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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【EX】第四章 Happy Hack.
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先導ハルの日常


 授業が終わるチャイムが鳴る。六限の終わりに、生徒たちはそれぞれの放課後を堪能するために行動を取り始めた。午後四時に差し掛かろうとしている。バイトの時間まであっという間なので、荷物をまとめて立ち上がった。その際、セミがいつの間にか鳴いていたように、声をかけるものがいたが。


「あら、そんなに急いで塾へ直行? 先導さん、塾に通っていないわよね」


 自分の名前を呼びかけるものに視線を向ける。名前は覚えていないが、黒髪を派手なパーマであしらっている少女は、一年D組の女王様的な存在の女子生徒だった。彼女が常に取り巻きを引き連れて廊下を闊歩する姿は印象的だ。先導ハルは挑発めいた言動に涼やかに返した。


「これからバイト。今から急がないと間に合わないくらいの急スケジュールなの。これだから六限は嫌なんだ」

「あらアルバイトとは勤勉。けど、それでは勉強が疎かになってしまわないかしら。貴方の場合、学年内で一位を取る必要があるのでしょう?」

「別に疎かにしているつもりはないよ。中間テストだって、また一位取ったから」


 自慢とも取れるハルの言葉には一切の高揚はなかった。殺されなくてよかった、というような心の底からの安堵感から吐いたものだ。だが少女たちはお気に召しなかったようで、厳しい目つきを浮かべてきた。


「……花園学園の質も下がりましたわね。これが栄光ある由緒正しい学園であることが、ひどく鼻につきますわ」


 ハルのような人間ではなく優秀な人間が学園を率いるべきだ、そんな尊大さが見え隠れ手している。

 これ以上無駄話をする必要はない、とハルは立ち上がる。クラスメイトたちの横を通り過ぎ、最後に彼女たちにこう言い残した。


「勉強より、それで大金持ちに繋がるかどうかのほうが、将来にとって大事なんじゃない?」


 少女たちが呆けた様子でいるのを最後に、ハルは教室を飛び出した。早足で玄関を出て、自転車置き場まで直行する。頭の中は先程の授業のことや会話のことをすっかり忘れてしまい、バイト先でのことに意識が向いた。ハルはママチャリで通勤路を進んだ。


 駅前から歩いて十五分という好立地に東京都立花園学園はある。坂の途中に建っており、校庭からは駅前のビルが壁のように映り、夜は夜景が見事だと聞く。花園学園は所謂お嬢様学校で、徒歩や自転車で通う人間は侮蔑の対象、家柄を示すために家の者に送り迎えをするのが当たり前になっている。もっとも、それは一部の上流階級の人間が勝手にそう思っているだけで、ハルのような一般庶民のほうが数が多い。故に皆好き勝手に学校生活を謳歌してるのが、ハルが観察した花園学園の全体像だ。


 登校は坂を上がる面倒があるが、下校は快適の一言だ。駅前まで早くても八分で付いてしまうほどにスピードが乗るので、次の行き先まで心地よい気分で入ることができる。坂が終わり、あとは平坦な道を最短距離で進む。国道を抜けると、東京らしい人の喧騒で溢れかえっている。スーツと学生服、中には外国人らしき影もちらほら見かける。ハルは特に気にも留めなかったが、あるビルの前までたどり着くとそこで一旦止まった。


 自転車を端に寄せる。だがいつでも発進できるようにサドルから離れない。ハルが向けた視界の先には、オフィスビル前に広がる公園がある。遊具は少ないが、木々が広がっており、散歩道として年配のいい憩いの場と化している。その中で、ひときわ目立つ存在がいた。


「今日はいたわね」


 ハルは視線の先にいる者をみてつぶやいた。小柄な少女が、ビルのガラスを鏡にしてダンスを披露していた。眩い髪を揺らし、思いの限りステップを踏みこなしている。少女はヘッドホンをしているからか、周囲のことを気にする素振りはない。もっとも、ビルのガラスの中は締め切られており、中の者がいる気配もない。故に少女はこの場所を練習場所として選んだのだろう。


 ハルは少女が踊り終わるのを眺めていた。それが通勤途中の日課となったのは、夏の暑い日のことだ。この公園で少女が踊っている姿を目撃しなければ、こうして足を止めることはなかっただろう。彼女の顔をちらっと見かけることがある。間違いなく美少女に類する人間だ。それもそこらの美形を差し置いて、女優やアイドルをやっていてもおかしくないくらいに。


 彼女が一曲踊り終わったのを見届けた後、ハルは一つの動画を見終わった気分でその場を後にした。彼女と自分の道が交わることはないのだろう。だがいつか、あの少女が晴れの舞台で踊る時を目撃したのなら、そのときは応援しよう。星のような少女にハルはそう思うのだった。





 冬の到来が近づいてきているのか、室内の暖房が一週間前より高くなっている。肌寒い自転車の通勤にはありがたい。更衣室で着替えを済ませ、バイト先の先輩たちに挨拶を交わしていく。活発な少女の挨拶を元気よく返し、軽い世間話を交える。高校に上がってから新しく出来た日常だ。


 女子トイレの鏡で清潔感を整える。通常のファミレス以上の身支度をする必要があるので、勤務一時間前には到着する。もっとも、空いた時間で勉強はできるので決して無駄にはしていない。鏡に映るくせっ毛のボブ。化粧する必要がない瑞々しい肌を品よく彩るために、安物の化粧セットで丁寧に整えていく。当初はネットでの知識で見様見真似で行っていたが、明らかに顔のバランスの悪い感じが出てしまったのは、いまや懐かしい思い出だ。バイト先の先輩がレクチャーしてくれなかったら、客に対しても失礼なままだった。

 その先輩が化粧室に入ってきて、ハルに挨拶した。彼女はハルの隣にやってきて、とらえどころのない声を出した。


「ハルちゃん、いつも早くて関心関心。メイクもそろそろ完璧でしょ?」


「はい、先輩のおかげで恥をかかずに済みました。あ、でも甘いところ、確認してほしいなあって」


「もう、いつまでも後輩気分でいるなって。このバイト、普通の人が受かるような場所じゃないんだから」


 そういって先輩はハルの道具を手に顔の手入れをしていった。職場の雰囲気は悪いものではないが、彼女の言うとおりにアルバイトに受かる人は限られている。まず採用のための試験があるし、面接も就活より厳しいとネットでの評価でみたことがある。ハルはダメでもともとで、徹底的な対策を施し臨み、見事受かった。そしてここで働く人は、例外なく華があり、ここでの経験を世のため人のために使える人種ばかりが揃っていた。


 一流のシェフ、質のいいウェイターが勢揃いしていると有名なこのレストランで、自分は相応しくないのでは、ハルは思うことがある。事実、そのとおりではある。時給が高いという理由でこのレストランで働いてはいない。

 メイクも終わったようで、ハルは鏡の前を見て感嘆の声が出た。しかし先程の先輩の言葉がよぎって顔をしかめてしまった。すると先輩は背中に優しく手を当てくる。


「大丈夫よ。ハルちゃんはしっかりやってる。今日も頑張りましょう」


 ちょうど勤務時間になってきたので、五分前にタイムカードを切る。厨房に挨拶をしたあと、ボードに書いてある今夜のお客の確認をしていく。個室と夜景席が予約で埋まっている。これは大変な一日になりそうだとハルは感じた。


 平日の金曜日は週末と同じように混雑する。いまだに土日がおやすみという会社は多いらしく、大人のカップルがフォーマルな格好でやってくる。東京の夜景100選にも選ばれるほどのものらしく、カップルたちは薄暗い照明の中、楽しい歓談を繰り広げるのが、このレストランの光景だ。


 ミシュラン二つ星を獲得している名店で、料理のレベルもさることながらサービスの質も高いとの評判の高級レストランだ。ハルは四月になり始めたころに応募し、中旬に面接と軽い試験を行った。最初はそんなものがあるのか、と驚いたが、どうやらアルバイトのなかでは一般的ではないらしい。だが面接と試験に見事受かり、採用に至った。


 ハルの仕事は主に、接客と配膳のウェイターだ。一流レストランというわけではないが、それにふさわしい格好と振る舞いを要求する場なのは、一日目の勤務から分かっていた。従業員一人ひとりが意識が高く、ハルもその影響を受けメイクや振る舞いを覚える必要があると考えたほどだ。幸い、職場の人間は皆いい人で、ハルを妹のようにかわいがってきた。むず痒いが、時給もよく職場の雰囲気もいいので悪い気はしなかった。


 今宵のハルの担当は、個室のお客が二つと、夜景エリアの一部だ。エリアごとに担当が決まっており、食事を楽しんでいる間はそのウエイターが付き合う。ウエイターが変わってしまうと不安に陥る人がいるからだと先輩は語るが、そんな程度で不安を持つのなら普段はどんな不安を抱えているのかと心配にもなった。


 接客と配膳は滞りになく進んだ。ハルは店の中では年下だが、それを感じさせない所作や言動は上品な大人を演出できていた。ウエイターは主役ではなく、あくまで脇役。役に徹していれば、そんなに難しいものではない。

 時刻は九時をまわり、高校生のハルは退勤が間近に迫っていた。そういえば、ボードの隅に特別な催しが開催されると書いてあった。普段は日曜日のみの開催で、主にマジシャンショーやピアノの演奏で、静かな空間を彩るものになるらしい。先輩いわく、「日曜の催しを別の日にやってほしいって要望が多かったの」とのこと。ピアノはレストランのど真ん中に置かれており、てっきりただの飾りだと思っていた。ハルは日曜は休みなので催しを開いている事を今日はじめて知ったのだ。


 接客や雑用をこなして楽しみに待っていた。すると、九時十五分、その旋律はやってきた。


「──」


 ピアノが奏でている名前も知らない曲に意識が向いてしまった。そんな興味が一瞬湧いてしまうが、イヤホンに注文を報せる合図がなった。


「あ、注文が来ちゃった」


 個室の追加注文で意識が目覚めた。しかしピアノの音が名残惜しく感じてしまい、早く曲を聞きたいなと思ってしまうのであった。


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