2 戦争の足音
テルは練兵場でフーカと別れて奥へと進む。
城の執務室につくと中にはこのアーラウト海域の支配者であるタコスと、テルの兄弟である627狢が一緒になって書類を前に格闘していた。
書類は粘土板であり、そこに棒で削り出していく。だから最重要案件以外は滅多なことでは書類仕事などない。ないのだが、タコス達は支配者としては新参者である。過去の支配者のやったことに目を通しておく必要があった。
「おお、テル。きたか」
タコスは支配者らしく書類にまみれていた。とはいえ、まだ楽な案件しか回されていない。サインをするだけの案件がほとんどのはずだ。
タコスは魚人ではなく、支配者と呼ばれる一族である。
海を支配する特殊な一族らしく、魚から魚人に変化させるジンカの業を行うことができる唯一の種族である。そのため魚や魚人からは強く信奉されているのだった。
ただ、タコス本人は目標が世界征服だの、知り合いと言い争ったりと子供のような面が目立つので、テルなんかは書類仕事をさせて大丈夫なのかと思ったりもしていた。
「ある程度は俺がまとめますんで、チェックだけお願いします」
「ああ、頼むぞ」
テルはそう言って、書類の山に取り掛かる。
これが今のテルの仕事だった。アーラウト海域にある各情報をチェックするのである。
前の支配者であるスイカは、1番魚人であったダイアに任せっきりで全く管理していなかった。その結果、わかりやすくいうと賄賂が横行していたのである。賄賂をしてくれたところは優遇をするというわかりやすい腐れっぷりであった。
そこらへんを一度きっちりまとめるのである。
社会人としては手を抜いていたテルだけではおそらく無理だっただろう。しかしたまたまそういう才能を持っていたムジナが見出された。
やけにそういった帳簿に関して詳しいのである。テルは喜んで仲間に引き込んだのだった。
本人としても帳簿をいじったりとか金の話になると、顔をダメなかんじにほころばせるので気に入っているのだろう。
「こっちの店は評判の店ですなあ、その評判の割にはえらい払ってる税が安すぎる気がしますがなぁ」
「あぁ、情報を洗い出しとかなきゃいけないな」
ムジナが教えてくれた情報を確認してその粘土板を、テルは何もない虚空へさしだす。
「というわけでこれについての情報を頼む、苦内」
「わかりました」
宙にスッと音もなく現れた苦内と呼ばれた全身黒ずくめの女性が、テルから粘土板を受け取ると再び溶けるように宙に消えた。
それを驚愕の目で見るムジナ。
「まいど苦内の神出鬼没ぶりは目を見張るものがありますなぁ」
「そうだな」
テルとしてもどこから来てどこへ行っているのかは全くわからない。ムジナも同じイワシ型の魚人としての特徴で、兄弟がどこらへんにいるのか大体は分かっているはずだが驚いているのだ。
逆にテルの場合はわからなくても驚かない。テルとしては一言で説明も納得もするからだ。
苦内は『ニンジャだから』と。
一部の魚人は魚からジンカするとき特殊な力を手に入れる時がある。
それは余市の魔法であったり、ティガやフーカの戦闘能力であったり、ノエのサイズ伸縮であったりする。苦内の場合はこれが明らかにニンジャだった。
しかも、本当の忍者であるスパイや情報提供者という意味ではなく、どちらかというと映画やなんかに出てくるような特殊な忍者だったのだ。
影から影へ移動したりする苦内を見たとき絶対にそうだとテルは確信した。
それからテルは秘密裏にしたいことがあった場合は、すべて苦内に任せている。苦内もそれをきっちりと果たしてくるあたり天職のような気がするのだ。
テル達はそのまま昼まで書類作業に没頭することとなった。
テルは午後からは体を動かした。書類仕事ばかりしていると体が鈍るからだった。長距離を早いスピードで泳いだり、ヤリは危ないので棒で仲間達や兄弟と稽古したりした。
夕方になりテルが疲れた体で帰ろうとしていると、いつの間にきていたのかタコスがよって来た。
「テル。明後日は会議をしようと思うから、主要な奴らに声をかけておいてくれ」
「会議? 何を話すんです?」
テルの言葉にタコスは悪そうにニヤリと笑った。
「そろそろ戦争を仕掛けようと思う」
その言葉に来る時がきたとテルは身構えた。いつか来るとは思っていたがそのいつか、は思ったより早くきたようだ。
以前サンゴの丘で戦った時を思い出し、体が緊張したのが自分でもわかった。
「わかりました。伝えておきます」
「ああ、それと」
部屋を出ようとしたテルにタコスは涼やかに言った。
「今度の戦争にはフーカにも出てもらおうと思う」
「な、なぜ…」
テルは扉にかけていた手を引っ込め、タコスを見た。タコスは特に何も感じていないように告げる。
「俺様は世界征服が目的だ。そのために使えるコマは全部使って戦いに確実に勝利したい」
「だがフーカはまだ子供で…!」
「魚から魚人へのジンカに年齢は関係ない。現在ある戦力ではフーカが1番戦闘力が高い」
テルは言葉が出なかった。
たしかに0歳児にしては能力が高すぎるのだ。
言葉はテル自身、魚として生まれた時からしゃべっていたから特に不思議には思わない。しかし、魚人として料理をして食べて、と下手をしたらテルよりも大人らしい行動をしていたのだ。
そしてフーカは、現在最強であるティガと互角に戦える唯一の戦力であるのも確かなのだった。
理解はできるのだが、
「納得できない」
「だから保護者であるお前に一言言っておいたのだ」
タコスのその選択は、支配者としては優しすぎて、個人としては残酷なのだろう。
タコスを手伝うテルとしては、フーカが現状の最大戦力で戦闘に欠かせないなのは分かっている。しかし、保護者であるテルはそんな危険なところに行って欲しくないのである。
テルの脳裏にかつて死んでいった兄弟姉妹の姿が、そして生まれたばかりのフーカの姿が思い出される。
「やっぱり……」
「やるよ」
やっぱり思いとどまってもらおうと口を開きかけたテルの言葉を封じる様に横から鈴のような声が響く。振り向くとフーカが扉をあけてこちらに顔を出していた。
テルは考えに集中しすぎて扉が空いたことにも気づいていなかった。
「フーカ…」
「私は戦う。それでテルを守るの」
その声にはとても子供とは思えない芯のようなものが通っていた。おそらく、現実と理想の間で揺れているテルの言葉では、その言葉を撤回させることはできないだろう。
また、その魚ごとに本能というものがあるということもテルは理解している。
ティガはウツボの本能か、強いものへの戦闘欲とでもいうものがあった。そして、それを抑え込むのはとても難しいということも。
テルの前のフーカもその戦闘欲というものが強いのだろう。戦闘を意識しているのか、フーカの瞳は瞳孔が開き真っ黒になっていた。
「わかった。ただ、約束してくれ」
だからテルは止められないのならせめて、と1つだけ約束をした。
「死なないと約束してくれ」
それは戦争に向かうものに対してあまりにも身勝手な言葉。そうテル自身理解していたが、
「約束する」
フーカが真剣な顔で約束してくれたので、テルは幾分か気が軽くなったのであった。