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scrapbook 2021  作者: a i o
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紅(べに)

**ショートストーリー**

 鏡台の前でたっぷりとした黒髪を(くしけず)り 、杏子(きょうこ)は真正面に映る、己の顔を見返した。

 見飽きた、それでいて全くの他人にも見える少女がこちらを覗いている。くっきりとした眉、つり目がちな瞳、こぢんまりとした鼻と、薄い唇。頬にちょこんと現れた忌々しいできものが、鏡に映る少女と自分が同じ人物なのだと主張していた。

 レースの縁取りのついた襟のブラウスに、天鵞絨(ビロード)の細いリボンを合わせ首もとで結ぶ。

『洋装もお似合いになりますね』

 先週、母とデパートに出掛け、女学校の松本先生に偶然会った時に掛けられた言葉を、杏子は無意識に何度も反芻していた。

 先生にお会いすると分かっていたなら、あの深緑のワンピースでなく、もっと春らしい色合いのものを着ていったのに……。

 国語を担当する松本スズ江先生は、杏子の密かな憧れの女性(ひと)だった。

 背筋のすうっと伸びた佇まいと、女性にしては幾分低い声。しかしその声は教室を涼やかな風のように駆け抜け、しばしば杏子の胸をも貫いた。松本先生のふっくらとした唇が杏子の目に焼き付く。()された紅は、落ち着いた深緋(こきあけ)色で、けばけばしさなど微塵も感じず、先生の口元を引き立てるように彩っていた。

 杏子は鏡台の引き出しをそっと開けると、胸が高鳴るがまま、ハンカチにくるんだ紅を取り出した。

 装いに口煩い母の目を盗んで、同じ年頃の女中に頼み込み、(くだん)のデパートで買ってきてもらった品だ。娘に甘い父から貰った小遣いを、こんなものに使ったと知れたら母から大目玉を食うだろう。

 装飾の施された円形の蓋を取ると、鮮やかな練り紅がつやつやと輝く。どこか淫靡な気持ちで、杏子は紅差し指でそれを唇にそっとつける。

 この唇には血が走っている。かくも熱く、あの女性(ひと)と同じ薔薇のように赤い血が──

 鏡の中の少女がうっとりとした表情で、じっとこちらを見つめている。あたたかな指先をうすく開いた唇に押し付けると、花びらのような跡が、滲むように残った。



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