──準備はできているか
大きなステージだからか、アンコールばまばらに鳴り響く。〈サニー〉はそれを聞きながら、舞台袖に集まってきた二人に言った。
「初めてのアンコール。どう、二人共?」
「……アンコールってなんのためにやってるんだろうってただ思う。だって映画のエンドロール見終わってアンコールなんて言わないでしょう」
〈エア〉らしい意見に笑みが溢れる。模様式と言われてしまえばそれまでだが、発祥ぐらいは調べておいても良かったと思った。
「あと一曲。ここで歌えるのもそれだけなんだね」
アンコールは終わりの始まりとも呼べる。〈スター〉の染み染みさも、ステージへの楽しさを感じたからこそだろう。ここで〈サニー〉はあることを思いついた。ソロアイドルのときではできなかったことだった。
「ふたりとも、円陣しようよ」
突然のことに、二人はまたか、みたな顔をした。
「……何その顔」
「いや。何を突然言うのかなあって思ったら、案外普通だったから」
「うん。また空飛ぶとかいい出してもおかしくない。それに円陣、よさそう。部活みたいで」
部活ではなく仕事ではあるのだが、という指摘は野暮だ。十代の青春らしさなど〈ハッピーハック〉にはないと思っていたが、振り返れば割と青春していたような気がする。
円陣の形はなんとなく手を差し出してみてから、各々好き勝手にとう方式に任せた。〈スター〉が〈サニー〉の手の上に自分の手を重ね、そして〈エア〉がまたその上に重ねる。いつだったか、〈ハッピーハック〉が発足したときと同じ構図になっていた。
何を言うかは決まっている。〈ハッピーハック〉は唯一つの理念を元に集っているという建前があるのだから。
「──みんなを幸せにする準備はできているか!」
はい、ええ、とそれぞれの返事を聞き届けたあと、〈サニー〉は勢いのままに叫んだ。
「Happy Hack! Ready──」
「──GO!!」
三人の声が重なったあと、最後の曲がドーム内へと響き渡った。
三人は別れと出会いをテーマにした曲を、最後の最後まで全力で振り絞ったライブでアンコールのお返しにしていった。
観客がそれぞれの持つサイリウムを降ってそれぞれの思いを伝えに行ってくる。初めての大型ライブはむちゃくちゃで、よく観客たちは付いてきたものだと思う。
満席には程遠いドームの中より、その外では未知に満ちあふれていた人たちが待っている。一度たりとも、同じ出来事は存在しないように、同じ顔の人が居ても同じ考えの人はいないのだ。その一人ひとりに出会い、少しでも幸せになってくれたら〈ハッピーハック〉を続けてきた甲斐があったのかもしれない。
〈サニー〉はパフォーマンス中の自分の顔をみれない。でも、いい顔をしていることだけは分かる。だってそうでないと、両隣の二人がこんなにも楽しそうに踊っているわけがないのだから。
カメラを向ける者は、いつまにか自分の目で見たがって途中で下ろすものが多発する。たとえ大きな利益を得たとしても、この一瞬だけは何者にも代えがたいう瞬間であったと感じたことだろう。
これが、〈ハッピーハック〉の快進撃、その一幕だった。
ライブの後の顛末は摩擦の強いことばかりが起こった。
まず1月末に、Lakersの面々が記者会見を開き、ファンタズムの実態を暴露した。それにより、黎野明美は行方をくらませてしまったようで、代わりの社長がファンタズムに付くようになった。彼女たちが暴露しようと思ったのは、自分たちがこれからもアイドル活動をしていくためだと語った。ファタズムの内情や、後に起こるエリカの家庭のお家騒動もあったりして、〈ハッピーハック〉と入れ替わるように表舞台からの露出が減っていった。だが、未だに細々と活動は続いているようで、ファンタズムの後輩たちにアドバイスを送っている姿が、先に活躍する後輩たちに伝わっていった。
〈ハッピーハック〉は、通常通りの活動を続けながらも、依頼の規模が膨れ上がってしまい、ついには個人活動を中断せざる負えなくなった。そこで宗蓮寺グループが設立した芸能事務所に身を置き、活動のマネジメントを外部に任せることにした。〈ハッピーハック〉の新たな活動場所は芸能界に移行することになった。
これにはれっきとした理由があり、日本以外の人にも〈ハッピーハック〉の歌を届けるために始めたことだった。既存ファンどころか、新規ファンの獲得へ動く様子はアジア圏の国から評価を受け、楽曲の一部が海外の番組の主題歌に使われることもあった。
既存のファンを大事にしつつ、海外向けに〈ハッピーハック〉を広げていく。いままでの負の遺産と違う点は、〈ハッピーハック〉側に提案されてきたものの拒否権があることだ。特定のファンに有利なことはしない。個人向けの活動はできなくなったが、その分より身近な幸せの象徴として〈ハッピーハック〉は有り続けた。
しかしあの新年のライブから一年と少しが経ち、少しずつ事情は変わっていく。それはあるメンバーの脱出機会がでてきたことから端を発した。
「……みんな、ごめん。もうみんなとは、活動できない」
頭を下げたのは〈エア〉だ。彼女は宗蓮寺グループを次ぐために、海外の学校へ転入すると決めたらしい。
不思議と怒りも悲しみも沸かなかった。前々から、他の優秀なメンバーが入るまでの繋ぎなのは承知している。しかし今まで活動には本気で取り組んでいたように思う。それは〈サニー〉や〈スター〉と同じ思いのはずだ。
「……なんとか、ならないの」
〈スター〉は人一倍〈エア〉に心を奪われている。だからか、強く引き止めてしまうのは理解できる。心のなかで、いつまでもこの状態が続くこと願っていたはずだ。
「わたし、三人とじゃないと、ぜんぜんダメなんだ……」
「〈スター〉、一人でも輝けたことを忘れないで。わたしや〈サニー〉では出来なかったことをやるには、わたしたちという存在は邪魔でしかないのよ」
「そんなのいらないっ。わたし、みんなと一緒にアイドルが──」
「甘ったれないで〈スター〉!」
叫び声に〈スター〉の身がすくんだ。
「──何年も、何十年も同じ関係が続くわけじゃない。ずっと一緒に居たら安心感はあるとおもう。けど、それって幸せなことだとは思わない。……歩みを止めてしまったとき、辛い現実がゆっくりと襲ってくるの」
それは〈ハッピーハック〉の活動だけでは、彼女は満足できなくなっていると明かしているようなものだ。それはそうだ。〈ハッピーハック〉は常にみんなの幸せのために身を削ってきた。……気を張っていたが、一人の人間として抱える心労を超えているのも事実だ。それがあの一年前のドームライブでみせた、〈ハッピーハック〉という存在の限界だった。
「〈スター〉、私はとっても幸せだったよ。みんなといっしょにアイドルという世界に入って、たくさんのことを経験して。本当にかけがえのないものばかりを貰った。……だからね、今度はもっと大きな場所からみんなを幸せにしたい。そう願えたのは、ここでの活動がきっかけ。だから──」
次の初のフルアルバムのリリースイベントで、〈ハッピーハック〉の〈エア〉は旅立つことになる。運命の日は、すぐそこまで迫っていた。
「運命の日がきたよぉ、〈P〉……」
薄暗い部屋の中で、黎野明美はカレンダーのばつ印が迫っていくのを見て頬を弛緩させた。ゴミが散乱し、異臭が撒き散らされる。毎日牛丼を食べても死なない程度の一生を送ることは可能だ。かつての面影は不健康な生活と膨れ上がった贅肉によって見る影がなかった。
黎野は〈ハッピーハック〉の活躍を全て見てきた。誰よりも考察をしてきた自負はある。
彼女たちは才能に満ち溢れている。自分が見出した原石は間違っていない。磨き方も正しかった。間違いなく、黎野明美が彼女たちを誕生させたようなものだ。いわば自分は〈ハッピーハック〉の母と呼ぶべき存在で、たたえこそすれど裏切ることなどあってはならない。
辛いことを味わってきた。それを我慢できないものが、栄華を掴むことなどありえないし、許されない。黎野が味わってきたものは、屈辱以外の何物でもなかったし、生存への道へとつながった。さらには、最近までの輝かしい未来を築くことさえできたのだ。
「裏切り者は死ね。裏切り者は死ね。──一番最悪な方法で、幸せを奪ってやる」




