川西美和子、ケイと動物園へ行きます
よろしくお願いします。
昨日のことを思い出すだけで顔が熱くなる。
あの時何を言おうとしたのか、真剣に考えるってどういう意味だろう、聞けない疑問に心が乱される。
けれど、推測できないほど初心でもない。自惚れでなければだが……余計に気になる。
今回のことは、元カレのことを吹き飛ばすほどの衝撃だった。
あれからアキラとの連絡は、無事に帰宅したことと、おやすみのメッセージぐらいでだった。
それが何とももどかしい。
「ミワコ?」
目の前には紫。紫色の長い前髪から僅かに見えた、アメジスト色の綺麗な瞳。
今日はケイとの動物園デートの日である。
今は入場チケットを買うための列に並んでいるところだ。
ケイとデートするのはすごく楽しみだったのだが、大変申し訳ないが昨日のことで余裕がない。
気を抜くと、無理矢理頭の隅に追いやった記憶が戻ってきて、思考のループに嵌まってしまう。
仕事で都合がつかなかったとはいえ、なんで私、連続で予定入れちゃったんだろう。
「あ、ごめんね。何かな?」
「どうしたの? 何かあった?」
心配そうなケイの顔が、思ったより近くにあって心臓が跳ねる。
ツンと眉間を押されて、しわが寄っていたことに気づいた。
急いで眉間のしわを手で伸ばす。
「ごめんね。ぼーっとしちゃって。大丈夫だよ」
ケイにアキラのことを言えるわけがない。
「……そっか。困ってることがあったら相談してね」
「ありがとう。そうするね」
チケットを購入して、パンフレットをもらい、2人で一緒に覗き込む。
「うーん。どこから行こうか? ケイは行きたいところある?」
「…動物触りたい」
「じゃあふれあいコーナーにいる時間を長くしよっか。あ、イルカショーがあるね! これ見たい!」
「うん。見よう」
この動物園はイルカやペンギン、ホッキョクグマなど海の生き物もいる大きな施設で、観光客や家族連れに大変人気がある。
最近パンダが生まれたらしい。
他にもふれあいコーナーが充実していて、沢山の動物と触れ合える。
動物好きのケイと行きたいと思っていた場所だ。
私たちは、ショーの時間までいろんな動物を見て歩くことに。
サファリゾーンを周回するバスに乗って猛獣のいるゾーンへ向かう。
ケイのテンションが上がっているようで、窓の外の動物に興味津々だ。
周りに見えないお花が飛んでそうだ。思わず頬が緩む。
おしゃれブラウスとお気に入りのロングスカートでデートコーデには気合いを入れてきたが、ケイの方がよっぽど可愛い。
「あの岩の上に転がってるのがライオンだよ。ふさふさがあるのがオスだよ」
「キャッシーより大きいな。ライオンは肉食なんだね」
草食動物ゾーンではキリンを見て驚いていた。こんなに首の長い動物を見たのは初めてらしい。
「すごく首が長い……」
「だから、キリンは高血圧らしいよ。脳まで血液を運ぶのに、高血圧に進化したんだって」
「そうなんだ。確かに、あれだけ高いところに血液を送るとなると、心臓も大変そうだね」
イルカショーを見るために、ステージのあるプールへ向かう。
ショーの後は昼食の予定だが、ケイがキラキラした目で、売店のイルカの容器に入ったポップコーンを見ていたので、1つだけ買って、2人で分けることにした。味はキャラメルだ。
ケイがキャラメルのたっぷりかかったポップコーンをつまみ上げ、わずかに緊張した面持ちで、口に運ぶ。
私も緊張しながら、ケイの反応に注目する。
わずかに開いた唇に当て、ゆっくりとポップコーンを口内へ招き入れる。直ぐ様、唇が弧を描く。
私は心の中で、ガッツポーズを決めた!
「美味しい……」
ポップコーンキャラメル味を発明した方に感謝したい。
ステージの座席は中段辺りを選んだ。
カッパを買うか悩んだけど、ケイが濡れても気にしないと言ったので、濡れるゾーンのすぐ上の段に腰を下ろす。
「わ! すごい、跳んだ! ねぇミワコ、イルカ賢いね! あ、人乗せてる」
ケイは周りの子ども顔負けに驚き、楽しみながらイルカを見ている。
私たちが当たり前のように見たことのあるモノを、彼は見たことがない。異世界出身なんだから当然だ。
イルカが中に吊るされたボールを、ジャンプして触ったり、いろんな芸をしている。
それをケイが嬉しそうに見ていて、僅かに飛んできた霧のような海水にすら、心地よさそうに笑っていて、見ている私が幸せな気分になる。
一緒に来られて本当に良かった。
イルカショーが終わって、ふれあいタイムに入ると、イルカに触りたい人の列がステージ近くにできる。
「ケイ。せっかくだから、イルカ触らない?」
私がそう提案すると即答で触りたいと言ってくれたので、一緒に一番下の席、プール際まで降りる。
飼育員のお姉さんに声をかけて手指消毒をし、列に並ぶ。
ケイの分かりにくい表情が僅かに強張っているので、きっとイルカに緊張しているんだろう。
「お待たせしました。次の方どうぞ」
お姉さんに指示された、イルカのわきに立って、イルカの体を撫でる。
とってもおとなしくて可愛い。
「ケイも触ってみて。可愛いよ」
少し離れて立っていたケイに声をかけると、近づいてきて恐る恐るイルカを撫でた。
「んっ……可愛い。つるつるしてるね。なんだかゴムみたい」
ケイが撫でるのをやめると、イルカが鳴いた。
「この子、お兄さんのことが好きみたいです!女の子なんですよー」
お姉さんにそう言われて、もう少しだけ、とケイが撫でる。
イルカもイケメンが分かるのか。
確かにケイは黒Tシャツにグレーのパーカーを羽織って、スキニーを履いているシンプルなコーディネートだが、スタイルがいいので、前髪が長くても似合って見える。
ちらっと見えたアメジスト色の瞳も含めて、お約束通りのイケメンだ。
そのまま写真を撮ってもらって、ステージを降りた。
水槽に沿って歩きながらイルカたちが泳いでいるのを見ていると、コンパスの差かケイは少し前を歩いていた。
ふと、ふれあいタイムの終わった先ほどのイルカがステージから降り、こっちに泳いできたのが見えたので、足を止める。
イルカはかなりのスピードで泳いで来て、私の正面で大きく跳ねた。
「わ! びっくりした……ミワコ、大丈夫?」
「大丈夫……びちゃびちゃだけど」
「すみません! あの子、お姉さんに嫉妬したみたいで」
飼育員のお姉さんが飛んできて謝られてしまった。
周りにわずかに残っていたお客さんに笑われた。
ちょっと恥ずかしいが、ケイがイルカにそんなに気に入られたなんて嬉しい。
「大丈夫です。イルカにモテるなんて、ケイ凄いね。私、ちょっとお手洗いで拭いてくるよ」
「!! ミワコ、風邪引くからこれ着て行って」
「でも濡れちゃうよ? いいの?」
「うん、早く着て……」
促されるままにケイのパーカーに袖を通す。
流石メンズサイズ。私には大きい。
手が半分しか出ないし、裾丈も太ももの半分ぐらいまである。
「ありがとう。ちょっと行ってくるね。ん? なんかケイ、耳が赤くない?」
「……そんなことないよ。早く、風邪引くから」
そんなに寒い季節ではないので、そう簡単に風邪は引かないと思う。
まぁベタベタして気持ち悪いのもあって、特に追及もせず、そのまま一番近い女子トイレへ向かった。
トイレに入ってパーカーを脱ぎ、服をタオルで拭いていると、女子高生だろう3人が入ってきた。
「あ、イルカに水かけられたお姉さんだ。大丈夫ですか?」
明るいショートカットの女の子が話しかけてきた。
「うん。大丈夫だよ。ありがとう」
「必要なものあったら、あたしら買ってくるんで言ってください! その格好だと彼氏さん心配しますよ」
「そんな、申し訳ないよ。ん? その格好?」
「あ、鏡見てないんですか? 絶対着替えた方がいいです! 鏡見てください」
女の子たちに促されて鏡を見ると、着てきたブラウスがばっちり透けていた。うわー!
中に来ていたキャミソールも見事に透けて、体のラインに服がピッタリ張り付いて、とてもじゃないが外を歩ける格好ではない。
だからパーカーを貸してくれたのか……認識した途端、羞恥心で顔が熱くなる。
「……ごめんね。お金渡すから、服を買ってきてもらっていいかな?」
女の子たちは2人が買いに行ってくれて、最初に話しかけてくれたショートカットの子が私と残ってくれた。
「ほんっとに、ありがとう。もうすごく助かったよ」
「いえいえ。心配だったんですよ。お姉さん綺麗だから、彼氏さんめっちゃ焦ってたし」
「あはは……彼氏じゃないんだけどね」
「そうなんですか! あれは絶対お姉さんのこと好きですよぉ。トイレ入る前に、トイレの近くでソワソワ待ってたし、お姉さんのこと手伝ってあげてって声掛けてきたし」
「えっそうなの? 不審者に間違われないといいけど……後でお礼言っとこう。貴女は好きな人いるの?」
この年で女子高生と恋バナをする機会があるとは思わなかった。
その後、2人が帰ってきて買ってきてくれたTシャツに大急ぎで着替え、女の子たちに手を振って、トイレを出た。
「あ、お姉さんちょっと待って。このヘアゴムあげる! Tシャツ買った後に無料配布でもらったの。余ったからあげるよ」
「みんな本当にありがとう」
ケイは本当にソワソワとトイレの近くで待っていて、ちょっと笑ってしまった。
「! ミワコ! 大丈夫だった? 僕、服買いに行った方がいい? って聞けなくて。着替えたんだね……。もしかして自分で買いに行ったの?」
心配そうにケイが聞いてきた。
「ううん。女の子たちに買ってきてもらったよ。声掛けてくれたんでしょ? ありがとう」
「良かった。あ、可愛いTシャツ……」
「パンダ柄だよ。意外とおしゃれだよね」
それからは、お昼ご飯にパンダランチを食べる。もう可愛すぎて、いっぱい写真を撮った。
次話に続きます。