みんなを幸せにするアイドル
「さて、ようやく私が見初めた二人のメンバーが揃った。これからは、私達はそれぞれ、別の名前で呼びあうことにしまう。私が〈サニー〉、貴女が〈スター〉。そして──」
ハルが星の少女にそう命名をしたあと、ミソラに指差した。思わず怪訝な顔で不満げに言った。
「空気だから〈エア〉? 名前を決めるより先に、色々訊きたいことが山ほどあるわけ。この娘だって──」
「〈スター〉でしょ〈エア〉。さっきからあの子やら君とかで一生呼ぶつもり?」
そのまえに勝手に名付けられて憤っていると知ったほうがいい。
「わ、わたしはコードネームでもいいですよ。ちょっとだけ、本名とかすっている部分あるので」
星の少女──もとい〈スター〉が言った。ハルがしきりに星の少女と呼んでいたのは、イメージからだけではなかったようだ。ということは、ハルは〈スター〉の本名を知っているということになる。
「〈エア〉もちょっとだけかすってるかな? あ、でもあの名前は本名じゃないだっけ」
ミソラは眉を顰める。いまさら名前がどうとか言える立場ではなかった。“ソラ”という名前は本名から二文字使っただけだ。「空」という意味合いでなら、空気も含んでいる。
「もういいわよ名前は。……聞いていいかしら〈サニー〉」
呼ぶと、ハル──もとい〈サニー〉が嬉々とした表情を浮かべる。ミソラは複雑な思いをいだきながら尋ねていった。
「二週間前。あなたは突如としてアイドルを引退したけど、それは一体なぜ」
「それ、引退会見……はしてなかったっけ。まあ、最後のライブの時に話したのが全て、偽りのない本音」
「だからって、そんなやめるって言って、すぐに辞められるものじゃないでしょ」
「そこのところは大丈夫。あとを濁さないように事前に番組やスポンサーには通達してあるから。ちょっとだけ、裏技を使ったけれどね。聞きたい?」
ミソラは〈スター〉の顔を見た。彼女は終始困惑の様子だった。後で彼女から質問があるかもしれないので、とりあえずはハルの言葉の続きを聞く姿勢をとった。
「ほら、ラストライブのあとに週刊誌でスキャンダルが出たじゃない。あれを番組側とスポンサーに教えたのよ。そしたら、引き留めようとする意思がなくなって、いますぐにでも追い出したくなるでしょ? 案の定、降りてくれと言ってくれたから、大成功。実際にあの記事の威力は引退のあともいい薬になってくれたようだし」
いい薬というのはファンに対して効果的だったことを言っているのだろう。ミソラの引退を認めたくないファンが起こす騒ぎは、あの週刊誌の記事で沈静化した。
「あ、あの。週刊誌の記事っていったいなんですか……」
〈スター〉が〈サニー〉の様子を伺いながら尋ねてきた。〈サニー〉は説明を始めた。
「あら、〈スター〉は知らなかったんだ。じゃあ説明。先導ハルは、某月某日深夜、反社会的組織の男性とホテルへなだれ込むという記事が出回りました。それが引退のきっかけになったのよ」
「──ッ!? ホ、ホテルってつまり」
「ええ、鮮やかな一場面だったわね。人間って不思議よね、ただ入口に入っていく姿を捉えただけで真実を決め込んじゃうんだから。まあ、作戦通りすぎて笑ってしまったけれどね」
ハルは他人事のように笑った。いや、自分のことだからこそ愉快で仕方がないのだろう。
「じゃ、じゃあ。その、本当はその男性とは何もなかったのですか?」
「……いいえ、そうではないわ。彼は私にとって切っても切れない相手だった」
ふいに陰りを見せていく表情に、ミソラの心臓が冷えた。驚き以上に戦慄している。まさか、本当にそんな事実があったのか。信じられないというか、信じたくない思いが胸に広がった。思考が真っ白で埋まっていく中、ハルは突如として憤然を爆発させた。
「アイツはあろうことか妹の積立費を盗んだのよ。しかもそのお金が一円も借金の足しになっていないことを脅したらすんなり協力してくれたわ。組のものに半殺しされるか、社会的に殺されるかどっちかを選びなさいってね。それからスキャンダル撮影の協力をしてくれたわけ」
それからは、ホテルに入ってすぐに別の出口から出たと語った。本当に何事もなかったようだが、ハルのおどろおどろしい雰囲気は触れないほうが良さそうだ。ともかく、スキャンダル自体が彼女の仕組んだでっちあげであり、辞めることに対しては入念な準備を経てきたと分かった。そうなると、様々な疑問が湧き上がる。
「随分と回りくどいことをしたものね。たしかに辞めるって一言で簡単にやめられないでしょうけど。普通に止めたいと事務所に言ったら良かったじゃない」
「──そんなの無理に決まってる。私、たった一年でLakersと並び立てるほどになったのよ。そんなドル箱、事務所が手放すわけがないわ」
「でも時間をかければ、出来なくはないでしょう。もし辞めさせてくれないなら法に訴えればいい話だし」
「それも考えたけどね、どうしてもあの時じゃなきゃダメだったのよ。思い立ったが吉日。これ、芸能界で学んだことの一つ。私には、どうしても成し遂げたいことがあった。だから、私が考えうる限りの最高のメンバーがここに集まった。最高よね、それって」
聞く限り、これはハルの夢というものではないか。以前は、お金のためと割り切って仕事をしていたはずだ。それが、自分の考えでアイドル活動を始めようとしている。ミソラは違和感の正体を掴んだ気がした。
「貴方の成し遂げたいことはすでに叶っていたじゃない。妹と弟を不自由なくさせるって。貴方の収入で、借金の半分を返せたんでしょう? もう半分まで、その、活動を続けることも出来たはずよ。それなのに、どうして……」
栄光を自ら捨て去ってしまったのか。そして最高のメンバーと言っていたが、それなら芸能界に逸材はいるはずだ。なぜ自分と〈スター〉が彼女のお眼鏡にかなったのか。
「“みんなを幸せにするアイドル”。これって貴方の掲げるアイドル像ってことよね。でも、貴方は活動を通して、ファンの人達に喜びを与えている。その理念はすでに叶っているでしょう」
「……そうだね。きっと、みんなさ、幸せだったんだと思うよ。そういう商売だからさ、いい人を演じて、いいパフォーマンスを見せれば、それで成功には近づく。でもね、やっていくうちにね罪悪感が出てきちゃった。ビジネスって本当に残酷で、売れる人がいれば売れない人がいる。そこを左右するのは個人の力じゃなくて、もう誰も手を出すことが出来ない『力』によって決まっちゃう。それに気付いたとき、なんてものでお金得てるんだろうってバカバカしくなっちゃった」
それで罪悪感を得てしまったと語ったのか。しかし仕方のないことだと思う。物を売って、利益を生み出すには必要なことだ。ときには競争が新たな発展を生み出すことだってある。
「私の抱えている借金はさ、私の両親が後先考えず欲望に身を任せた結果なの。もちろん、両親の人間性にも問題あるけど、二人をそこまで追い詰めた元凶が必ずどこかにあって、それは複雑に絡み合って全容がみえるものじゃない。……何かが間違えなければ、私は借金を抱えることも、アイドルをすることだってなかった」
彼女のすべての始まりは両親の負債を払うことからだ。高校生の身で、負債の半分を支払ったのは歴史的な異形といっていい。しかし、そのアイドル活動が、彼女の価値観を大きく揺るがしてしまった。
「あのライブ会場には一万人くらいのファンがいて、オンライン上にはもっと多くの数の人間が世界中からアクセスしていたんだ。……その利益はさ、私にもはいってくるわけ。一人の中からどれくらいかはわからないけど、その何万の人間のお金が私の借金支払いにいく……いつかし、そんなふうに見え始めた。私が歌う曲を買うお金、出演しているCMを見て商品を買うお金、誰かが必死に働いたお金で、負債を払っていくのが辛くなって……。なりより──そんなシステムを作ってしまった、この業界が怖くなっちゃった」
広場を回りながら、彼女は昔話をするように語った。
「みんなはもちろん、私の事情なんて端からどうでもいいと思ってるだろうし、歌とかパフォーマンスをとか聞ければいいんだと思う。……でも、きっと私に対して送られたものでもないのよ。巧妙に作られて、好きになるように仕組まれた、どこぞの借金と同じシステム。残酷よね、売れることって誰かのお金をむしり取るように出来ているんだから」
彼女は自分で語っていて気付いているのだろう。世の中はそういうふうに出来ている。お金が動かなくなったら、たとえ過去に栄花を飾り、いまこの時を喜ばせたとしても、持続性がなければ次第にないものとして扱われてしまう。
ミソラは何か言おうと思った。だが反論されるのが怖かった。ミソラも、そんなシステムの恩恵に立っている一人だからだ。
この話に、〈スター〉はどう思っているのだろう。難しくてついていけていない可能性もある。だが彼女は膝を抱えて、ぽつりと言った。
「でも、それがいやでも、アイドルはするんですね」
彼女が平常時に放つ声を初めて聞いた。よく耳に通るなで声は、歌に活かせば武器になると思った。〈スター〉はハルを見据えて、強い意志を示した。
「ハルさんは、私達を集めてアイドル活動を、再開しようとしてます。でも、わざわざアイドルでなくても、借金を返すだけならバイトとかでゆっくり返していけばいい。かといって、お金を返すの、急いでいる感じも……」
「ない、わね。貴女はシステムの恩恵を受けながら憎んでいたけど、でもアイドルであろうとすることは辞めなかった。──いいえ、辞められなかった。そうでしょう、『先導ハル』」
〈スター〉とミソラの言葉に、ハルは蝋燭の火を消すように息を吐いた。しきりに動いていた足を止めて、広場から広がる空を眺めた。
「デビューしてからたった一年。そのたった一年で、私はいろんなことを知っちゃったわ。しがらみとか大人の事情、そんな些細な気遣いが息苦しくもあったけど──パフォーマンスをしたら全部忘れちゃう。そこでまた新しい私が生まれていくの」
いままでの辛気臭い空気はどこへ行ったのか。風になびいて瞳を輝かせる彼女は、太陽の名を関するにふさわしい表情を浮かべていた。落ちていく陽光が、長い影を作り出していく。
「私は、私を更新したい。私だけが作る世界で、みんなを幸せにする。この幸せは決まった事柄なんかじゃない。誰かがその胸の中で息づいているものを、私たちで少しだけ育ててみたい。……そのためには、私一人じゃ絶対に無理」
ハルはまっすぐ二人の目を見つめて、意思を示した。
「改めてだけど、〈スター〉、〈エア〉。私のような目的を持たなくてもいい。せめて、あなた達が幸せになれる方法が、ここに少しはあるのなら、どうか一緒に」
「その答えはもうしました。……けど、本当に人前で踊れません。それでいいなら、参加してみたいです」
「私は反対……って言いたいところだけど、曲ぐらいは提供してあげる。その間、ちゃんとメンバー揃えなさいよ。それまでは仕方ないから付き合うわ」
各々、同意とも否定とも取れる返事をする。だが分かっていることが一つ。ハル──〈サニー〉の思いだけは受け入れているということだ。ハルはぱあっと花が開くように咲い、全身で歓を表現していた。
「もう、二人じゃなきゃだめなんだから! よし、結成記念にグループ名発表しちゃうよ」
ハルは高い方の段差は上っていく。ちょうど、ビルの窓が反射する夕日が彼女を彩るスポットライトみたいになっていた。
彼女と出会って感じた予感がここになって初めて実感した。
「私達は〈ハッピーハック〉──太陽と、星と、空気が、世界中のみんなを幸せにするんだから!」
このときの感覚をなんと口にすればいいのだろうか。幸せの前兆、よう呼ぶべきかも知れない。
こうして新たなアイドルが新生した。
みんなを幸せにするアイドル〈ハッピーハック〉。
ちょっぴり不思議で異様なアイドル活動が幕を開けた。




