最終レッスン
順番はじゃんけんで決まり、ハルは三番目に披露することになった。レッスンは四階で行い、その間は二階のレッスンスタジオで各々待つように支持を受けた。星の少女はハルの前に出番があり、いま先程出ていった。十五分くらいして、星の少女が汗だくになりながら戻っていった。一番目同様、レッスンで受けた内容は口にしてはいけないという決まりだ。そのための監視員も付いている。
ハルの出番がやってきた。スタジオの端にいるソラを一瞥してみると、彼女は特に管状を浮かべること無くミソラを見ていた。よし、と心のなかで意気込みを入れて四階へ向かった。
扉をノックして、反応を待つ。中へ入るように言われたので扉を開けた。中には三人の人が長机に並んでおり、黎野、見知らぬ男性、そして意外な人物がいた。
「……あれ、あなたって、Lakersの……うそ……」
「あ、やっぱりみーんなそんな反応ばかりするんだ。さっすが黎ちゃんのサプライズ気質は楽しませてくれるぜぇ」
気楽な態度を披露しているのはLakersのリーダー、トーリヤ・エプセンス本人だった。赤みがかった茶髪、青い目、日本人離れした顔たちと、特徴と一致している部分が多い。服装は流石に私服のようだが、大物のオーラはどんな服を着ても健在なのだろう。そして今までやってきて感じていたことが、これで確信に変わった。ハルは長机に並ぶ三人に尋ねた。
「あの、もしかして今までの一連の出来事って、オーディションだったりして……」
三人ともハルの言葉に驚いたようだ。最初に言ったのはトーリヤだった。
「なんでそうおもったの?」
「黎野さんが即戦力が欲しいと言ってたのですが、もし仮にそうなら基礎的なレッスンは即戦力から遠くかけ離れたものだと思いました。それでは即戦力の意味がない。あとは先程のエチュードでダンスを披露するというのは、以前のレッスンよりかけ離れているなって感じたんです。あ、私の勘違いだったら申し訳ないです」
トーリヤは感心を示しながら、黎野の反応を伺っていた。それを受けて、黎野は息をついた。
「その件はまた後で説明します。……さて、先程の二人にもおっしゃいましたが、これを本番そのものだと思って全てを晒けだしてください」
ハルは気の引き締まる思いで、彼女から圧を受け取った。これでは本当のオーディションみたいだ。だとしても、関係ない。最初から全力でやっているのは今も変わっていないのだから。
ハルはよろしくおねがいします、と礼をしたあと、曲入りの準備を始めた。
曲を待つ。
他のことは考えない。
いや、一つだけは残しておこう。後悔しないように、自分の持てる全てを出すと。
曲が流れた。瞬間、胸が弾む。これこそ、待ちわびていたものだ。全身の細胞が歓び、何かが始まりそうな予感とともに、ハルはパフォーマンスを披露した──。
基礎的な動きを意識しながらも、それを高度に消化するにはどうすればいいのかを先程の二時間で模索した。答えはなかった。自分の頭の中で作られた動きではたかが知れているからだ。だが参考になる資料があった。週に三回から四回ほど、ハルは才能の溢れたダンスを見てきたのだ。星のようにきらめいた少女は、先程はどのように輝いたのだろうか。
歌はとにかく腹の底から勝負に出た。繊細さからかけ離れた、アイドルらしくない曲だ。だが一人で歌うなら、元の楽曲を披露したアイドルも許してくれるはずだと思った。
フルで歌い、踊り、全身で感情を表現する。拙いことは分かっている。それでも何故か動きが弾み、声が外へ出たがり、自分の思いすら変わっていくような気がした。
辛いことの連続が、この瞬間のためにあったかのようだった。
曲の最後、決めポーズを決めた。まっすぐに撃ち抜くようなポーズは、自分自身の決意を顕にしている、そんな感触があった。
十秒ほどの沈黙のあと、黎野が「はい、ありがとうございました」と言ったのでポーズを解いた。
ハルはありがとうございましたと頭を下げた。黎野が言った。
「先導ハルさん。先程おっしゃったように、これはオーディションです。合格発表はまもなくですが、そのことを他の皆様におっしゃらないように。あと顔にも出さないよう努力してくださいね」
「は、はい、気をつけますっ」
そう言ってハルは部屋から出ていこうとした。だが他の声がそれを呼び止めた。
「ねえ貴女、チョット待って」
比較的若い声はトーリヤのものだ。彼女はハルのもとまでやってきた。映像の人物が画面から飛び出たような驚きがハルを支配していく。トーリヤはハルの顔に近づいてきたからだ。
「あ、あの、これはいったい……」
「──うん、やっぱりとってもいい目しているね、君。真っ赤な目だけど、充血を思わせない繊細な色味、ワタシの碧眼とちょっと通ずるものがあるかな」
そう言われて、彼女の眼が視界に入る。広くて深さを思わせる海の地平線を思わせる。表情ではなく、目だけで感情を表現できるのかと、ハルはとんでもない人物と近づいているのではと心臓が逸った。目をそらしたがったが失礼の当たると思いできなかった。ほんの十秒くらい見つめられたあと、トーリヤは離れた。
「あはは、ゴメンゴメン。ほら、もう逢えないかもしれないから今のうちに刻ん見込んでおこうと思ってさ。じゃあ、戻っていいよ」
はあ、となんとか言葉を発して今度こそ戻っていく。青い目に見つめられて心臓の鼓動がうるさい。それを深呼吸で落ち着かせて、二階へ戻っていった。そこから一時間くらいの間、ソラと話すこと無く、待ち続けるばかりだった。
「皆様ご苦労さまです。早速ですが、最後のレッスンの意図を説明しましょう。みなさん、なぜ彼女がそこにいるのか驚いたことでしょう。中には某番組ディレクターがいると気付いた方もいたかもしれません。理由は今この状況でお分かりになった人もいたかもしれません」
候補者からざわめきが発生した。もしかして、嘘でしょ、そんなのアリ? と声が聞こえてきそうだった。黎野は語気を強めた。
「いまから、合格者を発表させていただきます。合格者は見事、明日から、芸能活動をスタートさせます。そして合格者は、たった一人に絞り込みました」
たった一人。それは想定していなかった。アイドルグループを発足すると黎野は語っていたが、彼女の言うことが本当ならソロアイドルとしてデビューさせるということになる。六人の候補のうち、最低でも二人は合格者が出ると思っていたが、これは誰も予想し得ない状況だった。ハルはある予感がよぎってしまう。まさかソラが合格者として名を挙げることも考えられるのではと。黎野のことだ、容易に考えられるだろう。
「では早速発表します。六人の候補者から選ばれるのは──」
良かった、ソラと発表することはないようだ。黎野は一息間をおいてから言った。
「先導ハルさん、前へ出てきてください」
馴染みの深い名前が飛び出てきて、え、と思わず口に出た。周囲を眺めて、先導ハルという名前をした少女は、自分しかいない。前へ出てくるとはどういうことだろうか。まさかこれからビンタでも食らうのか。
「……ほら、呼ばれてるよハルさん。ていうか、満場一致なんだから自身持って出てきて」
トーリヤの声で意識が覚醒する。自分が呼ばれていることだけは分かったが、まだ実感として残っていない。足元から震えがやってくる。やれることはやったはずだ。だから自信を持って歩いていいのにと思うのに、歯を食いしばっていないと倒れてしまいそうだった。
なんとか、候補者たちの間をすり抜けて歩いていき、黎野の側までたどり着く。彼女は笑みをこぼした。
「おめでとうハルさん。明日から、芸能生活の始まりよ」
肩に手を置かれ、トーリヤから拍手をもらう。だが耳は遠い彼方を捉えているようで、自分の世界の出来事とは思えなかったのが、正直な感想だった。
アイドルになった。だがこんなあっさりといいのだろうか、という気持ちが強かったのは否定できなかった。




