運命開始
公園の場所は二十三区から少し離れた閑静な住宅街にあった。先導家の最寄り駅から数駅ほどで到着し、そこから徒歩で十分歩いた。三人はそれぞれスーツケースを携えていたが、この段階で様々な問題が浮き出てきた。
「着替え、どこでしよっか」
「トイレでいいんじゃないですか」
「そうなるわね。けど、仮にも借り物の衣装なのに、汚してしまわないかしら」
もし公民館なら着替えのスペースを用意してもらえたかもしれない。初めての仕事が屋外であったからこその弊害だった。
「こういうとき、車が欲しくなるよ」
「残念だけど、車を運転できる協力者は一人も居ないわ」
美住ならあるいは、と希望を持ってみるが、残念ながら彼女にこの活動のことを知られるわけには行かない。彼女から姉に必ず報告が下るからだ。作曲活動のことまで知られてしまったら、どんな言葉を姉たちからもらうか分かったものではない。
三人はとりあえず、目的地の公園までたどり着き、公衆トイレ内で着替えていった。時間までは余裕があるので、段取りを念入りに確認する。
場所は公園の広場のど真ん中で、いま依頼者らしき男がキャンプ用の椅子に座ってサイリウムを持っている。ミソラはそれを見てからすぐ、自分たちがこれから何をするのか想像がついてしまった。
立派なステージもなく、飾り付けすらない。観客は一人で、他は小さな子どもを持つ家族連れで溢れかえっていた。そんな中で、アイドルの格好した三人の少女と、一人の男が対峙するのだ。せめて人気のないところが良かった。
「大丈夫でしょうか、わたしたち」
〈サニー〉が着替えている間、〈スター〉がミソラに不安を吐露した。こちらも同じ気持ちだった。しかし、すでに報酬は決済されている。ここで引き下がるわけには行かない。
「〈スター〉こそ、こんなに人がいるけど踊れる?」
「……わかりません。だって、一度上手くいったからって、次もうまくいくとは限らないじゃないですか」
〈サニー〉が提案した方法で、〈スター〉は曲の振り付け完成させた。そしてミソラたちと合わせて踊ってみたところ、なんと緊張によって動きを崩すがなかった。本人は一緒に活動してきて慣れが出てきたからだと語っているが、それとプラスして自分で編み出したものは呼吸のように振る舞うことが出来るのだろう。ミソラも自分で作った楽曲はピアノで演奏できる。それと同じだ。
「こればかりは、やってみないとわからないわね」
〈スター〉とミソラの間に漂っているのは、これは正しいことなのかという不安だった。普通のアイドルは、イベント設営でもしない限り踊ろうとはしないだろう。意味がないからだ。この意味の無さが、〈サニー〉の掲げるものへと近づくのだろうか。
〈サニー〉が着替えを終えてトイレから出てきた。彼女は首を傾げて、〈スター〉と〈エア〉をみやり、その場で腕を組んだ。
「みんな、私たちが狙うのは、目の前のお客さんだけよ。周りの人たちは、ステージのことを知らないし、気にすることはない。だって、もしその人達がこちらへ注目しちゃったらラッキーに思いなさい」
真面目な顔で〈サニー〉は言った。自然と彼女の言葉に引き込まれている。
「それによ。私達より、依頼者のほうが勇気がいるはずだと思う。見知らぬアイドルに千円で会える。練習風景を見て、何かの予感を感じて貴重な時間を投資しようと考えてくれた。でも、本当に来てくれるのかって不安もあったかもしれない」
ミソラは思わず声にならない声を漏らした。彼女のいうとおりだ。〈スター〉も、緊張感を一層強めながらも、先程とは違う面構えをしていた。〈サニー〉はレンタル衣装を整える素振りをして、自分の手を前に差し出した。
「お互いに後悔しないように全力を尽くしましょう」
「……はいっ」
〈スター〉が〈サニー〉の手の上に自分の手を重ね、それに合わせて〈エア〉も手をおいた。
「やるしかないわね」
三人は覚悟を固めうなずきあった。〈ハッピーハック〉、初めてのライブが始まる。
公園広場で、ミソラたちの姿は異様に捉えていた。衣装がレンタルだといっても、質感は上等なものでまさしくアイドルにふさわしい装いをしていた。
依頼者と〈ハッピーハック〉の距離は数メートルもない。あるのは曲を流すためにおいた荷台の小型スピーカーのみだ。依頼者の男性は年齢は三十代を超えたか超えないかぐらいの微妙な佇まいで、チェック柄のシャツとジーンズというシンプルな服装をしていた。彼は〈ハッピーハック〉が目の前に現れてから、口元をぱくぱくとさせていた。
「う、うそだろ。……なんでここにあなたがいるんだよ……」
彼は一発で〈ハッピーハック〉のセンターに立っている〈サニー〉が何者かを言い当てていた。〈サニー〉はあら、と肩をすくめてから、男に言った。
「トリガーさん、でいいのよね。まずは〈ハッピーハック〉の依頼、まことにありがとうございます」
礼をした〈サニー〉に続いて、〈スター〉と〈エア〉も同じようにした。
「えっと、そうですね。実は貴方が初めての依頼でしたので、多少は緊張しています。ですがそれは貴方も同じこと。──まずは一曲だけ披露させていただきます」
準備はいいか、と〈サニー〉が〈スター〉と〈エア〉を一瞥する。視線だけで準備はできていると訴えた。
それから曲が始まる構えを取った。異様な緊張感が走る。初めてピアノで演奏をした時を思い出そうとして、それとは全く似ていない感覚だと知る。これは、きっと、今この場でしか味わえない、緊張だった。
一瞬、時が止まったような静寂のあとに、それはやってきた。
全身が振るわせるエレキギターが鳴り響く、再び静まり返りそうな瞬間に徐々にアップテンポなイントロがなり始めた。
三人は同時に踊りはじめた。激しいロックナンバーにあわせ、〈サニー〉を中心に激しいステップを交わしていく。ミソラの思考は曲と自分の体、そして〈サニー〉から始まる歌にしか意識が向かなかった。
〈エア〉が曲を作り、〈スター〉が振り付けを作り、そして〈サニー〉が歌詞を作った。
一度地に落ちたものが再び這い上がる勇気の歌に仕上がった。
ただ夢中で歌を歌った。必死に振り付けを披露した。ときおり、声が上ずって上手く歌えないときも、〈サニー〉や〈スター〉がそれ以上に力を奮ってくれた。
そして他の誰かがミスをしたときは、すかさずフォローを入れて流れを止めないように勤めた。
約四分間、恥も外聞すら捨ててひたすらに。最後の瞬間まで、体力と肉体の許す限り全身でパフォーマンスを終えた。
曲が終わってから数秒くらいしたあと、〈サニー〉たちはポーズを解いた。
「聞いていただいてありがとうございました。……あの、よろしければ感想を聞きたいのですが」
「──」
男は黙ったまま静止していた。そのままオブジェになってしまったのだろうかと思ったその時、男が突如立ち上がってつぶやきはじめた。
「俺さ、ほんとうになんでこんなのにお金払ったんだろうって、君たちが来るまで不安でしょうがなかった。本当に、見つけたのは偶然だったんだ。たまたまネットでアイドルの動画をさがしていたら、君たちの練習風景が映っていたんだ。しかも始まったばかりで、もしかしたら俺が第一人者になれるかなって、ちょっと不順な動機であのサイトにアクセスしたんだ。ただ、なんとなくで」
トリガーと名乗った男はもともといろんなアイドルを追っかけていたようだ。それも有名なものからマイナーなものまで幅広く、そのアンテナが〈ハッピーハック〉を見つけるきっかけになったようだ。
「トリガーさんって、本名ですか?」
と、素っ頓狂なことを聞く〈スター〉に、トリガーは苦笑いを浮かべた。
「本名だともしかしたら詐欺に引っかかるかも知れないじゃないか。すでにお金払っちゃってるし、せめて身元だけは明かさないように努めてね。けど、色んな意味で千円を超えた体験をさせられたよ」
つい一ヶ月ほどまでに引退したアイドルが居たのだ。ミソラが同じ立場でも驚くに決まっている。なので、男が先導ハルの話題を続々とだすのだろうと宛をつけていたのが、意外な展開がやってきた。
「ねえ、後の二人のことも訊いてみていいでしょうか。あの宗蓮寺ミソラが見初めたメンバーなんでしょう? 二人共、彼女に負けないくらいのパフォーマンスだった」
「あ、ありがとう、ございます……。正直、上手く踊れたかでいっぱいいっぱいだったけど、良かったです……」
「なに。俺だけが君たちの虜になっているわけじゃない。ほら、みてごらん」
ミソラは彼の指摘通り、周囲を眺めた。注目を浴びているのは分かる。だが、一部の層が知覚に寄り集まっていた。小さな子どもたちは呆然と〈ハッピーハック〉を見ている。アイドルというものをまだ知らなさそうな子どもが、足を止めている事実をミソラはどう受け止めるべきだろうと考えてしまった。
だが一人だけ、この状況下で笑みを浮かべる者がいた。〈サニー〉の目線が何を訴えようとしているのか分かってしまう。期待と興奮が見事に混じった「太陽の目」に対しては、どんな無茶要望であっても聞き受けてしまいそうになる。
「タダ働きはしないんじゃなかったの?」
「いいのよ。こういう地道な活動がお客さんを増やすんだから」
ああ言えばこう言うのが、〈サニー〉の常套句なのだと分かった。次から〈ハッピーハック〉の〈エア〉は、彼女の行動を諌める役割になりそうだ。〈ハッピーハック〉は目の前に現れた小さな観客のために、もう一曲だけ披露した。
曲の名前は『狂い咲きデスティニー』。
もう狂うことでしか前に進めない、〈ハッピーハック〉の十八番となった。




