最初の一歩
そうして約束の日、最寄り駅まで歩き、久々に電車に揺られて目的地へ向かう。乗り換えを一度行い、山手線の渋谷駅で降りる。辛うじて起動するマップアプリを使い、十分くらい歩く。レッスンスタジオがどんな場所なのか想像できなかったが、目的の場所へ辿り着いて納得した。目の前には六階建ての雑居ビルがあり、一階から四階まで株式会社ファンタズムの所有だとネットに載っていた。一階の受付らしき場所へ入ってみた。
「ごめんください。ここで約束を取り付けたものですけども」
受付の女性が顔を上げて「お待ちしておりました、先導さま」と丁寧な歓迎を受けた。それから奥の方に案内され、豪奢なソファで座った。一階だけではレッスンスタジオとは思えなかった。芸能事務所にしては殺風景な気がしなくもないが、一般的な芸能事務所のイメージを持っていないので、ここが事務所と言われたら納得するしかない。
辺りは芸能人らしきポスターやグッズが目白押しだった。見たことある人がいれば、全く知らない芸能人もいる。なかでもLakersの三人組は事務所が猛プッシュしているだけあって、数が多く感じた。
特にセンター兼リーダーであるトーリヤ・エプセンスは、日本人離れした顔たちと風格を写真からでも漂わせている。日本、アメリカ、ナイジェリア、フィリピンの四ヶ国の血が彼女の中に流れている1/4。赤みがかった茶髪、小麦色の肌、青い相貌に、スラっと伸びた背丈は、アイドルのみならずモデルや女優としても活躍をしているほどの逸材だ。
彼女たちと出会うことがあるのだろうか。もし出会うことがあるなら、そこが出発点になるのかもしれない。
ハルのあとにソラがやってきた。集合時間ギリギリに来ていたが、実はハルが来る十分前には到着していたらしい。ソラの手にはレジ袋があり、中にはスポーツドリンクや軽食類が入っていた。
「一応用意しておいたわ。貴女、練習着とかちゃんと持ってきた?」
「うん、スウェット生地ので良かったかな」
「いいんじゃない。いきなり踊らされるとは思わないけど。ああ、これ、一応話し通してくれたお礼」
差し出してきた袋を受け取ってから、ハルは笑みをこぼした。
「ありがとソラさん。君って優しいね」
「……人に言わないようなこと口にしないでください。私は、私の目的でここにいるんです。余計な気遣いは無用です」
冷静な語り口や厳しい口調を放つことが多いソラであるが、性根の部分は穏やかだ。正直に物を言う性格がハルは嫌いではなかった。
それから十分が経った頃、一台の車が入口からみえた。そこから黎野が姿を表し、受付は「おはようございます、社長」と挨拶をした。
「どうもおはよう。あとであの子達来るから対応お願いね。──あ、二人共、上の方へ。そこの更衣室で練習着に着替えてもらえる?」
ハルだけが私服から練習着に着替え、黎野のもとへ到着する。ソラはあくまで見学という体を貫いているので着替えることはなかった。黎野は気にする事無く二階へ案内した。
「いまから候補生と顔合わせさせるわ。新規プロジェクトはLakersを超えるアイドルを創造すること。まあ、ライバルを作りたかったのよね。そのためにはじっくり育てるより、即戦力で放り込みたいのよ。だからなるべく素人がいいと思って、若者を探していたわけよ」
へえ、とハルが感嘆しているところに、ソラが疑問を挟んだ。
「候補生って、私達のように見出した人ということですか?」
「そう。その中で選ばれるのはたった三人。一ヶ月後に華々しくデビューさせるからそのつもりでね」
黎野が扉を開いたところで、中の照明が眩しく届いてきた。
まず最初に壁一面に広がる鏡だ。一瞬、部屋の広さを感じさせるが、向こう側に自分の姿を認めて現実として受け入れることが出来た。鏡の中には、自分と同じような練習着に身を包んだ少女が各々ストレッチを始めていた。五人くらいいて、彼女たちが黎野の言う候補生なのだろう。
中にいた彼女たちは黎野を見てから各々の作業を中断して視線をただして挨拶をした。黎野はハルとソラと横に促してからこう言った。
「前に言っていた最後の二人……じゃなくて一人の候補生を連れてきたわ。それじゃあ、自己紹介を」
ハルは突然のことで緊張が走るが、一歩前を出て頭の中で言葉をひねり出した。
「せ、先導ハルです。これからここで候補生の一人になります。えっと、まだここへ連れてこられた実感がわかないけれど──」
そう言いながら、他の候補生を眺めていると意外なものを発見した。候補生の中に見覚えのある少女がいた。綺羅びやかな金髪を肩でそろえ、瞼の奥から透き通った眼差しをみせている。忘れるはずもない星のような少女との再会だった。
「──」
こんな再会があっていいのだろうか。向こうもハルを見て目を開いていた。その刹那の一瞬だけで、ハルは続きを口にした。正直、どんな言葉を吐き出したのか忘れてしまった。頭の中は、あのときのお詫びをとにかくしたいという思考で占めていた。
解散したあと、早速ハルを加えて基礎レッスンという流れになった。そこから少女への意識を意図的に排除して、レッスンの方に意識を向けた。
休み無しに三十分の基礎レッスンは、初めて体験したハルはいままでにない疲労に脅かされていた。
「はぁ、はぁ、やばい、汗止まらない……」
風呂上がりに汗が止まらないのと同じで、体が許容できない体温を感じると発汗する仕組み体を動かすだけでも起こるようだ。秋の終わりなのに、空調が冷え切っているのもそれが理由だろう。隅っこで座っていたソラの隣で、十分の休憩を取る。ソラはハルを見て、こうこぼした。
「見てたわよ。よくついていけたと思うわ」
「そ、そう……周りの人、けっこう平然としていると思うけど」
「慣れてきたらウォーミングアップ程度にはなるでしょ」
「だったら、いいんだけど……」
ハルは次のレッスンに戦々恐々しながらも、一旦は外した意識を再度向けた。二人がいる向こう側には、星の少女が一人で座ってドリンクを飲んでいた。あとの四人はまとまっていて、ある程度のグループ分けは出来ているような気がした。
「ソラさん、作曲がやりたいとか言ってたけど、いま全然そんな雰囲気じゃないよ」
そのためにハルに付いてきたはずだ。レッスンに参加しないのはアイドル志望ではなく、曲を作りたいからだと。だがソラは微笑みを携えていた。
「心配には及ばないわ。すでに話はつけてある。ただ、使われ方に思うところがあるけれど、まあこればかりは私の曲評価でしかないから仕方がないのよ」
言っている意味がよくわからなかったので詳しく深堀りしたかったが、レッスンの講師が集まるようにと指示をしたので、ハルはそのまま立ち上がった。
次は三階で歌のレッスンを行った。発声練習の後に、一人ずつ伴奏無しで歌を披露した。曲目は自由で、流行りのJポップから演歌など歌う曲で個性が出ていた。大望の星の少女は、声が小さく何を歌っているのかわからなかった。講師の人が「貴方は歌だけはダメダメね」という評価を下してたあたり、ダンスは秀でていることは周知の事実なのだろう。
ハルは中学の時に披露した合唱曲をワンコーラス歌った。パートリーダを努めていたのもあり、アカペラで歌えるのはその曲ぐらいしか持ち合わせていなかった。講師からの評価は、歌はいいけど合唱曲と歌謡曲の歌い方は根本的から違うから改善が必要だ、というものだった。概ねいい評価をしてもらえたと思う。それから課題曲を最後のレッスンで披露するので、曲のデータを渡される。スマホに届いたその曲は、三十年前に一大勢力を気付いていたアイドルグループの曲で、ハルは休憩時間にそれを聞いてから感動に打ち震えていた。
「なんの曲聞いてるの?」
ふいにソラが休憩中に尋ねてきた。ハルはスマホの音量を上げて聞かせた。
「ふうん、これがJポップに求められる曲なのね」
「とってもいい曲。これ歌ってみたい……」
続いて、アイドルにおいて必須な事項や歴史などの座学を受けたあと、残るレッスンは二つとなった。この二つには、黎野も見学に来るようでみんなピリッとした感覚を持ち始めていた。
候補生の娘たちと軽い話はしたものの、あまり深入りする内容はできなかった。それぞれがライバルであるという認識が、相互理解を阻んでいるように思った。別にそれは構わないし、馴れ合いをするつもりはない。だがいまだからこそ、星の少女に接触したいと考えていた。
ハルは隅っこで座っている彼女の前に立った。少女が顔を上げて、あ、と声を漏らした。
「こんにちは。私のこと、知ってますか?」
少女はぼうっとみたあと、ぶんぶんと首を縦に振った。どうやらオフィスビル前の公園での一見を覚えていたようだ。ハルは横に座って話を続けた。
「ここで再会できるとは思ってなかった。だからまずは、あのとき驚かせたことを謝らせてください」
ハルは上体を下げて謝罪の意を示した。すると少女は慌て気味に、「き、気にしないでください」と言った。
「あんなところで、踊っていた、わたしが悪いんです。確かに見られたことは恥ずかしかったけど、そんな事を気にせずに踊っていたのがいけないことなので……」
「いけないことはないと思う。実はね、あそこへはバイト先の道の途中にあってね。ビルの鏡の前で踊っている人が気になってたんだ。そこから貴女がいるときには、必ず足を止めて一曲ぐらい眺めてからバイト先に向かうのが日課になってた」
「……そうだったんですか。わたしのダンス、見てくれた人がいたなんて」
少女は意外そうにつぶやいた。たしかに通りすがる人は彼女をひと目見るだけにとどまっている。それは立ち止まる余裕がないからで、時間に余裕があるときは後ろでダンスを眺めていたいと思ったはずだ。
「君も黎野さんにスカウトされたの?」
少女は頷いた。部屋全体に視界を合わせて語った。
「通ってるダンスの教室で、あの人が来て、すぐにこの場所へ来てほしいって言われた。……わたし、変わりたくて、だからアイドルをやれば変わるかなって思って参加した」
か細い声だが、愛らしい響きを持つ声だと思った。もしアイドルグループができるなら、彼女は間違いなく選ばれるであろうと感じた。
頑張ろうね、と声をかけた後に、残り二つのレッスンが幕を開けた。




