どこまでも歌ばかりが響いて
三時間ぶっつけでライブをしたあと、お腹が空いたので一時間ほど休憩を挟むことになった。エネルギー補給に消化がよく、栄養満点の食べ物のうえにクエン酸をふりかけていく。酸っぱい味が全身に染み渡り、そこでようやく全身の披露を自覚するのだった。
「姉ちゃんたちもうクタクタじゃねえか。次の衣装も用意しておいたから、汗拭いてメイク直してこいよな」
「あ、ありがとうナツ。……うぅ、MC挟んでもこんなにきつかったっけ」
「三時間は、わたしの最高記録。けど、これ以上は無理っぽい。喉カラカラ」
「全く、無茶企画なんだから今更でしょ。あなた達のそれはただの心理的限界。次の曲でもやってくれば、否応でも歌うし踊れるでしょ。アイドルなんだから」
〈エア〉が発破をかける者の、当の本人はパイプ椅子をベッドに見立てたところで寝転がっていた。
「そういう貴女は何しているのよ」
「仮眠よ仮眠。仮眠こそが急速を乗り越える最強の方法よ。お腹にご飯たまってるから、消化に負担かかっちゃうのがあれだけど」
じゃあやめたらいいのに、と口を挟みそうになるが、仮眠は悪い方法ではない。〈サニー〉は腕を枕にして机の上に頭をのせて仮眠を始めた。〈スター〉を同じように仮眠をしだし、ライブ中だというのに呑気な状況が出来ていた。
だがステージに立つと疲れが吹き飛んだように縦横無尽にステージ内を踊っていく。〈ハッピーハック〉が手掛けた楽曲は三〇を超える。すべての楽曲は一辺倒な演出をせず、時にバラバラに、ときにまとまり、この場にいるものに飽きさせない工夫を適宜与えてくる。
決して綿密に打ち合わせていたわけではない。それぞれのアドリブに対応していき、まるで三人の即興演出を作り出していく。視界が晴れた状態とは、まさにこのことで、観客たちも尻上がりになっていく〈ハッピーハック〉のパフォーマンスに心を奪われていく。
次はどんな曲を歌い、どんな踊りがやってくるのだろう。セットリストも場の状況に合わせて順序の変更を行い、気がつけば観客たちの体力を奪う羽目になっていった。
第二陣から数時間後、始めて〈サニー〉がステージ上で膝をついた。
「ふぅ、ふぅ……ちょっとだけ、休憩──」
そのままステージ上で倒れた。
「あーあ、これすごく怒られそうだなあ。パフォーマーがステージ上で寝るなんて何事かって」
だが今回は、誰にも迷惑をかけていないので、良しとした。あと数曲で終わってしまう。しかも今回のために描き下ろしの楽曲だ。体力を全て絞り出してでも披露したい所存だ。
観客は新陳代謝のように入れ替わり立ち代わりを繰り返している。居残り続けるものもいるだろうが、一つの場所に固執してしまうのも気力の限界を迎えるはずだ。
〈サニー〉は立ち上がろうとするが、膝を建てるだけで精一杯だった。〈スター〉と〈エア〉も同様で、体力の限界を迎えようとしている。ここまでか──とギブアップを宣言しようとしたところで、嵐が突然ステージ前からやってきた。
「なさけないわね〈ハッピーハック〉。そんなんじゃ、アイドルとして未熟以外の何者でもないわ」
観客の垣根が割れていく。まるで王がそこを通りかかるように開いた道の中には、まさにアイドルの絶対王者が凛と佇んでいた。
「……見に来てくれたのね」
「勘違いしないで。あまりにもみっともないから、私達Lakersが奪っちゃおうっかなって」
マイク越しの声だった。つまり、裏方が彼女たちにマイクを渡したか、それともあえてわたしたのだろう。〈サニー〉は取りあえずチャンスかもと思い、こう言い放った。
「じゃあ、しばらくステージ上げる。この観客たち、相当な手練だから気をつけてね」
「誰に向かっていってるのよ」
トーリヤ・エプセンスが言い放つ。
「今は私たちがトップアイドル」
そうして、Lakersの楽曲が流れ始め、観客のボルテージは最高潮を迎えた。視線が彼女らに集中している間、ステージ上の〈サニー〉たちはアキたちによってステージ横まで引きずられていった。〈サニー〉はアキに事情を説明するように視線を促した。
「あの人達がやってきて、ステージを最後まで成功させたいってたの。……お姉ちゃんたち、限界だから代わりにパフォーマンスさせてほしいって。その間に体力を回復させれば、残りの三曲、歌えるかもって思ったの」
アキはLakersのことを知らない。だから安易に彼女たちを引き込んでしまったのだろう。だが、それでいいと思った。良いステージには良いライバルが必要だと実感したからだ。
「アキ、Lakersのサポートをお願い。私達は最後の準備に取り掛かるから」
最後の三曲は、このライブの中で唯一演出を付けたクライマックスの楽曲だ。
三人は医務室でそれぞれの体をほぐし合いながら、準備を整えていった。仮眠の最中にLakersの歌が聞こえてくる。あの三人が何を企んでいるのかは知らないが、彼女たちの存在がみんなを幸せにするアイドルが生まれたことに関しては心の底から感謝したい。
きっと一人ではアイドルは続かなかった。〈エア〉に助けられたとき、〈スター〉の踊りを見たときは、まだ何者でもなかった。
未だに誰も何者でもない。Lakersも己を探している最中だろうし、誰だって死ぬ最後の時まで、自分というものが確定できない。
だからまっすぐ行くしかない。まっすぐ、信念を通して貫いていけば、少なくとも後悔を背負って終わることはないのだから。
何十分、何時間が経過したのだろうか。に目覚めたのは〈サニー〉だった。
「〈サニー〉。いくよ」
「最後の大勝負、皆さんに見せてあげましょう」
二人の準備万端な姿に頷いたあと、〈サニー〉はステージ端へ向かった。ステージ下では未だに凛と佇んでいるLakersの面々が居た。時刻は十八時を回ったところだ。観客は完全にLakersムードになっている。
──構うもんか。
〈ハッピーハック〉はLakersで幸福になっているところを奪い去っていく、とんでもない泥棒であることを証明してみせる。SOURENJI関係者の手によって、三人は専用の装備を身にまとい、そしてLakersが楽曲を終えた瞬間に、ステージへと躍り出た。
観客が〈ハッピーハック〉の登場に歓声をあげた。それからトーリヤが息をちらしながらこう言った。
「ほら温めてあげたわよ。ここから、ファンたちの心を取り返せるかな?」
「別に取り返す必要はない──。もう取り返しているから」
瞬間、愉快な音楽があたりに響いた。それから〈エア〉と〈スター〉がステージの崖付近まで駆け出し、跳躍した。下には観客の群れ。激突は必至──瞬間、二人は振り子のように上昇を始めた。ワイヤーに繋がれた彼女たちは、ドームを自由自在に駆け巡る星と空気になった。ならば太陽にも期待がかかる。彼女が跳躍した。さきほどまでLakersがパフォーマンスを行っていたであろう部分へ落ちようとし、それから空中へ羽ばたくかと思われたその時、〈サニー〉の体が一瞬で赤いものに包まれた。炎が彼女の体を包み込み、歓声に似た悲鳴があたりを支配した。
トーリヤが驚きで口元を覆う。だが次第に炎が形を帯び始めていく。〈サニー〉を包んだ炎が上昇していく。それから飛翔中の他の二人が炎へと近づいていった。
そして楽しげなイントロが突如、荘厳な曲調へと変わっていく。
二人が炎の向けて歌い始めてたのを機に、炎の色が赤から青、そして青からオレンジへと色を変えていく。瞬間、炎が霧散し、火の粉が辺りに飛び散った。だが熱い感覚が観客に降り注ぐことはなかった。
最初に羽ばたいたときと衣装が変化している。神々しい絹を重ね、夕焼けから朝焼けの色まで混ざりあった、まさに「太陽の化身」と化した〈サニー〉が降臨した。
彼女が着地した瞬間、スタジアム全体が一瞬で塗り替えられていく。ここから最高をただ追い求める。
この十五分だけは、〈ハッピーハック〉の世界だった。色とりどりの景色の中で、三人の少女がひときわ輝いていた。そして観客の熱狂は最高潮を迎え、幕を閉じた。
三人は歓声に答えるように手を降って舞台袖へと消えていく。
そして、アンコールの幕が鳴り響く。




