辻の陽動
「じ、次郎が何だって言うのよ……」
つい言い返してしまう彩花。先ほどまでは頑なに口を閉じていたのだが。
それこそが、辻の術中だというのに……
「えぇ? 今から刑務所に入る彩花ちゃんには関係ないよねぇ。彩花ちゃんが刑務所で辛い思いをしてる間に次郎君はきれいな女性と所帯を持って、温かくて幸せな家庭を築くんだろうねぇ。きっと子供も生まれたりしてさぁ。それもまた人生だよねぇ」
「そ、そんなこと……」
「じゃ、彩花ちゃん。今日のところはここまでにしておくよ。もし何か思い出したことでもあったらまた教えてね? 彩花ちゃんが身を挺して次郎君のことを想う姿勢には心を打たれるけど、僕ら弁護士は真実を追求しないといけないからさぁ? 真実をさ。じゃ、またね?」
そう言って彩花の反応を待つことなく、辻は面会室から出ていった。初犯の殺人で懲役二十年、それが妥当なのか重いのか彩花には分からない。そもそも姉である莉奈が生きていることすら聞かされていないのに。
彩花の心は揺れていた。次郎は何も悪いことなどしていない。だから幸せになる権利がある。それは間違いない。彩花は本当にそう思っている。
だが……自分が年老いて子供も産めないほどの歳になった時、見知らぬ女と所帯を持ち、幸せに過ごしている次郎を想像した時……
……彩花の心はどうしようもない嫉妬と殺意で埋まってしまった。