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「リヒャルト、最近休みの日どこに行ってるんだ?」
それは、巡回後の昼休憩の時だった。この街に来て恐らく一番親交のある相手ハンスが不思議そうに聞いてくる。
このカルッテで一番親しい衛兵長のハンス・ワーケン。性格で言えば、硬派を地でいくリヒャルトの正反対をいく軟派な男。付き合うのは女のみにあらず男とも付き合うハンスは、街では有名な男で、リヒャルトが来るまでは、街の人気ナンバーワンだった男だ。甘い整った顔立ちで、スルスルと甘い言葉を吐く彼は、最初、リヒャルトのことを気に食わなかったが、包容力あるリヒャルトの性格を知ってからは、仲が良くなったのだ。
「ちょっと野暮用があって」
リヒャルトは、メアリーの存在をハンスに教えたくなかった。メアリーが魔女だからではない。ハンスはバイセクシャルで、手が早いモテる男だったからメアリーの存在を知れば、メアリーを取られてしまうかも知れないと思ったのだ。
だが、色恋沙汰ならハンスの方が一枚どころか二枚は上手。直ぐに、女絡みだと気づかれてしまう。
「ほー、女か。堅物童貞のリヒャルト様も遂に女に目覚めたか」
「やましいことはしてません。……それと会うたびに童貞と揶揄うのやめて下さい」
「いやぁ、ごめん。あの完璧なリヒャルトがまさか童貞だとは思わないじゃん?俺がリヒャルトに勝てるところなんて唯一そこぐらいだからつい」
「ハンスはそれ以外にも私より沢山優れていますよ」
「それを地で言えるのがリヒャルトの本当、すごいところというか。なんかお前、本当に良いやつ過ぎて心配」
「そんなことありませんよ。私にだって、色々ありますし」
「色々ねぇ」
ハンスは、訝しげな顔をしながらもそれ以上追求してこなかった。ズバズバものを言うくせに、本当に突っ込んで欲しくないところはそっとして置いてくれるところがハンスのコミュニケーション能力の強さだろうか。
「そういえば、俺の幼馴染が恋人できないって泣きながら酒飲んでてさ。もう、俺、可哀想で。あいつも、魔眼の呪いにかからなきゃもう少しましな生活が送れるだろうに」
「魔眼……」
メアリーの友人であるニーナ・ハヤシも確か魔眼の呪いにかかっていたはず、とメアリーとの会話を思い出す。呪いに種類はあれど魔眼の呪いの持ち主はそういないはずだとリヒャルトはハンスの幼馴染がメアリーの友人だと半ば確信する。
「その幼馴染って、ニーナ・ハヤシさん?」
ハンスもまさか幼馴染の名前を当てられるとは思わなかっただろう。なんせ、あの幼馴染。呪いの解呪の代わりに存在感を失った幼馴染なのだから、普通にしててもあの幼馴染のフルネームを知る者は少ない。
「なんで知ってんの?」
「なんとなくです」
メアリー曰く、存在感を失ったニーナ・ハヤシはハンスとメアリー以外どう頑張っても友達が出来なかったらしい。魔女であるメアリーには、魔法の類による影響は受けないからニーナ・ハヤシは普通の人に見え、ハンスには家族のような特別な絆があるのではないかとメアリーは言っていた。
ついでに、ニーナ・ハヤシはとても派手な美人で一目見ただけで忘れられないインパクトのある女性らしい。存在感がない反動らしい、とメアリーは語っていたがリヒャルトにはよく分からなかった。
「なんとなくって、お前。ニーナはな、同級生にも名前を覚えてもらえないほど存在感のないやつなんだぞ。だから、俺以外ニーナのことなんて話題にも上がらないはずだし、普通だったら知るはずがない!」
「私は、魅力的な女性だと聞いたのですが」
「はぁ!?それこそ、あり得ない!」
「いや、自分の幼馴染をそこまで否定なさらなくても」
「だってニーナだぞ?あの、ニーナ。俺、ニーナの裸を見てもなんも思わなかった。だから、そんなのあり得ないだろ!」
「裸って、……ニーナ・ハヤシさんとお付き合いなされていたのですか?」
「違う。違うけどさ。……もしかして、ニーナに気があるのか?それなら、直ぐにでも会わせる!これでお前らの童貞処女も卒業だしな」
「いえ、そう言うわけでは。ただ、会ってみたいのですが」
その時、リヒャルトにはある作戦があった。メアリーは、いつもリヒャルトの話を楽しそうに聞いている。メアリーは、森の外の世界に憧れていた。そこで考えたのが魔女だという理由で人と関わらず、臆病で自己評価の低いメアリーをどうにか救い出す作戦だ。まだ作戦も定まっていないそれを実行に移すには、人手が足りなすぎる。その為に、メアリーの見方となってくれる協力者が欲しかった。
「ふーん。まあ、いいけど。ニーナは、イナハ町のコチョウ通りのハヤシ書店にいるから尋ねるといいよ。こっちにも都会にある電話が流行ればいいんだけどな。そういうわけにもいかないし」
「ありがとうございます。やっぱり、お名前から思っていたのですが東方の方なのですか。イナハ町は東方の方が多いと聞きますし」
「いや、ニーナ自身は三世で、ほぼこの国の人間って感じだぜ。まあ、父親の教育で何ヶ国か読み書き出来るみたいだけど、それ以外は、……そうだなニーナの真っ黒な髪はまあまあ珍しいくらいだな。あと、俺は純西出身だけどあそこ住んでたぜ。東の国の特徴とかで真面目な人が多いらしくて、俺の両親はその特徴に感銘を受けてイナハ町に住んだらしいやら、なんとか言ってたなぁ」
「じゃあ、ニーナさんも真面目な方なんですか」
「いいや、真面目ではないな。真面目なふりしてふざけてる」
「はあ」
真面目なふりしてふざけてる、とはどういう状態を言うのだろうか。
リヒャルトの頭の中で、真面目な女教師が全力でどじょう掬いをしている場面が思い浮かばれて、眉間にしわを寄せる。あんまり考えると頭の中が混沌となりそうだったので、リヒャルトはハンスに聞きたい本題を話した。
「ハンスはラッセルの森によく行きますか?」
「ラッセルの森? 行かねーよ。だいたいあそこは魔物が滅多に出ないって事で巡回場所からも外れてるし、今時森の中に入っていく前時代的な人間もいないだろ」
「なるほど、あそこの森に人は滅多に行かないと。では、そこで女性を見かけたなんて噂は聞きませんでしたか?」
「女?聞いたことないな……あ、でもニーナはあそこ、爺いの命令で薪拾いに行ってんなぁ。何、それでニーナのこと知ったの?」
「ええ、まあ、そんなとこです」
「まじかー。噂になってるって教えてやろ」
「噂ってほどてばありませんよ。とにかく、今度ハヤシ書店に行ってみたいと思います」
「おお、行ってら」
巡回で何回か来た道ではあるが、私用でイナハ町に来たのは初めてだったリヒャルトは、早速、ハヤシ書店を探した。
通りを歩いていると、案外すぐハヤシ書店は見つかって、それは首都にあるような地方には珍しい大きな本屋だった。印刷技術が精霊術によって発達したとはいえ、本は未だ貴重品。高価なものだ。リヒャルトは、着いてすぐに尋ねるのも味気ないと思い、本を見て回った。
(これはすごい)
貴族の次男として裕福に育ち、読書が趣味だったリヒャルトも見たことのない古今東西の歴史書や御伽草子が揃っている。勿論、それは手に取れるような場所には置いておらず、店主に声をかけて出してもらうようだった。
(これは是非、話がついたら買って帰ろう)
本を一通り眺めてから、ニーナ・ハヤシらしき女性を探すが見当たらない。盗難防止のため、レジカウンターが入り口にあるのは分かる。そこには、沢山の書類が置いてあり、初老の男性が座っているのみだ。
(今日は居ないのか)
もしかしたら、本の整理をしているのかもしれないと店主と思しき初老の男性に声をかけてみることにした。
「突然、申し訳ありません。私、聖騎士団第二隊所属リヒャルト・バルデーと申します。ここにニーナ・ハヤシさんという方はいらっしゃいますか?」
ただの質問だ。だが、その男性は少し困った顔をして目線を横にずらし言った。
「えっと、一応君の目の前にいるよ」
そう言って横を見てみたが、分からない。何かいるような気もするが何も見当たらない。
(これが精霊器具の副作用)
そこで、リヒャルトはニーナ・ハヤシの精霊器具の副作用、存在感の微小化を思い出した。気付けないカラクリが分かっても気付けないものはどうしようもない。
これでは、どうやって彼女とコミュニケーションを取ればいいのかと戸惑っていると、クスリとひとつ笑う声が聞こえて、気がつくと目の前に特徴のない黒髪の女性が立っていた。
「はじめまして。ニーナ・ハヤシです」
声を聞いてやっと、存在が分かる彼女は、もしかしたら幽霊みたいなのと似通った存在になっているのかもしれない。
いきなり現れた女性に、少し間があいたがリヒャルトはすぐにいつもの微笑を浮かべる。
「これは、申し訳ありません。あなたは、精霊器具の副作用があるんでしたね。失礼なことをしてしまいました」
「あの、それで、私に用ですか?」
「話はメアリー・ジェンヌさんのことについてです」
メアリーの声を出した途端に、ニーナは警戒を露わにしてメアリーを擁護しようと声を出した。ニーナは、ここ二週間忙しくメアリーに会いに行っていない。そこため、メアリーがリヒャルトと仲睦まじくしていることを知らなかった。そして、聖騎士は普通魔女を敬遠している。
リヒャルトは、それを承知していてだからこそニーナの次の行動を予想出来た。メアリーから聞いていた人柄として、ニーナは正義感が強いと言っていたからこそ、そうしてくれると期待していた部分もある。
「っ、メアリーは」
案の定、焦ったように声を出すニーナに、やはり信用できる人だと確信して、リヒャルトは皆まで言わせなかった。
「分かってます。彼女は心優しい素晴らしい人です。ジェンヌさんから、あなたが唯一の友人だと伺ったので、どんな方なのだろうかと、つい」
「聖騎士様は、偏見を持ってらっしゃらないのですか?」
「ええ。大切なのは、人の心です。悪どい人間もいれば、心優しい魔獣だって魔女だっていて当然ですよ」
「バルデーさんが理解ある人でよかった。メアリーは本当に良い子なんですよ」
「はい。そうです」
リヒャルトは嬉しかった。自分が褒められるより、自分が恋をしているメアリーを褒められるのが何より嬉しかった。
「それで、いきなりで申し訳ないのですが相談がありまして、私は彼女の素晴らしさをもっと多くの人に広めたいのです。そして、魔女は、怖い存在ではないと、世間に広く知らしめたい」
いきなりの申し入れに、ニーナは少し困った雰囲気を醸し出し、幾らかすると決心したように口を開いた。
「それには賛成です。……でも、難しいんじゃないでしょうか」
「それでも、です。良い人は、報われるべきです」
それからリヒャルトとニーナは、お互いに知るメアリーの抱えているだろう心境と現象、そして世間がどうやって魔女を受けて入れるのかを話し合った。
「魔女は昔ほど怖がられてはいない筈です。地域によっては、悲惨な魔女狩りが行われたところもありますが、それは特例の場所であって殆どの地域は無干渉。寧ろ、好意的に受け入れられていた地域もあります。この街は、どうだったのでしょうか」
「昔は、好意的でした。おばあちゃんとかは、病にかかったら魔女に頼っていたと言っていましたし。でも、四半世紀前の流行病が魔女のせいとされてからはここでも魔女は悪みたいな見方も増えてきてしまって。……私の両親は、読書で正しい知識を手に入れていたので魔女の全ては悪い人ではないと教えられてきたのですが、やはり世間のイメージもあって、メアリーと初めて会った時は怖かったです」
「大変、参考になりました。では、どうすれば魔女の悪いイメージを取り除くのかが争点になりますね」
本来、魔女とは空気中にある魔素を操るものをいいそれは血縁によって受け継がれる。魔女の子は魔女になれるのだ。しかし、血縁は魔女になれる可能性だけのことであり、魔女から技術を学ばないと魔素は操れず魔女になれないのだ。
そして、魔素というのは大気中にただよう未知のエネルギーであり魔界に近づけば近づくほど濃くなるという性質を持つ。よって、人間界では大したことは出来ないのだが、魔人が人間界に攻めてきて、魔女と同じ魔素を使った攻撃をした。そのことから魔女は、魔人の手先なのではないかと疑われ、それが魔女への悪感情の始まりであった。
「そうですね。……じゃあ、魔女が私達の味方というか、役に立つみたいな感じていけば、出来るんじゃないですか?」
「それは良い案です」
「そもそも、私が迷子の時、割と死の危機だったと思うんですよ。私、存在感がないんで、私がいないことさえ気付いてもらえず、このまま森で迷ったまま死ぬんじゃないかと思ったんです。でも、何故かメアリーは、私の存在に気付いてくれて、なんか魔女には特別な探知機能がなんとかこうとかって言ってたんですけど、兎に角、メアリーだけは、私の存在が分かるんです。その上、その上、ですよ。この眼鏡なしで邪眼を取り除けるって言うんです」
「なるほど。魔に精通しているからこそ、ですね」
「はい。私にとってこの眼鏡は、あってはならないものではありますが、私という存在を脅かすものでもあります。……あまりにも強烈な副作用なんです。でも、それが、副作用なしで呪いが解けるなら、それって人のためになりません?魔女って、呪いにかかった人を助ける存在になりますよね」
「なるほど」
「今、メアリーに私の呪いの解呪法について調べてもらってるんです。もし、それが成功したのなら、それがメアリーの為にも繋がるんじゃないでしょうか」
「では、呪いが解けるまではメアリーを街に慣れさせるってのはどうでしょう?」
「それは、良いですが、彼女の格好はあまりにも目立ちますし、自分で言うのもなんですが私は目立つので一緒にいない方が良いかもしれないです」
「それなら、大丈夫だと思いますよ。メアリーは沢山の魔道具を持っているので、それで外見とか変えられるだろうし。ほら、小説で出てくる透明マントなんかも持ってるかもしれないし。最後の手段として、私とお揃いにはなりますが私の眼鏡のスペアがあるのでそれをかけていただければ、目立つ心配はないです!27年間、幽霊のように生きてきた私ですので説得力はありますよ!」
結局、リヒャルト達の第一の作戦は、メアリーを街に連れ出すという形で決定した。そこで、まず、一般的な人間のイメージを分かってもらうのだ。