ドキュメンタリー
「……ユキナさんが、生きている……」
「戻ってくるとか、嘘ついてるんじゃねえよなあ」
「だから言ったでしょう。いつになるかは分からない。ただ、ドイツの港町にある倉庫で、彼の追手らしき日本人男性が殺害されていた。その人たちは現地で雇った半グレに殺されたものだけど、その半グレたちが逮捕されて供述でこぼしたらしいの。原ユキナという女を確保しろとね」
その情報ソースはどこにあるのか問いかけたくなる。恐らく独自の情報網で入手したもので、明確なソースはない。ただミソラが今まで得てきた中で最大の情報であることには間違いなかった。
「それからの足取りは掴めなかったけど、少しは希望が湧いてきたのではなくて?」
だが縋り付く希望にしては余りにも小さすぎる。むしろこのタイミングで切り出したからには、警戒心が俄然と高まるものだ。
「金城の追手が私達へ向かった理由は、本当にただの八つ当たりなのね」
「ええ、彼はその後に行方をくらませてしまった。ただ資産を凍結しているから、お金に苦しんで結局は自首するはめになるでしょうね。旅するアイドルは二人目のフィクサーを、知らず識らずのうちに打ち倒してしまったわけね」
金城はサヌールの件で実質敗北したようなものだろう。あとはハルが利用するだけ利用しただけだ。狡猾な手腕に改めて恐ろしく思う。
「先導ハル、話をすり替えるのはもういいわ。目的を聞かせて頂戴。私達がここへ来てからの出来事が全て撮影されていることは突き止めている。けど、そのために近隣住人を排除したり、ネットの情報を統制する理由がわからなかった。やっていることは、かつて〈ハッピーハック〉の情報が消えたときのようなことと同じ。世間はそれに対して反抗心を募らせるだけ。宗蓮寺グループの株が落ちるだけ……」
最終的には法的手段に則っての長い戦いが巻き起こるだろう。実に遠回りなことをする。そうするだけのメリットが考えついても思いつかない。
それから、ハルが気まずそうに視線をそらした。
「何よその態度は」
ハルは常に精神を上り詰めていく性質がある。誰かに対してあからさまに落ち込んだりしない。
「言い返す言葉がないのよ。実際、反発は〈ハッピーハック〉の時以上に苛烈らしくてね。結構ピンチなのよ。グループの存続レベルでね」
「……じゃあ、やめればいいでしょう」
「そうはいかないわ。私は、絶対に、諦めないって誓ったもの」
それからハルが立ち上がった。まだ話は終わっていない。ミソラの態度を察知して、アイカがハルの前に立ちふさがった。ハルはアイカを見て穏やかな笑みを浮かべた。
「市村アイカさんは、日本へ来てからこの国をどう感じた?」
「どうも思ってねえ」
「スミカさんはね、貴方と過ごしているときのことを楽しげに語ってたわ。彼女が持っていない可愛さを内包する、ある意味でのライバルだってね」
「だから、どうも思ってねえって──」
「だからこそ日常を知っておいてほしかったのよ。アイカさんの大事な物を取り戻したあとで、平和に暮らす方法や考え方、価値観とかを」
アイカはそれを聞いて戸惑いを浮かべた。覚えがあるのだろう。市村アイカが普通の日常を送るには、あまりにも常識を知らなすぎたと。ハルは言った。
「明日の日曜日の正午。私達の成果をすべて見せるわ。場所は各動画サイトで生配信する。情報統制も一時は解除されるから、これを見ているすべての人の反応も確かめてみて」
ハルはそう言い残し、学園長室を後にした。
すべての真相は明後日にしかわからないようだ。
翌日の正午まで情報統制が解除されたことを確かめるために、寮の部屋でアイカと共に各種サイトを閲覧した。そのことでネットニュースで盛んに取り上げており、宗蓮寺グループへの関与と不信の声が強まっていった。目下で注目するべきなのは、旅するアイドルのドキュメンタリー番組という項目だ。恐らくこれが、いままで撮影してきたモノの成果だと分かった。
「ドキュメンタリーなんて、また古典的」
八月の頭から週に一回放送されていると知ったのはその時だ。日曜日の正午に各種ネット配信、テレビでの放映がされているらしい。配信に参加している企業がハルの計画に協力したのだろう。だからこそ不可解だ。たかがドキュンタリー番組が、今行われている世間の反発をひっくり返すことができるのだろうか。
「二回まで放映されてるみてえだな。評判は良くねえみたいだが」
「情報統制した意味がこれだからよ。一定期間の再配信はないし、内容もノアとスミカが巷のものに関わる他愛のないものだもの。けど、ヒトミさんとユズリハさんの件は割と盛り上がっていたみたい」
二回目は恐らく番組側も想定外のことが起きた。ヒトミたちがライブを開催し、そのまま花園学園を去ってしまったからだ。
「盛り上げに貢献しちまったわけかアイツら」
「私達もね」
代わりに暴力性が鳴りを潜めるのでありがたいかもしれない。するとアイカが言った。
「何万人のほうが簡単だけどな」
パソコンを見る目がアイカの方へ変わっていく。その目と価値あった。感情を徹底的に排し、黒い眼には二択の選択肢が浮かび上がっているようだった。
「やるか?」
ぽつりとアイカがつぶやく。彼女の言葉が冗談だと思えないのは、態度から明らかだった。かつて国際テロ組織〈ザルヴァート〉は、各国で数百人から数千人規模の大虐殺を何回も行った。違法薬物を水源に流し込み、体表面に侵入した矢先から体の細胞が壊死するものから、爆弾を店先に設置して一斉に爆破させるもの、そしてドローン兵器による無人飛行での銃殺。それらを平然と行い、いまでも深い爪痕を残している。それが十年以上前の話だ。
ふとミソラは、死と隣り合わせに立っている気分に陥る。ミソラの一言で、状況が一変するようなそんな予感があった。ミソラはベッドから降りて、アイカの隣に座る。右指の中指を親指が支え力を込めた。それをアイカの額に「えい」とはなった。
「痛っ」
やったと内心喜んで、デコを擦るアイカにこう続けた。
「まったく、これから車を取り戻して旅を再開するっていうのに、面倒な発想はやめなさい。……まあ、やるならそうね。何万人もの人間がちょっと恥を感じるくらいのことでいいわ。例えば、突然ズボンやスカートが脱げてしまったり、突然秘めた思いを吐き出したりとか」
ほんの些細なことを刺激する。明らかに犯罪の匂いが漂うが、みんなでやれば怖くない精神が蔓延るのなら微笑ましいものになるだろう。
「バカバカしいな」
アイカが言った。鼻で笑った様にミソラは嬉しく感じた。死を予期させる空気感が和らぎ、いつのまにかアイカとも冗談を言い合えている。間違いなくここでの一件のせいだ。
時刻を確かめる。番組が始まる時間が近づいてきた。十時からドキュメンタリーの再放送が始まり二話分を流し、正午の最新話につなげる構成らしい。二人はパソコンの画面を映像に、スマホを情報統制が解除されたSNSを眺める体制で待ち構えた。
十時になって、動画が始まった。ナレーションはなんとノアだった。
序盤から彼女のみずみずしい語りで、番組の趣旨と密着相手を紹介した。
旅するアイドルという数ヶ月前に出現した集団が何者なのか、そしてなぜ旅をしているのか。そんなコンセプトが掲げられていた。
始まりの映像が流れた。神奈川県海老名市のショッピングモールで宗蓮寺ミソラという少女がステージに立ったのが起源であると紹介した。薄ピンク色の仕様に身を包み、三年前に伝説とかしたアイドルグループ〈ハッピーハック〉の楽曲を歌いきり、そのあと何者かに言葉を残した。
『私はいずれ、貴方達の寝首をかいて、私の世界を壊したことを後悔させてあげるんだから』
「恥ずかしい」
「本当にそう思ってるか?」
「いいえ。……励ましてくれた子がいたから、別に」
ユキナがミソラに向けてサイリウムを振らず、狂い咲きデスティニーが流れていなかったら、旅するアイドルにはなっていなかっただろう。ユキナは憂いを残さずにドイツで治療を受けることができたし、ある程度のお金を稼ぐことに成功したのだから。
次に石川のショッピングモールで事件が発生。視聴者提供というテロップのもと、ミソラとアイカ、ユキナの三人でたったステージが映っていた。その後、ユキナがカルマウイルスの感染者であり完治者であることが語られる。そして彼女に投与した特効薬に欠陥がみとめられ、長きに渡り後遺症を患ったことや、ほかの後遺症患者に死者が出ていることを、旅するアイドルが暴いたと。
続いてサヌールの紹介だ。次のターゲットは、なんて言い回しをしてきたのだが、心外だ。サヌールにはミソラの姉である麗奈が潜んでいる可能性を探るために潜入したに過ぎない。そこでの一件での語りが入り、いまだに一ヶ月前のことであると知る。随分と遠い出来事のように思えた。
そして旅するアイドルたちが花園学園で学園生活を始めるという、やや突飛な展開でようやく本編が始まった。経緯はリーダーであるミソラが花園学園の学園長と宗蓮寺グループ特別顧問の誘いを受けてというものになっていた。実際には長野で死の淵に陥ったりと語るべきことはあるのだが、さすがに話せるようなことではないらしい。
制服に身を包んだメンバー紹介が始まる。ミソラは宗蓮寺グループと関係しているが、親族の胴体が映され「わが一族に彼女のような人はいません」と否定的であると言った。麗奈と志度が行方不明ということを訊ねるインタビュアーに対し、現状を把握しているが二人は昔からふらっといなく鳴ることがあると語り、行方不明届は提出していないと言った。顔も名前も知らない同じ「宗蓮寺」の氏も持つ親族にいい感情を抱かなかったのは当然の成り行きだ。
大胆不敵にして豪胆、そして楽曲を手掛けるだけの逸材であることを強調してきた。無論、プロとしての自覚はあるのでいまさら褒められたところでかつて同じ評価で終わるだけだ。
次に市村アイカ。彼女のことについては、州中スミカのインタビューと合わせてアイカとか変わっていく様子を描いていた。アイカは頬杖を付きながら画面を凝視していた。
『最初は怖かったですよ、もちろん。まず本当に市村創平の娘か疑わしかったですから。でも関わってみると、そんな経歴なんてすっかり忘れて一人の女の子として、友だちになりたいって思いました』
それはどうしてかとテロップに、スミカはにこやかに答えた。
『だってアイカちゃんはアイドルですよ。まだ拙いところがありますけど、見事な運動神経から繰り出されるダンスは磨けばひかりますよ。数年もすれば、トップの層に食い込むかもしれません。まあ、応援されるかどうかは、やっぱり経歴が壁になってくるのかなとは思うんですけど』
スミカのアイカに対する評価はアイドルとしての素質を見出しつつも、それを阻む要因を遠慮なく語っていた。アイカは感情のない目で見ているだけだった。
続いてヒトミ。彼女の経歴はサヌールの不法入国者であることを示していたが、意外な人物から大空ヒトミのことについて語られることになった。東京の一等地に佇む旧華族、「大空」一族の一員であることが推察されていた。これにはミソラも初めて知る事実だった。だが、当の大空家当主、大空直彦はこれを否定した。うちには娘はおらず、息子だけしかいないと。ミソラは尺合わせのような情報に落胆し、続いてのユズリハも同じようなものだと見ていた。
だがヒトミより詳しい情報が出てくることになった。まず年齢が二十六歳だと暴かれ、東京大学法学部卒業後、弁護士の道へ現在歩みを進めているとのこと。出身地は宮城県仙台市で、インタビューで両親の話が出てきた。農家を営んでいる活発な両親だった。
ユズリハは昔から正義感が強く、いじめっ子を許さない性格だったと。そんな性格になった経緯は両親もよく覚えていないらしい。ただ真面目な性格で損をすることがあり、友達は少なく、高校の頃には家で帰って勉強する毎日だったそうだ。上京したあとのことは年に一度帰省するくらいらしい。
インタビュアーが、現在旅するアイドルに加わっていることについては心の底から驚いていた。どうやら初めて知った事実らしい。それについての感想はないが、ユズリハの両親は「良い親」という印象が付きまとっていた。最後にユズリハにメッセージを送ることになり、「お仲間と遊びにおいで」と闊達な笑顔で締めくくられた。この映像を見ているユズリハにとっては悶絶ものだろうと、勝手な想像を浮かべた。
第一話の後半は、学校という場所で過ごすメンバーたちの他愛のない日常が映っていた。アイカがボイコットした場面もカメラに映されており、最後にはスミカが手を差し伸べることで「彼女はようやく日常の一歩を踏み出したのかもしれない」と情緒あふれる言葉で終了した。
ミソラたちはエンドロールを眺めながら、複雑そうに顔を見合わせていた。まず許諾なく無断配信している時点で「犯罪」なこと、それを平然と日曜の昼に流す豪胆さに寒気がした。
SNSの反応は再放送ということで、そんなによろしくはない。どこにでもあるようなドキュメンタリー番組の構成だったからだろう。だが第二回目をお墨付きにしている人がネットの書き込みに散見していた。
ふとアイカの反応が気になった。彼女はミソラを一瞥してから画面へ戻した。彼女も映像を見てミソラの反応が気になったのだろう。
「ある意味では良い宣伝かもしれねえな」
「ええ。どこまで流れているのかわからないけど……これをユキナさんが見ているといいわね」
「まあ、居所分かってるわけだしな。そういう意味では悪いもんじゃねえ」
だが本音では別の印象を持っているはずだ。だが不快な事実をわざわざ口にする余裕はなかった。
続けて二回目の放送が始まった。内容は旅するアイドルの今までの旅路についてだった。




