兄の豹変
次郎としては、また居酒屋に連れて行ってもらえると内心喜んでいる。健二が多忙だったらしくここ数ヶ月ほどご無沙汰だったのだから。
平静でいられるはずもないのは彩花と健二だ。
彩花にしてみれば大好きな兄に最も見られたくないところを見られ、健二にしても可愛い妹が庭師風情と関係を持っているだなんて。目の前の光景が信じられなかった。それ以上に、目をかけていたつもりの次郎に裏切られたのだ。尤も、いくら目をかけていようとも次郎は所詮ただの庭師でしかない。犬猫をかわいがる程度の気持ちしか持ち合わせていないくせに。
当然だが健二の次の行動は、次郎を蹴り飛ばすことだった。彩花の下に組み敷かれている次郎を。
兄と慕う健二になぜ蹴られたのか理解できない次郎。さらに理解できないのは彩花に対してもだった。健二に縋り付いて泣きながら、怖かった、次郎が無理矢理、などと言い放っている。健二がその言葉を疑うことなどない。どう考えても次郎が彩花を凌辱したに決まっている。しかし、彩花の将来を思えば公表などできるはずがないし父親に報告する気もない。自分だけの胸にしまっておくべきだ。必然的に健二の行動は定まった。
「出て行け。五分だけ待ってやる。服を着て、荷物をまとめろ」
もちろん次郎には理解できない。大好きな健二が台所の油虫でも見るような目で自分を見ている。しかし、言われたことには従うのが次郎だ。服を着た。荷物なんて鞄一つに収まる程度しか持ってない。
悲しそうな顔をして荷物をまとめる次郎を罵倒する彩花。言われた通りにしただけなのに、なぜ罵倒されるのか。次郎には何一つ分からない。
荷物は少なくとも、とかく手際の悪い次郎である。たちまち五分が経過したため健二から殴り飛ばされて鞄を取り上げられた。そのまま襟首を掴まれ、引き摺られ、外へと叩き出されてしまった。小柄な次郎はさぞかし軽かったことだろう。
「出て行け。お前の居場所はもうどこにもない」
状況など全く理解できない。しかし、もうここにはいられないことは分かった。地面に散らばった荷物を拾い集め、項垂れるように藤崎家を後にした。
背中に刺さった兄の一言、そのまま野垂れ死ね、がまた一つ次郎の傷を広げた。