お宅訪問
目覚ましの音で目が覚めた。普段は自然に起きるようにしているのだが、案の定目覚ましが必要だったなと、内心で安堵した。
今日は土曜日で、学校は休みだ。先日、思わぬ再会を経て間違いなく悶々と眠れない夜を過ごすのだろうなと思ったら、案の定そうなった。現在時刻は十時を回っている。体が七時間程度の睡眠を求めているので、必然的に睡眠もそうしたのだろうか。よく出来たからだと、我ながら思う。
部屋を出てすぐ、人と出くわした。
「おはようございます、ミソラ様。先日おしゃった通りの時刻に起床なさいましたね」
「ええ、おはよう。急な要望してごめんなさいね」
「いえ、使用人ですのでそれぐらいは。ですが珍しいものもあるとは思いましたが」
「気にするようなことじゃないわ。ちょっとした夜ふかしだもの。あ、姉さんと兄さんにはくれぐれも内緒にね」
ミソラは声を潜めて使用人に意図を含ませた。彼女は「かしこまりました」と意図を受け取って会釈した。
水澄は代々我が家に仕える使用人で、現在はミソラが住むマンションのフロアを管理してもらっている。当然、彼女の住まいもマンションフロアの一室を借り受けて生活をしている。一人しかいないとしても、仕事は厳格。自分がいるときぐらいはラフな格好いいと言っているのに、仕事着だからといって譲ろうとしない。その頑なさが、この家の管理が完璧な要因なのだろうと思っている。
ミソラは朝食を取りながら、背後に佇む水澄に言った。
「今日は十二時から約束があるから間食はいらないわ。帰宅時間は、どうなるかわからないけれど、門限まで帰らなかったらいつものように対処して頂戴」
「かしこまりました。つきましては行き先をお教え願えるとありがたいのですが」
「……友人のところ」
「ミソラ様、もしかしてたかられているのでは?」
「私に対してそんな狼藉を働く人がいたら、大した逸材よ。まあ、あの人はそんな度を越した範疇を通り越していたけれど」
なにせ、世を盛り上げたアイドルが勝手に引退をしたと思ったら、なぜか自分のところへ来てアイドルをやらないかと言ってきたのだ。これを逸材と呼ばず、何と呼べばいいのだろうか。ミソラは自嘲気味に笑い、紅茶のカップを口にふくもうとした。
「……ミソラ様、差し出がましいようですが、その御方はいわゆる『彼氏』というものでしょうか」
口につけたお茶が吹き出そうになった。だが、優雅な食事態度を崩さず、水澄に一睨みをきかせる。
「も、申し訳ございません、つい。処罰は何なりと」
「別にいいわ。今日は機嫌がいいから許してあげる。ちなみに女の子の友達よ」
そうですか、と何故かほっとしたような反応をする水澄だった。
食事を終えたあとは、身支度を整え、軽い服装とノートPCをリュックにしまう。ハルからは自宅への案内をすると言われた。
「ねえ、水澄。菓子折りとか持っていったほうがいいかしら」
「そうですね。では、最高級品のバームクーヘンを用意いたします」
「頼むわ。あとはそうね。お布施をしたほうがいいかもね。ほら、相手の家にお邪魔するわけだから、その分にかかる電気代や部屋代とか──」
「いえ、そのようなことをする必要はないと存じ上げます。普通に菓子折りを携えれば喜んでいただけるはずです」
「あらそうなの。ちょっと待って、荷物とか確認してみるから」
服装のチェック、持っていくものの確認、そして菓子折り。SOURENJI製のスマートタグも肌身離さず持っている。これでいざという時に位置情報が宗蓮寺グループのサーバーに記録され、逐一情報を確認できるはずだ。
そうやって準備完了と相成ったとき、水澄が微笑んでいるのがみえた。
「なによ、ニヤニヤしちゃって」
「いえ、お嬢様が浮足立つ姿を見るのは、久々かと思いまして」
「……これはくすぐりの刑かしら」
そう言ってみたものの、いささか覇気の感じない言い返しだった。彼女の微笑ましい眼差しをやり込めて、ミソラはいよいよ出発した。
基本的に移動は電車などの交通機関を使う。いきなり自家用車で向かってはあちらも驚くと思って遠慮した。
先導ハル自宅の住所は足立区のほうにあるらしい。骨伝導式のイヤホンには、先導宅までの道筋を記録済みで、音声案内に従い道を進んでいく。港区から足立区まで距離はある方だが、都内の交通機関を使えば一時間を超えることはまずない。
改札と呼ぶものが十年前くらいにあったらしいが、いまでは地方の方にしか設置されていないらしい。宗蓮寺グループの未来機構開発計画の一環で、改札を無くした交通機関の利用を地方都市で実験運用させ、有用だったものは都内のほうへ配備されるというシステムで、いくつかのシステムが都内の中に配備され始めている。改札を亡くしたのもその一環で、情報端末と決済システムが整っていれば、直接電車へ向かうことができる。もっとも、電車のシステム自体は旧来のものを使用しているので、満員電車は常にあるし、電車の本数自体が増えたわけではない。待ち時間がやや長くなるくらいか。また新宿駅の大幅な改築が進められており、電車までの歩行時間を短くなるとのこと。
少しずつだが、便利さは上がりつつある。立場上、電車に乗るのはよろしくないのだが、たまに利用するならちょっとした冒険心をくすぐる要素になり得る。そうやって、庶民的な生活を味わうのも、いつか背負う宿命の糧になるのだろう。
誰もが端末を開いて、各々の時間を過ごしている。見た感じ、車内の八割もの人間が、宗蓮寺グループの製品を使っていた。端末を始め、この車両や改札のシステム、一部の広告に至るまで、宗蓮寺の名が占めている。さすがに芸術方面までは明るくないが、最近は芸能事務所を立ち上げるかもしれないと、姉と兄が語っていた。
客観的に見て、一つの企業に支配されているような感慨を覚えた。もちろん、宗蓮寺がわるいわけではなく、他が置いていかれただけの結果なのは、大衆が周知している事実だ。殆どの企業が買収され、企業は企業としての開発を進めていっているはずだ。もっとも、知っているのは誰もが知っていることのプラスαくらいで、宗蓮寺グループのことを考えてしまうこの癖を直したいと考えている。
案内が最終到着駅を報せる。ミソラは駅へ降りて、徒歩十分のところにある邸宅へとあるき出した。
ビルが乱立するところから離れた住宅街に、彼女の家はあった。ただ予想外なのは、2階建てやアパートが占めているなか、その家が一階建ての平屋だったことだ。物置かと勘違いしたが、屋根の作りは立派で庭も整っていた。表札にはなにもないが、耳から伝えてくる位置はここに間違いないようだ。ハルは敷地内に入り、扉横のインターホンを押した。すると、中から慌ただしい音が届いてきた。はい、という声がやってきてから、横引の扉が開く。
「いらっしゃいませ、姉さんのご友人の方ですよね。是非、お上がりになってください」
「え、あ、はい。ご丁寧にどうも……」
ハルとは背丈がほぼ同じなので無意識に目線を前にしていた。実際に出てきたのはハルよりわずかに低い身長の少女だった。妹と弟がいると聞いていて、出会うときもどんな子たちか気になっていた。
「あの、お姉さんはいらっしゃる?」
「それがですね、いまナツと緊急の買い出しに出てしまったんですよ。ほら、姉さんが変装無しで町中に出ると色々と大変のなので、ナツが男らしくエスコートをしているです。用事自体は近くの家電売場までなので、そんな時間はかかりません」
玄関で靴を脱ぐと、ハルの妹が靴を揃えた。それから丁寧な案内で居間へと案内されていく。部屋の広さは、ミソラが住むマンションの一室程度の大きさだ。素朴ながら温かみのある家だと感じるのは、家族がこの場所にまとまって暮らしている名残だろうと、ミソラは思った。
ダイニングに付いたとき、ミソラは手に持っていたバームクーヘンの入った袋をダイニングテーブルの上においた。
「アキさん、こちら手土産にと思いまして持参いたしました。ハルさんとナツさんとで食べてください」
「いえそんな、すみませんわざわざ。……あれ、わたし名前いいましたっけ?」
「ナツさんとアキさんというご兄弟がいるとは聞いてます」
「ああなるほど。改めまして、先導アキです」
「ふふ、よろしくねアキさん。そうそう、その中のもの、一緒に食べちゃいましょうか。帰ってきたとき、お二人さん疲れているでしょうし」
「良い提案ですね。いまお茶を用意するので、いまのほうで待っていてください」
アキは袋から物を取り出し、わあと感嘆の声を上げた。喜んでいただけたようでなりよりだ。
いまの座布団で正座して待ちながら、周囲の様子を眺める。よく行き届いた清掃、無駄のないおひさまのような香り。この居間で、家族三人が身を寄せ合って寝ているのだろう。その光景を思うだけで笑みがこぼれた。
先導家には現在、両親がいないらしい。借金をこさえて娘に押し付けたという中々の人物らしい。しかし一千万の借金は、半分は返済を終えているとのこと。なぜ彼女が、栄光の道を自ら閉ざしたのか、問い質してみてもいいのではないか。それがミソラを誘ってアタラにアイドルを始めようとする理由につながるきっかけになるかもしれない。
四人分の切り取られたバームクーヘンと熱い緑茶が四人分揃う。その間、アキと他愛のない世間話をしていくと、玄関の方から慌ただしく帰ってくる声が届いてきた。
「あれ、知らない靴……もしかしてすでに来ていたの!?」
「ほら、無駄に素材にこだわろうとするからだぞ。ほら、いそげいそげ」
ダイニングへの扉が開き、両手に買い物バッグを携えた彼女の姿を捉えた。ミソラはほほ笑みを浮かべて言った。
「お邪魔します、ハルさん。そんなに慌てて、どうかしたの?」
「あはは、PCの周辺機器が必要になってきちゃったから、つい……」
「落ち着いてからでいいわ。ちょうどバームクーヘンも揃えているから」
ミソラの言葉に、ハルたちは目を輝かせた。数十分ぐらい、バームクーヘンを嗜みながら気を落ち着かせていってから、ハルは二人に目配せをした。
「じゃあ、俺たちは映画でも行ってるかな」
「ナツがふらっと寄り道しないように見張ってるから」
そう言って、二人は家を出ていった。ミソラは不可思議に思いハルに尋ねる。
「いいの?」
「まあ、ここからは大事な話だからね。とはいっても、すぐに出ていっちゃうんだけどさ」
「出ていくって?」
ハルは頷いてから、買い物バッグの中を探っていった。中は新品のタブレット端末とケーブル類。そしてミソラも持っているスマートタグを封から取り出していく。メーカーは『SOURENJI』のものだ。意外なものを購入したと思った。
「それ、何に使うの?」
「何って、いつも使ってるはずでしょ。いちいち、現金で買うのも惜しいなってくらい時間の短縮に努めようとしている」
この発言も意外だった。彼女に置いては電子マネーは交通系の物しか使っているところを見たことがない。むしろ、それ意外は無駄なものばかりと切り捨てていたフシすらある。
「これから出かけていくのに必要だから買ったのよね。けど、私達どこへ向かうわけ?」
「わからない。だって、これから最後のメンバーを探しに行くんだから」
「……はい?」
ミソラは耳を疑った。てっきり、アイドル活動の目的を話してくれるものかと期待したのに、彼女の中ではそれは大分優先順位の低いものだったようだ。
「メンバーは三人組、私と貴女と、そしてあと一人。それで皆を幸せにするアイドルが出来上がる。……よし、これで設定完了かな」
「スマートタグってすぐには使えないはずだけど」
タブレットとスマートタグの設定が数分程度で終わっている。タブレットの方はともかく、スマートタグの設定は数分では終わらない。認証に一週間以上はかかるはずだ。
「ああ、もう一台持ってるもの。そのお古は、アキにあげちゃった。決済を共有しただけだから、もうすぐに使えるはず」
スマートタグはキーホルダーとして使うのが一般的だ。ちょうどキーリングを通せる穴があり、白い円形のキーホルダーとして化したようだ。最近は手のひら決済が実験運用中だが、しばらくはスマートタグが活躍するだろうと思った。
「ねえ、出かけるのはいいけど、その三人目の宛はあるの。……私、てっきり貴女のあれやこれやを尋ねるつもりだったのに
「まずは三人揃ってから、色々気になることをぶつけてきて。あとは正確な返事もね」
そう言ってハルは挑戦的に笑った。何もかも見透かすような目には、叶いそうにないと思った。
荷物は先導宅に置きっぱなしにして、再び駅に乗った。ハルは手慣れたように認証エリアを突き進み、電車に乗った。二駅先で降りた後、以前使っていたスマートフォンを取り出す。
「うーん、以前聞いたときは、このビルのどれかなんだよね」
「ビルのどれかって。会社員でもしているのかしら?」
「いいや、多分学生。私の年下だって判明したけど」
「じゃあ、顔や名前は知っているのね」
「まあ、事務所にいたとき調べたから」
「……事務所が関係しているって。いったいだれなのよ、三人目って」
ハルはそれには答えず、オフィス街の方へ歩いていった。ミソラはついていきながら、若者の気配のない周囲を眺めた。
とてもではないが、ハルの年下の少女がいるとは思えない。慌ただしく移動する配達員や、気だるそうに歩くサラリーマンが主な活動場所だ。繁華街はあるにはあるが、娯楽施設より居酒屋などの大人向けの店が立ち並んでいる。調べた情報から届いてきたものはそれぐらいだった。
「手分けして探したほうが効率いいかも」
ハルが振り向いてから、スマホの画面上でジェスチャーを行った。音声から耳元の骨伝導式イヤホンから画像が送られてきたとメッセージが届いた。すかさず端末を取り出して画面に表示させる。そこにはおぼろげながら、見知った少女が写っていた。
「この娘ってたしか、一年前のオーディションにいた?」
「覚えてたのね。実は私、オーディションの前から知っていたのよ。学校からスリーアースまでの通勤途中にこの子の姿をよく見かけてね。ビルの窓の前でダンスを踊ってたわ。けど、私が変な気を起こして近づいてしまったのよ。それ以来、オーディションで再会するまで会えなくなっちゃった」
写真の少女は真正面の姿でとらえていた。確かに美少女とカテゴライズされる美少女だ。淡い金髪は天然ものの美しさがあり、顔たちも日本人離れしている。小顔な部分もポイントが高く、左頬にある泣きぼくろがより愛しさを引き立たせている。
「オーディションの後、この子とは?」
ハルは首を振った。だからこそ、こうして僅かな手がかりを得て捜索を始めたのだろう。ともかく、写真の子を見つけでもしない限り話は進みそうになさそうなことは分かった。




