彩花の電話番
彩花の昼は美砂の指導により料理を作るところから始まる。
「あんたホント包丁の使い方下っ手クソだねぇ」
「そのうちできるようになるもん……」
「そりゃそうだ」
不揃いの野菜が鍋に投入されていく。
「さぁて今度は味付けだよ。と言っても出汁はとってあるし、塩でも醤油でもお好みで入れてみな」
「う、うん」
お好み、そう言われても彩花には感覚が分からない。とりあえずお玉に一杯の醤油と塩を一振りほど入れてはみたが。
それから煮込むこと十分と少し。
「さて、味を見てみな」
「うん……」
お玉で汁を掬い、取り皿に移した彩花。恐る恐る口に寄せる。
「あっ、美味しい! でも少し塩辛い気もする……」
「醤油が多いんだよ。美味しいのはいい出汁使ってるからだね。まあ食えないほどじゃない。これで中身に対する塩や醤油の加減が分かったろ。次はうまくやんな」
「うん……」
それでもまともに食べられる料理を作ることができた彩花。今夜はもっとおいしい料理を次郎に作ってあげよう、などと考えていた。
午後からは美砂が出かけたために彩花は一人で電話番をしている。相手の名前と電話番号、そして用件を聞くだけでいいとは言われたものの……黒い電話をじっと睨み、神経を尖らせていた。
そして三時前。
トイレに行きたいが電話の前を離れられない。そろそろ美砂だって帰ってくるはずだ。それまでは我慢しようと思っていたところに……じりりりりんと、電話のベルが鳴った。
「は、はい白浜組です!」
「さんしょくのすくもじまです。明後日のはぶの現場のラスの数なんですけどちーと足りないんでそっちの手持ちを10ばかし都合してもらっていいですか?」
「あ、あの、もう一回いいですか……」
「え? あ、ああ。明後日の土生の現場の件なんですよ。ラス網の数が足りないんですいね。なもんで親分とこの手持ちのやつを10ばかし現場に持ってきといて欲しいんですね」
「え、えっと、明後日、はぶ、らすがじゅう足りない……お名前とお電話番号いい……ですか?」
「え、えーっとさんしょく、三葉植生シードカンパニーの粭島ですけど……もしかして新しい人?」
「あっ、そ、そうです! 藤崎彩花って言います! あの、それでお電話番号は……」
「○○○の○○○○。じゃあお仕事がんばってね。」
「は、はい!」
電話を切ったとき、彩花はすっかり精も根も尽き果てていた。それでも殴り書いたメモを何度も読み返し、先ほどの会話を思い返しながら間違いがないかを確かめるのだった。彩花が初めて対外的な仕事を終えた大事な証、それは広告の裏に鉛筆で書かれた乱雑な文字だった。習字、硬筆では四段の彩花が書いたとはとても思えない汚い字だった。