崖の上にて
男は木にロープを結びつけると、崖下に放り投げた。そしてロープに『引っ掛け』と呼ばれる器具を着けている。正式名称は『ロリップ』と呼ばれる安全器具なのだが、ここでは引っ掛けと呼んでいるらしい。
「ここを握ったら降りれるけぇ。まあ上手くやれぇ。」
そう言って男はスルスルとロープを降りていき、ある地点で崖に向かって金属製の杭、アンカを打ち始めた。他にも数人が同じことをしている。
次郎も同じように線路に背を向けロープを伝い、降りようとする。が、降りられない。ここを握れと言われた部分が握っても動かないのだ。先ほどの男が握った時は、カチャリと動きスルリとロープの上を滑ったのに。
「腰ぃ浮かせぇ! 荷ぃかけたまんまやと動かんでぇ!」
ロリップと言うものは、下方向に荷重がかかっている状態では動かない。安全器具なのだから当たり前だ。下向きの力を利用してロープを挟み、法面で作業をするための器具なのだから。
動かない理由は分からないが、腰を浮かせろと言われたのでその通りにしてみる。すると今度は予想以上に引っ掛けが動き、次郎の体は法面上を数メートル転がり落ちた。引っ掛けから手が離れれば体も止まり、多少の擦り傷ぐらいで済んだ。しかし、腰袋の中身は三割ほどが法面上にばら撒かれてしまっていた。
「ギャハハハ!」
「気ぃつけーよ!」
「落としたアンカは拾わんでええで!」
「軽ぅなってえかったなぁ!」
口は悪いが不思議と悪意を感じない。確かに腰は軽くなったし、むしろロープにぶら下がっていると立っている時より楽な気さえする。
「ええか、ここやぁ。ラスとラスが重なってんだろ? ここにアンカぁ打つんで?」
「あとなぁラスの端はこうして折り曲げとけなぁ」
「凹んでんとこにも増しで一本打つんだで?」
辿々しい手つきで言われる通りにアンカを打つ次郎。長さは二十センチ、太さは一センチに満たない鉄杭である。先は尖っており、頭はレの字に曲がっている。ハンマーで打ち込むことでその曲がった部分が金網を法面に固定する方式となっている。これも正式名称はアンカーなのだが、ここの皆はアンカと呼んでいるようだ。
たった五本打ち込んだだけで、もう次郎は手首が痛くなってしまった。相変わらず汗は止まらない。腹も減っているし喉もカラカラだ。しかし、誰も休憩などしていない。打てと言われたからには手を止めない次郎。
そこに笛の音が響く。
「列車通過五分前! 作業中止!」
次郎に意味は分からないが、他の皆は手を止めている。そして崖に背中を預けるように座り込んでいる。
「ええか! 座ったまんま動くなよ!」
偉丈夫の声がかかる。次郎は休憩できることに安堵していた。