別人のような響きでこう言った。


「ごめんなさい、ミソラとはもう会わせられない」


 顔を上げてみると、麗奈の目が真っ赤になっていた。志度は背を向けて顔を見せないようにしている。


「……顔に希硫酸をかけられた。それで、あの子は──」


 そこから先は口にするのもはばかられたのだろう。あの絶叫を思えば、ただの水をかけられたのではないことはわかっていた。ふと、俯いていた〈スター〉が顔を上げて、絞り出すような声でつぶやいた。


「……わたしの、せい?」


 一点を見つめて、感情が徐々に灯ってくる。


「わたしが、あびるはずだった……わたしだったら、よかったのに……。だから〈エア〉は、泣いて、苦しんで……あ、あぁ……なんで、わたしじゃなかったの……?」


「違うっ、君のせいじゃないわ!」


「わたしのせいだよ! だって、〈エア〉がわたしを庇わなきゃ、あんな痛い声出さなかった! なんで、なんでよ……」


 これは誰がどう諭しても、自責を止められない。傍観者と違い、〈スター〉は手術室の中にいた立場だったかもしれないからだ。

 誰も責がない。なぜなら、〈エア〉に酸をかけた人物は高所から飛び降りて死亡してしまったからだ。







 〈エア〉に希硫酸をかけた黎野明美は、一ヶ月前から〈ハッピーハック〉フルアルバムの会場である複合施設でアルバイトを始めていた。仕事は品行方正そのものだったが、まだ一ヶ月というものもあって周囲と打ち解けている様子はなかった。また黎野の名は、一部芸能方面では名のしれた人物だが、比較的定年近い者が共に働いているのもあって、隠れ蓑としてうってつけだったと考えられるらしい。


 警察は〈ハッピーハック〉だけを狙った計画的な犯行とみて捜査を進めているらしい。だが当の本人は上階のテラスから飛び降りて死亡。目撃者によれば、突然空から大きな塊が降ってきたと証言した。幸い、人に激突するという事態だけは免れた。


 警察の事情聴取に協力的な〈サニー〉と〈スター〉だったが、ある質問だけには応えられずにいた。


「黎野明美が君たちに恨みをもっている動機に心当たりはあるかい?」


 心当たりなんてあるに決まっている。彼女に喧嘩を売り、そのフォローをしなかったのが原因だ。黎野が裏で悪事を行っていることは警察でも周知の事実だ。故に、彼女を捜索していた。彼女が最後に暮らしていた部屋は黎野の名前ではなく別人名義で借りた部屋だったらしく、身を隠すにはうってつけの状況下だった。彼女は虎視眈々とあの状況を狙っていたのだ。彼女たちが自分たちの前に現れないという「楽観」がもたらした、〈ハッピーハック〉の罪だ。


 それを突き詰めれば、誰が原因なのか明らかだ。先導家一同は〈エア〉に会えないと告げられた翌日に、荷物をまとめて宗蓮寺家から出ていった。実家までの荷物は美住が送ってくれるようで、最後に悲痛な表情を浮かべて別れを告げた。


 実家には連日、非難轟々の嵐がやってきている。その度に、ナツとアキが対応しているようだが、ハルは居間にこもって時の流れに身を任せること以外にすることがなかった。

 しかし思考が働かないと時間が止まったような錯覚さえ覚える。一日、また一日が経過し、体を働かす理由がなにもないのだと思い知らされたようだった。


 何もないのは元からだ。物事の道理を覚えるきっかけすら遅かった。世界が広がるにつれて自分の家庭が良いものではないと知っていった。その両親はハルの前からいなくなった。孤独な生活が今後の人生のはずだった。それが幸せなことに、自分にはいないと思っていた家族が存在し、二人のために自分の人生があるのだと、生まれてはじめて目的をもった人生に色付いていった。


 アイドル活動も弟妹たちを幸せにするための一環に過ぎない。みんなを幸せにすることが、周り回って弟妹へと還ってくると思っていたからだ。それなのに、今度はアイドル活動すら人生になった。歩いていた道が想定外の事態を巻き起こし、それの渦を思うだけで胸が熱くなった。


「……どこで間違えたの」


 〈エア〉があんな目にあうきっかけを探してみた。黎野が裏で不正を働き、それが明るみになってしまったときからか。それとも先導ハルが引退したときかもしれない。ハルが小学校に通い周囲との差を実感したとき、両親がいなくなったから、ナツとアキと出会い引き取ったときから、バイトを初めて黎野と出会ったから、〈エア〉と、〈サニー〉と、様々な二人の出会いによって──この因果が完成してしまったとしか考えられない。なんと耐え難いことだろうか。


 全身が倦怠感でいっぱいになるものの、一度も睡魔はやってこない。寝てしまったら悪夢が襲ってくる気がした。今でも耳をつんざくあの悲鳴がこびりついている。消したいと思っている自分と、消えないでほしいと願っている自分が相争っている。突き詰めれば、喪失までの時間を自分が作っている証だった。このまま消えてしまいたい、なかったコトにして楽になりたい。逆に忘れてはならない、何か意義のあることをしないと、そんな思いも強かった。出来ないことは、一歩を進むことだった。足を踏み出すつもりもない。思いだけで世界が変わらないことは当たり前だが、一歩進んだところで何かが変わるわけではないと知っている。


 何かをして、誰かが傷つくくらいなら、何もしないほうが良い。この世界は、そういう人生が一番幸せになれるのではないだろうか。


「……太陽が、いつまで寝ているつもりなの?」


 幻聴にしては、声に指向性があった。ハルは顔を上げて足元から上へ視線を向けた。金色の髪をした少女が憮然と立っていた。


「……〈スター〉?」


 すると彼女は覚悟を決めたように吐息を漏らした。それから膝を折ってハルの視線を合わせた。


「〈エア〉が、言っていたの。わたしは、一人でも輝ける人なんだって。それを、証明しに来た」


 言葉の意味が入ってこない。それから〈スター〉が一枚の紙をテーブルの上に置いた。


「明日、その場所に来て。来なくてもいいけど、絶対に後悔するから」


 〈スター〉はそのまま身を翻して、居間から出ていった。幻覚でも見たのかと思ったが、玄関先でアキと会話しているところから本物であることは間違いない。


 テーブルの上にある紙を取って読んでみた。


「……この場所」


 そこに書かれていたのはある場所へ来てほしいという〈スター〉の願いだった。

 〈ハッピーハック〉が誕生した高層ビル前の広場。

 歩く理由にしては、十分な燃料だった。

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