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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【EX】第四章 Happy Hack.
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芸能界の誘い


 一ヶ月が経過した。季節は十一月の半ばを過ぎて、空の色が寂しくなっている。

 借金のことや修学旅行の積み立て費など悩ませる問題は多いが、とりあえずは飢えずに暮らすことはできている。ただ少しでもお金を増やしたい。特に修学旅行の費用を一括で支払えるようになりたい。妹には不自由な思いをしてほしくないし、学校行事ぐらいは楽しい時間を過ごしてほしいと願うのが先導家を担うハルのの役目だ。


 変化はもう一つあって、ピアノの少女と話をするようになった。とはいっても、立ち話や世間話程度で、以前に見せた『素』の会話はなかったように思える。それでも、名ばかりのお嬢様と話すより刺激的なことが多く、演奏するピアノも数少ない楽しみになり始めていた。ちなみに彼女に名前を聞いてみたところ「秘密」と即答したので、黒髪の娘として記憶した。

 もっともよくないことも一つだけあり、通勤途中で見かけた星のような少女が公園前で見かけることがなくなった。完全に警戒されてしまったようだ。


 来月にはクリスマスが控えている。一緒に暮らし始めて初のクリスマスだ。せっかくなら盛大に祝いたいところだが、懐が心もとない。ホールケーキを用意するのがせいぜいで、プレゼントはお小遣い二千円ぐらいしか思いつかない。中学は友人との遊びの費用も増えていくだろう。

 二人のお小遣いを増やす頃には、どこかへ勤めているはずなので、多少は生活に余裕ができる──と思いきや、勤める頃に返済額を増額するという約束も取り付けられている。懐事情は未来の先まで明るくない。


「このバランス、保てるかなあ」


 溜息をつくのは毎日のことだ。試行錯誤して、いまの生活が落ち着いている。ただトラブル一つで傾く危うい状況にあるのは依然として変わらない。時間を捻出しようにも、勉強やバイトに支障が出る。このバランスを乗り越えるには、勉強をしなくても学園一位を取る頭脳を手にするか、収入が三倍以上にまで増えることでしか解決しない。前者はSFの話で、後者は宝くじを買うようなもので、どちらも現実的ではない。特にただの高校生が稼げる仕事なんて、それこそ幻想なのではないかとも思う。


「何事もなく卒業できたらいいんだけど……」


 状況が好転するなら待つしかない。花園学園卒の卒業生だと、大卒相当の企業へ就職できる可能性が高まり、二人の学生時代にかかる費用が不自由なく払えるはずだ。部活の費用や、友人との楽しみに使うお金だって満足に使わせることができる。

 時計を見て、長い先の時間を思い馳せる。時刻は二〇時三十分。二十分の休憩時間が終わるときだった。ハルは紙コップのお茶を飲み干し燃えるゴミへ捨ててから扉へ向かおうとした。そのとき、ちょうど扉が開き細身の長身の男が現れた。ハルは驚いて扉から一歩みをひいた。


「す、すみませんオーナー、邪魔をしてしまって」

「なぜだが、僕が現れると決まって萎縮してしまうな。まあ、立場上仕方ないがそろそろフランクにしてもらえると助かるよ、先導さん」


 疲弊して頬のコケができていれば萎縮したくもなる。ただハルの境遇を知っている人であり、雇ってくれた恩は生涯に渡って感謝できる。だがあまり店に来ることはなく、従業員の要望で席の増設や食材の注文などを行っているらしい。料理以外はからっきしのシェフのために、営業やサービスの質を向上させるのに重要な人だと、先輩のインテリな語り口で知った。


「休憩終わり?」

「ええ、いまから出ていくところです」

「それはちょうどよかった。君に話があるところだったんだ」

「私にですか?」

 オーナーは扉を開けたまま出ていくように促した。


「会わせたい人がいる。ああ、仕事のことは気にしなくていいよ。すでに遅れてやってくることはみんなに伝えている」


 根回しまで済んでいるなら断る理由はない。ハルはオーナーに連れられて、フロアから個室席のほうへ移動した。途中で先輩と顔があったが、オーナーといる姿に目が点になっていた。首を傾げて自分の気持ちを示しておいた。

 ある個室の前で立ち止まり、オーナが言う。


「君に用があるという人がここにいる。あとは君の意思だ」

「意思?」


 それはどういうことか尋ねる前にオーナーは元の道に戻ってしまった。個室の前には扉が有り、客からの要望があるときはノックして開くのが礼儀だ。ハルはとりあえずノックをしてみた。


「先導ハルさんね、中にはいってきて」


 中の声は女性だった。ハルは失礼します、と言って横引きの扉を開いた。

 三人の人間がいた。二人は以前店で見かけたことのあった人で、あと一人はよく知った人物だった。


「……先導ハルってあなただったの?」

 今日はピアノの演奏会はないはずだとまず思った。なぜかここにいる黒髪の少女は私服で、袖が水色で胴体が白い服にオレンジ色のロングスカートを履いていた。ドレス姿とはまた違った風格を漂わせている。立ち尽くしたままのハルを、大人の女性が促していく。


「おふたりとも知り合いだったの。まあ、同じ店で顔を合わせることもありますものね。とにかく座ってちょうだい」


 ハルは少女の隣りに座った。目の前には三十代半ばから四十代くらいのきれいな女性と、恰幅のいい三十代ぐらいの男性が座っていた。初めて見かける人たちだ。


「黎野さん、お二人をお呼びしましたので」

 オーナーが女性の方に一礼をして個室から去っていく。彼女のほうがよほどの人物なのだろうか。黎野と呼ばれた女性は横の男へ一瞥を送る。男は懐から名刺入れを取り出し、二枚の紙を丁寧な所作でハルと黒髪の少女にわたしてきた。受け取ったハルは文字を読んだ。


「有限会社ファンタズム、代表取締役……黎野明美くろのあけみ。代表取締役って確か……」

「役職は社長。で、この会社は大手の芸能事務所よ。つまり──」

「……スカウト!?」


 思わず立ち上がりそうになった。黒髪の少女だけならともかく、ハルまでその一員なのだろうかと訝しんだ。黎野明美は笑みを浮かべて、説明を始めた。


「わたくしは毎日、才能にあふれている若者と出会っているわ。町中やこうしたレストランの中でね。その度に良いなあって思ってしまうけど、翌日には忘れてしまうのよ。けどお二人は一ヶ月経っても特に印象的で、ここ最近はあなた達に出会いたくて仕方なかったくらい」


 子供が夢を語るような仕草を披露するも、不思議と品があって目が離せない。


「近々、新しいプロジェクトを発足させようと思っていたところに、あなた達のことを思い出したわけです。特に……そういえば、貴方のお名前をまだ知らなかったわね」


 黎野は黒髪の少女にそう告げた。ハルも彼女の名前は知らない。オーナーは知っているらしいが、本人から口止めをされている。もしかしたら、巷では有名人なのかもしれない。少女は戸惑いを浮かべ、こう返した。


「じゃあ、『ソラ』で。本名じゃありませんが、人に名前を言うの好きじゃないんで」


「あらまあ、でも面白そうだわ。お互い本名を知らないアイドルっていうのも。そうそう、プロジェクトの話ね。さっき言ってしまったけど、貴方たちにはアイドルになってもらいたいのよ」


「アイドル、ですか」


 アイドル、その単語を聞くのは学校や広告の看板ぐらいしかない。どんなものか知っている。可愛い女の子が華やかな衣装を着て、歌って踊る者のことだ。ただ、それが自分とどう当てはまるのかが実感がなかった。


「ええ。普通はオーディションで決めていくのだけど、それに飽きてしまったのよね。私が欲しいのは革命的な存在が放つ存在、パフォーマンス、新しい概念。飽和した時代には、あなた達はふさわしい──」


 熱が灯っていく黎野にハルは感情が追いていなかった。芸能関係の人にスカウトされるような人生ではないと思っていたからだ。なので嬉しさなんてなく、ただ困惑ばかりが募っていた。

 ハルは隣に座るソラの反応を伺った。彼女は凛と背筋とを伸ばし、まっすぐと黎野へ視線を注いでいた。そして彼女が言う。


「残念ですが、わたしアイドルに興味がないので」


 ソラは先んじて返事を口にした。なんだかずるいと思ってしまった。しかしハルの頭の中には未知へ対応するだけの脳処理ができなかった。ゆえに話を聞くだけにとどまっている。


「まあ、そういうこともあるでしょう。ですが、貴方の願いが最短で叶うルートでもあると思います」

「……私の夢?」

「ソラさんの演奏、この間の日曜日に聞かせていただきました。大半はクラシックのピアノ曲を弾いてなさっていましたが、時折この世に出ていない曲を演奏なさっていたわね」


 彼女の言葉にソラが目を見開いた。それは一ヶ月前に披露したあのような曲のことを言っているのだろう。ソラは他にも自分で作った曲を、この場で演奏していたようだ。


「作曲をなさりたいんでしょう。もしアイドルになっていただけるのなら、チャンスを差し上げます。あなたの努力次第で、作曲家への道がすぐ目の前にやってきますよ」

「──」


 頑なだった態度が悩む方向へと動いたらしい。ソラは視線を斜めに下げて口を閉ざした。それからハルへと話が移る。


「ハルさん、貴女はいかが致します。もちろん、この場で返事を頂かなくても構いません。ソラさん同様、十分に悩まれた後に納得した面持ちでいてほしいのです」

 強制的に返答を求めないのは安心した。だが聞いてばかりで質問をしていないことを思い出した。


「あの、質問良いですか」

「はい、なんでしょう」

「もしアイドルをやって、人気が出たとして、一千万を稼ぐまでにはどれぐらいかかりますか?」

 ハルにとっては大事な質問だった。だが二人、いや三人はなぜかぼう然とハルの顔をみていた。


「あの、なにか変なことをおっしゃいましたか? 一千万稼ぐにはどれくらい──」

「え、ええ。今どき珍しく、お金のことを訊ねてきたから驚いただけよ。まず、普通にアイドルだけでなら、トップクラスで六年はかかるんじゃないかしら。けど、CMやテレビ番組への出演、ネット動画などで複数の収益をあげれば、四年……いや三年でいけるんじゃないかしら。もちろん、人気が出てからの話だけども」

「──夢のある話ですね」


 胸が弾む。もちろん、甘い世界ではないのだろう。群雄割拠な世界で、一千万を稼ぐアイドルになるのはほんの一握りだろう。全く芸能界を想像できないハルだったが、普通に稼げても三年から四年はかかるものだ。それがいまこのときで、三年から四年で到達できるなら、悪い話ではない。

 バイトではできないが、芸能活動ならある特例を発揮できる。


「私、アイドルやりたいです。やらせてください!」


 身を乗り出す勢いでハルは宣言した。黎野は驚きで目を瞠ったものの、すぐに立ち上がって手を差し出してきた。


「良い返事、本当にありがとう。詳細は貴女のスマホに連絡を入れるわ。それとソラさんも良いお返事を待っているわ」


 それから黎野たちは話しは終わりと言って、個室を先に出ていった。

 中では座ったままのハルとソラが話の余韻に浸っていた。


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