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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅰ部】第三章 偶像の再定義
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空の気にさらされて


 自分の仕事が代返できるものでよかった。別の人間に仕事を任せ、ノアは松倉の駆るセダンの中でひとり思案に更けていた。

 先日の一件はハルの耳にも届いている。ミソラが体育館の卒業スピーチで生徒へ言葉を送ったあと、突如態度を豹変。そのまま旅するアイドルは、学園内に配置した監視カメラを破壊し尽くした。それ以外に被害は出ていないとのことだ。


 彼女たちはカメラだけの破壊で終わった。無断撮影と無許可配信による怒りが爆発したのだろうと世間は見ている。その一面もあるだろうが、最後のカメラが破壊されたときのミソラの言葉は、別の思惑を示唆していた。


 これからその手がかりを探しに行く。太陽と星が「空気」を捕まえに。

 ふと後部座席がひとりでに開き、ノアが慌てて乗り込んできた。スタジオでの州力が終わり、駆け足でやってきたようだ。


「行こ。〈エア〉が待ってる」

 ハルは頷き、松倉に行き先を伝えた。

「東京ドームに行って」

「あそこいま、プロ野球の試合があんだろ」

 訝しげに言う松倉にノアが補足説明を加えた。

「〈ハッピーハック〉が初めてドームでライブしたのがそこなんです。最初で最後の大舞台ってそこを指していると思います」

「だから最初で最後の大舞台ってわけか」


 松倉はステアリングを切り、車を進ませた。東京の雑多な摩天楼が後ろへ流れていく。車内に会話はなく、ハルとノアがそれぞれで考えを処理していた。

 ノアの想いは切実だった。宗蓮寺ミソラが〈エア〉であることは、ハルも疑いもなく同一人物であると確信していた。彼女がハッピーハックの曲で踊っていたパートは、〈エア〉が担当するものが混じっていた。同じステージに立った者だからこその違和感だった。


 それから旅するアイドルを解散させるために、宗蓮寺グループが抱えるコネクションを総動員した。視聴率が欲しいテレビ局、各SNS運営企業、その他の出資企業の協力もあり、ドキュメンタリー番組は成功を収めた。最終回のどんでん返しも、番組の意図から脱した旅するアイドルに称賛の声があがり、結果的にうまくいったと言っていい。


 だがハルとノアにとっては大失敗という他ならなかった。彼女たちは再結成を果たし、いままさに旅立とうとしている。せめて本人たちから、これからの展望は訊いておきたい。

 東京ドーム広場に横付けしたセダンを降り、ノアとハルは散策を開始させた。最初はもちろん、東京ドームの中が一番の候補ではあるが、ハルはそこには居ないんではないかと踏んでいた。


「あの中にいるのかな……?」

「絶対に居ないわ。まずそんな準備しているとは思えない」

「でも急に乱入したりとか……」


 ハルはドームの球体を眺めて、彼女たちの行動パターンを思い出す。彼女たちが外で歌を披露するときは、客が固定されている事が多い。ステージを観に来ている前提が全てだ。東京ドームには、アイドルのパフォーマンスを観に来る人はいない。


「あそこはいま、彼女たちのステージではない。だから考えられるのは、自分たちの土俵を少ない時間のあいだに作れる場所。東京ドーム周辺でそれが可能だとするなら──」


 ハルはドーム周辺の施設を散策した。候補を三つに絞った。まずはドーム前の広場だ。人通りと多いときとそうでないときの差が激しい。そこでパフォーマンスをしても試合の熱が残ったままでは見向きもされないだろう。もう一つはドームシティの噴水広場前。そこなら人の入りも期待できる。だがステージとしては小さく、実際見たところ違和感のあるものは見つからなかった。

 そして最後の候補場所。二人が辿り着いたとき、あからさまな違和感がそこにあった。


「……スポットライトがあるね」

「木のイルミネーションでしょ。……と、普通なら考えちゃうけど」


 二人が足を運んだのは東京ドームから100メートル離れたけやき広場だ。ここは先程の二つの場所と比べて最も人の出入りが少ない。辛うじて親子連れが通りかかるか、ちょっとした森林浴のために通りかかるところでしかないからだ

 ハルは時間を眺めた。午後六時、いつライブが始まるのか分からない。二人は手近な台に座り込み、アスファルトからの熱が冷めていく様子を肌で感じながら、ステージが始まるのを待った。

 時折、二人を見つめてくるものがあるが、こんなところに有名人がいるわけないだろうというバイアスがかかっていたので、声をかけてくるものはほとんど居なかった。


 そして一時間が経過したところで、変化はやってきた。ハルの隣へ腰を下ろすものがいた。その姿をみて、天雷を身に受けた衝撃がハルの体に走った。

 ラフな出で立ちをした少女は、帽子で顔が見えないようになっていた。しかし口元からその下の部分と黒のロングヘアだけで、かつての彼女の面影が容易に思い出せた。


「……〈エア〉」

 ノアが喉から絞り出すように彼女の名前を呼んだ。すると〈エア〉は微笑みを浮かべて、二度と出ることのないはずの声を発した。


「こうして三人で集まるのは、本当に久しぶり。……〈サニー〉、〈スター〉ちょっとだけお話しておこうよ」





 その姿も声も、三年前と何ら変わらないものだった。〈エア〉は〈ハッピーハック〉の楽曲を手掛けることもあり、若い才能と持て囃されていた。実際、彼女の曲がなければ〈ハッピーハック〉は世界的な人気を獲得できなかっただろう。


 しかし〈エア〉はもういない。その衝撃を、宗蓮寺ミソラのライブを見て思い知ったではないか。あのときと比べて別人になっている。髪色から顔、そして普段の振る舞いが〈エア〉とは似ても似つかなかったからだ。しかしパフォーマンスや声だけはごまかせない。何回も染み付いたものには嘘はつけなかったようだ。


「東京ドーム、懐かしい。私、少し前にドームライブの夢を見たわ。バラバラなアンコールに苦笑いして、そしてドームの外にいる人に幸せを届けるんだって、強い意志。……きっと二人は、前よりずっと強い思いで頑張っていたんだって」


 ハルたちは〈エア〉の言葉を真摯に受け止めていた。それはまるで泡沫の一幕。触れたら消えてしまいそうな危うさがある。


「……諦めたら、負けたことになるもん。〈エア〉を忘れないようにするために、私はアイドルをやり続けるつもりだよ」


 ノアが先に口を開いた。彼女らしい意思のこもった主張だ。〈エア〉はそっか、と遠くを見渡して、風と溶け合うような調子で言った。


「私、別に忘れられるのは怖くなかったんだけど、二人に忘れられるのは怖かった」

「──忘れるわけない。一日たりとも、忘れはしなかった」

「ふふ。大げさだなあ。一日くらい忘れたっていいのに。……ありがとね、二人共。こんなふわふわな存在にそこまで思ってくれて。〈エア〉はとても幸せ者。それを知れただけで、本当に──」


 日が徐々に傾き始めている。辺りは薄暗闇に支配されていて、仕事終わりのサラリーマンや、遊び帰りの若者が増え始めている。居心地の良さには、ある種の歪さが浮かび上がってきていた。それに心を砕かれながらも、どうにか彼女がいなくならないような言葉でつなぎとめようとする。


「本当に奇跡みたいな集まりよね。オーディションで集めたわけじゃなくて、全部私のスカウトで集めただけ。ほんと、よく参加してくれたって思うわ」

「なに苦労したみたいに語ってるのよ。私と〈スター〉は被害者みたいなものじゃない」

「……もう、そんな昔を振り返らなくてもいいのに。〈サニー〉が無茶苦茶だったから、私達が出会えたんだから」

「もう少し、リーダーに対する敬意をみせてほしいのだけど」


 自業自得だ、と二人が嗜む様子に三人は笑いあった。他愛のない少女たちの語らいが、どこまでのさえずるようで、しかし終わりのときは着実に迫っていた。

 話題は尽きない。尽きるわけがない。三年、この期間で三人はそれぞれの道を歩み始めているのだから。


 傍若無人な太陽は、遠い星と澄んだ空気に憧れを抱いた。太陽が自分の輝きを知るには他のものが必要だったからだ。〈サニー〉はステージを通して、自分に何ができるかを知った。


 孤独な星は自分が放つ光の意味を知らなかった。その光を誰かが観測したことで星は自分というものを証明することが出来た。〈スター〉はステージを通して、心の伝え方を知った。


 自由な空気はどこへ向かうにも満たされていた。しかし不自由を知らなかった空気は常に空虚が付きまとっていた。〈エア〉はステージを通して、本当の不自由を知った。


 彼女たちが手にしたものは、たったそれだけだ。三人でならなんでも叶えることができると思っていた。思い上がりではない。実際に手が届く範囲にあった。それが叶わなかったのは、きっと求められていなかったからだろう。


「さて、そろそろかな」


 時計を確認するまでもなく辺りは真っ暗になっていった。


「いかないで」


 ノアが止める。もうすぐでエアがいなくなる。彼女は新しい道を進んでいる。それはハルとノアが割って入ることが出来ない領域だ。


「わたしたち、絶対に守るから。〈エア〉があんなふうにならない世界を作るから。だから──」


 涙を隠すようにうつむくノアが言う。


「もう、誰かをかばったりしないで」

「……ノア」


 〈エア〉に一段と思い入れがあるのはノアだ。人見知りのときに頼っていた恩義や、暖かく接した日々もあるだろう。そして心を一番砕いているのはノアでもあった。


「〈エア〉は〈エア〉なんだよ。それだけで十分で、だからあのとき私をかばう必要なんてこれっぽっちもなかったのに、なんであんなことしたの……!?」


 ハルの脳裏によぎるのは〈エア〉が酸を顔に浴びるまえの出来事だ。ステージ上にバケツを持った者があがり、一番近くにいたノアに向けてバケツの中身を放った。ハルは突然のことに動けなかったが、ただひとりだけハルを追い越してノアを突き飛ばした。


 ハルの記憶にあるのは、床に転がるノアと絶叫をあげる〈エア〉の姿だ。あとは呆然と立ち尽くすしか無く、この状況に飲み込まれてしまったまま、〈ハッピーハック〉は解散した。


「悪質な人が冷水でもふっかけてくると思ったの。最悪、油性ペンキとか? 知っての通り、私の家すごいお金持ちだから、どうとでもなるかなって。──ただ、それが一番悪いものをかぶってしまった」


 彼女はノアの抱えるものを知っていた。〈エア〉から身を挺して守ったのだから、罪悪感を覚えるのも当然だ。


「それでもうあの時の話はそれで終わり。ノアがいつまでのあのときの幻影を追っているなら。……〈エア〉を望むのなら、もう必要ないようにするから」


 そう言って、〈エア〉は頭の被り物を取った。それから真っ直ぐとけやきの木々が並んでいる方へ歩みだす。暗闇が彼女を飲み込もうとする。ノアは立ち上がり追いかけようとするが、〈エア〉だったものがこう言い放つ。


「〈エア〉はね、もういないの。だってこんな被り物をしたって、〈私〉は戻らない。……だから、ここからは新しい『私』を紹介させてもらうわ」


 被り物が宙に漂う。帽子と黒いウィッグが床に落ちる。そうして彼女は暗闇の中に消えていった。〈ハッピーハック〉の〈エア〉はこれで死んだ。ハルとノアの胸のうちにあった彼女の幻影が完全に消えていった。本人からの言葉だ。見送るには丁度いいだろう。


 ハルは泣きじゃくるノアをそっと抱きしめながら、暗闇の向こうをじっと見つめていた。彼女の最期を見届けた二人は、夏の夜空の下で喪失した青春に終わりを告げるのだった。


 ──五つの光がハルたちを照らしたのは、そのときだった。

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