太陽のいなくなった日
部屋の掃除が終わり、ナツとアキが調べごとをしている間に、ノアは端末を開いて〈ハッピーハック〉の動画を始めとした現在活躍中のアイドルの動画をみていた。
大手の芸能事務所であるファンタズムは、俳優、芸人、アイドルなど、幅広い人員が揃っているらしい。影響力も強く、過去にファンタズム所属のアイドルが不祥事を起こした際には、そんな事実はないという声明を出し、数ヶ月の謹慎で現役へと復帰した。そんな事例がたくさんあった。
Lakersのメンバーでも他のアイドルグループに暴力を奮ったという疑惑があった。裁判にまでもつれ込んだが、子供同士の喧嘩ということもあってLakersのメンバー側の不起訴が確定し、そのアイドルグループは解散している。
ネット上は信憑性は薄いが、公のことに関しては事実を描いている。そこに様々な憶測と先入観に頼った意見が散りばめられているせいか、問題の本質が隠れてしまった。
〈ハッピーハック〉はどんな意見があるのだろうと思ったが、きっと他の問題と同じだと思いそこで閲覧をやめた。頭の中が焼ききれてしまいそうだ。
そうやって時間をつぶすうちに、玄関先の扉が開いた。男が帰ってきたようだ。
「……なんか、部屋きれいになってんな。余計な真似すんなって言わなかったか」
「冷蔵庫の中身を使うなと言われただけじゃない」
男は舌打ちをして重たそうな買い物袋を床においた。ノアはすかさず、彼の荷物を持っていこうとした。
「おう嬢ちゃん助かるぜ。腹空きなガキどものために、結構奮発したんだぜ」
彼がそう言ったので袋の中身を覗くと、ファストフード店のジャンクな香りや寿司たちが詰まっていた。
「……ハンバーガーはあるか」
ナツが尋ねると男はにかっと笑った。
「おうよ。部屋の掃除ありがとうな。好きなだけ食え」
「……ふん、こんなんで姉ちゃんの積立がチャラになると思うなよ」
そう言いながらも、ノアの代わりに荷物を持っていくナツに、ノアは笑いそうになった。反面、アキは一切顔を合わせようとしない。男の方も一瞬見ただけで、それ以上関わろうとはしなかった。台所にいた〈サニー〉にノアは耳打ちした。
「もしかして、アキさんの積立がどうのこうのって」
「ええ、彼がそう。暴力団所属の借金取りで、棚に隠したお金を奪った挙げ句、パチンコで全部刷った。それでこの件がバレればクビが飛ぶと脅したから、部屋を貸してくれたり、いろいろお手伝いさせることができたわけ」
それは恨みを持つに値する出来事だとノアは思った。ただし〈サニー〉の場合はそれを利用して益を手にした。他にもいざというときの保険を持っていそうだ。
「さて、隠れ潜むのはいいけど、二、三日は学校へいけなくなるわね。せめて、貴方を家に返したいところだけど」
「……学校でも注目浴びると思う。アキさんとは同じ学校だしなおさら」
「うん、きっとそう。だからこのままにはしないわ。こういうときは信頼における人を頼るのが結構聞くのよね」
彼女の表情からして、すでに先回りして行動はとっていそうだ。ノアに出来ることはその流れに従うだけだった。
「俺が組の情報をさぐれだあ?」
食事中にそう提案した〈サニー〉に志島城が眉を顰めた。〈サニー〉は当然のように続きを口にした。
「以前、ファンタズムの社長とガラの悪い男たちがあってるのを見たことがあるのよ。あなた達の組織は大分下の組織でしょうけど、大手の事務所と繋がりのある組の傾向はつかめるかなと思ってね」
「あのなあ、探るまでもねえよ。俺らは関東連合会っていう大きな枠組みの中の一つだ。政治家や企業、大手事務所の御用達ってんなら俺たちのような借金取りしか脳のねえ奴らが深い入りすると面倒な目に合う。この部屋が軽く燃えちまうかもな」
彼は当たり前のようにそう言い切った。
「そ、そういう感じで繋がりがあるんですか、その、政治とか企業とかは」
「当たり前だろ。だから大手を振って活動できるんだ。不正をもみ消したり、邪魔な奴らを潰すために派遣したりとかな。それで目こぼしを頂いてるってわけだ。ま、昔と比べたらあまちゃんになったんじゃねえのかとも思うがな。ドンパチも喧嘩も、ヤクザはへっぽこ化したって評判だ」
と、違う世界の話を聞かされていたノアは、常に異様な緊張感を持っていた。逆に先導家は何するものぞ、という平然さを持っている。こちらのほうが常軌を逸している気がした。
「つーか、そちらの嬢ちゃんって、例のアイドルメンバーだろ。確かもう一人ぐらいいただろ。そいつは一緒じゃねえのか」
「さあ。けどそれもすぐわかりそうだけどね」
「サ、〈サニー〉、いまなんて!?」
食事が喉へつっかえそうになった。〈サニー〉は続きを口にした。
「ほら、レストラン行って、〈エア〉はそこでバイトしてた。週に二回ピアノの演奏でね。彼女を雇っていたなら、店側は詳細なプロフィールを知ってるはず。むしろ知らなかったら問題よ。だから、伝をたどってどうにか情報手に入らないかと思ってね。いま、店長室へ侵入中みたい」
なにやら水面下でとんでもないことが起きていたようだ。〈サニー〉は泥棒でも雇っているのかと不安になった。それからまもなく、〈サニー〉の端末上に通知が入った。
「……あら、見つかっちゃったみたい。クビになりそうだから示談と雇用お願いね、と、愛しい先輩からのメッセージ」
先輩、と聞いて先日〈エア〉を探しにレストランへ行ったときのことを思い出した。モデルのような綺麗な人と〈サニー〉が親しげに話していた。彼女が「先輩」という人なのだろう。その人が〈サニー〉のために、個人情報を手にしてそして見つかってしまったと。
それはなんだか恐ろしいことのように思えた。ある情報を手にするために、手段を選んでいない点では黎野と同じではないか。
「〈スター〉先輩、浮かない顔している」
「だって、そんなの不正だよ。その先輩に悪いことさせて、〈サニー〉はなんで平然といられるの?」
〈サニー〉の行動は矛盾している。あれほど芸能界が嘘と不正にまみれている場所だと行っていたのに、いま他の人にさせていることは芸能界の現状を作り出す一端ではないか。
「言い訳はしない。貴女の言う通り、いけないことを私はしている。今回だけじゃない。この人を脅したのも本当はいけないこと」
言い訳するまでもなく彼女は認めた。その先を口開くことはなかった。ただ不正をしていることを認めただけ。釈明も弁明も、何もなかった。
「……わからない。〈サニー〉がそんなふうに受け入れちゃうのも、〈エア〉が突然いなくなるときも。……わたしの、気持ちも」
彼女が自分の利益を追求する人でないことは分かっている。〈エア〉を見つけるためにやむなくそうしたことも。そして自分の気持ちこそ相反している。不正はいけないことだと嫌悪感がこみ上げてくるのに、〈エア〉を早く見つけて欲しいと願っている。
「みんな、バラバラになっちゃったのは、どうしてなの。〈サニー〉、〈エア〉、どうして……?」
どんな感情を浮かべればいいのかもわからない。こういうとき、涙の一つでも出ればよかった。なぜかそうはならず、脳が思考を放棄している。感情なんて浮かびようがなかった。
「〈スター〉は、これからも〈ハッピーハック〉がしたい?」
〈サニー〉がそう聞いてきた。〈エア〉も〈サニー〉も〈ハッピーハック〉に疑問を持っているのだろうか。それはつまり、ノアが手に入れた大切なものが幻想だと言っているようなものではないか。
「わたしは、一人じゃみんなの前で踊れない。けど、みんながいたから一人で踊れる。歌うのも好きになってきたし、アイドルってすごく楽しいし充実してる。……みんなを幸せにすることは、わたしにはできないけど、いまようやく自分を幸せにできたような気がするから。……だから、いなくなってほしくないよ」
かけがえのないものをたくさん手に入れた。家に集まって依頼者ひとりひとりのためにパフォーマンスを変えていったり、〈エア〉が作った楽曲を体が感じるままに何時間も踊ったりと、〈ハッピーハック〉の〈スター〉として活動を始めてから、心の底から幸せだった。
この幸せは自分だけのものだ。誰にも分け与えられるものではない。〈サニー〉や〈エア〉みたいに、深く考えるのは苦手だけど、二人の考えを読み取って大切に思うことなら、誰にも負けないと思っていた。
だけど、いま。いなくなった〈エア〉どころか、目の前にいる〈サニー〉の考えが全く読めない。二人の思考や行動が、いまの明星ノアを形作っている。それが迷いや矛盾を見せたのなら、ノアの原理が崩れたのも同義だ。
どうすればいいのだろう。〈ハッピーハック〉は、アイドルは、そして明星ノアはここで終わってしまうのだろうか。
「〈スター〉、初めてあったときのこと覚えている?」
〈サニー〉は突如ノアにそう言ってきた。もちろん覚えている。一年半前に、あるビルの一角で踊っていたノアを見つけたのが、まだアイドルではなかった先導ハルだった。以来、あのビルでは近づかなくなり、別の場所で踊っていたところをファンタズムのスカウトマンに候補生としてスカウトされたのだ。
〈サニー〉と出会ったときの印象を記憶の底から引っ張り出す。いま思えば、人見知りが激しすぎると思い、羞恥が込み上がってきた。
「あ、あのときは、突然逃げてしまってごめんなさい。その、まさか見ている人がいるとは思ってなかったら、つい」
「だと思った。けど、貴方の後ろを通りかかっている人、全員見てたんだから。気付いていないほどに熱中してたようだけど」
あのときは、鏡張りの場所を使うにはダンスレッスンに行く必要があったのと、あのオフィスビルの一階がいい感じに全身を映したのが練習場所に選んだ経緯だ。そのときは、ダンスに特化したパフォーマーを欲しがっていたある事務所のオーディションのために、練習を重ねていた時期だった。ダンスレッスンは土日しかなく、平日は公園の広場や自宅部屋での練習で済ませていた。だが自分の動きを確認するのに、端末のカメラをいちいち確認するのも億劫なので、オフィスビルの一面ガラス張りの箇所に赴いた。
結果として、沢山の人がノアのダンスを見て評価してくれた。ファンタズムの新規プロジェクトの候補生となり、突然のオーディションで十分に結果を出せず、一年半もの間はダンスオーディションを受けては落選を繰り返して、そしてあの日に〈エア〉と出会った。
「ねえ〈スター〉。まだ一年も経っていないのに、〈ハッピーハック〉は邪魔される存在になった。これって普通に考えたら凄いことよ。いくら私がいたからって、普通は奇異な活動をしていると一笑されて終わりのはず。きっと、私一人じゃむりだし、これからだって無理」
そう言ってから、〈サニー〉は食器を片付け始めた。彼女はそのまま身支度を始めた。
「どこ、いくの?」
「〈エア〉のところ。さっき、先輩から名前を教えてもらった。そりゃ、隠すに決まってる。私が同じ立場でも同じことしたと思うから」
「じゃ、じゃあわたしも一緒に──」
「〈スター〉は待機。大勢で行ったら目立つし、ゴタゴタで気力体力、十分に回復していないはず。なに、いなかったらすぐに戻る。ここに〈エア〉を連れてくるから」
眩いばかりの目の輝きで、彼女の真意を理解したような気がした。彼女は〈ハッピーハック〉を諦めていないし、諦めないために褒められないことを行ったのだ。それは回り回って、〈エア〉や〈スター〉の願いを叶えることになる。
「じゃあいってくる。二人共、外に出ないようにね」
ナツとアキは心配そうな眼差しを向けるも、すぐにいってらっしゃいと告げた。志島は何も言わず、帰りにビールを土産に買ってこいと言い放つ。〈サニー〉の後ろ姿が扉の向こうに消えるまで、〈スター〉は言いようのない不安が込み上がってくるようになった。
一時間、二時間が経ち。
三時間、四時間が経った。
深夜になっても、〈サニー〉が帰ってくることはなかった。




