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M高校シリーズ

柏恵美の理想的なホワイトデー

作者: 晒す者

※この物語は、拙作「柏恵美の理想的な殺され方」のパラレルワールドを舞台としたギャグ短編です。



 これは、棗香車がもしかしたら辿っていたかも知れない日常のお話……


 ※※※


 僕は生まれてこの方、『バレンタイン』というイベントくと無縁に生きてきた。

 小学校の頃、周りでバレンタインにチョコレートを受け取る男子もいたが、誰が誰にチョコレートを渡したという話題が必ずと言っていいほど教室内で騒ぎになり、そういう騒ぎが嫌いな僕は、チョコレートを貰っている男子を特にうらやましいとも思っていなかった。

 そもそも、僕を好きだという女子に中学に入ってからも出会ったことがない。別に女子と関わりがないわけじゃなかったけれども、そういう目で見られてはいないことは、僕にもわかっていた。


 だから僕――なつめ 香車きょうしゃにとって、今年のバレンタインも、何事もなく終わるものだと思っていた。あの時までは。


「はじめまして、君の名前は知っているよ。棗香車くんだね?」


 その人は僕が友人である柳端やなぎばた 幸四郎こうしろうと一緒に学校から帰っている時に突然僕たちの前に現れた。

 この辺りでは一番の進学校と言われている公立高校の制服を着たその女性は、ショートカットの髪を少し触りながら、不敵な笑みを浮かべて僕たちに近づいてくる。


「あ、あの、なんですか……?」


 やっとのことで出た言葉は、彼女の歩みを止めるにはあまりにも弱々しすぎた。事実、彼女は既に僕のすぐ前に立ち、微笑みを浮かべながら僕を見下ろしている。


「おい、あんたいきなり出てきてなんなんだよ!?」


 幸四郎も女性に抗議するが、そんなことはお構いなしだ。そして彼女は手に持っていた鞄から何かを取り出した。


「え……?」


 それは綺麗にラッピングされた、直方体の箱だった。箱の上面にはハート型のシールが貼られていて、そこには「Valentine Day」と書かれている。

 そしてその女性は、両手でその箱を僕に差し出した。


「私の名前は、かしわ 恵美えみ。君に贈り物をする者だ」


 そして僕は、その時になってようやく、今日がバレンタインデーだということを思い出した。



 その翌日。


「おい香車。昨日、あの変な女から渡された箱、ちゃんと捨てただろうな?」


 学校に来るなり、幸四郎はいきなり僕に詰め寄って質問を飛ばしてきた。昨日、柏恵美と名乗る女性は包みを僕に渡した後にすぐに立ち去ってしまった。その後、幸四郎は危ないからその包みを捨てろと僕に忠告してきたが、女性からチョコレートと思われる贈り物をされた僕はすっかり浮かれていたので、家に帰ってからその忠告を無視して包みを開けてしまった。

 中にはデパートなどで売っていそうな生チョコレートが入っていた。言うまでもなく、おいしくいただいた。口いっぱいに広がるまろやかな甘さは、チョコレートのおいしさだけでなく、女性からチョコレートを贈られたという幸せを僕にもたらした。


「おい、どうした香車? ちゃんと捨てたんだろうな?」


 昨日のチョコレートのおいしさを思い出していたら、幸四郎のことを忘れていた。どうしよう、ここは正直に言おうかな。


「いや……中にチョコレートが入っていたから、おいしくいただいたけど……」


 僕がそう言うと、幸四郎はこの世の終わりみたいな顔をした後、その場に崩れ落ちた。


「あ、あああああ!!」


 そして地面に顔をぶつけ、絶叫した。


「こ、幸四郎!?」

「なんてこった……俺がついていながら、香車が汚されるのを防げなかった……俺の、俺の馬鹿野郎!」

「幸四郎!? 何言ってるの!? ちょっと落ち着いて!」


 なんだか不思議なことを言う幸四郎をどうにかして立たせる。顔が涙でグチャグチャになっていて、こんな彼は見たことがない。


「香車ぁ……チョコレートがそんなに欲しかったのか……?」

「そりゃ……バレンタインデーだったらチョコレートくらい欲しくなるよ……」

「どうして俺にそう言ってくれなかったんだ! チョコレートなら俺が作ってやるのに!」

「だから何言ってるの幸四郎!?」


 なんだか普段の幸四郎じゃない。一体何が彼をこうさせてしまったのだろう。


「あのさ幸四郎。知らない人からの贈り物を不用意に食べてしまったのは悪かったよ。幸四郎は僕を心配してくれたんだよね?」

「……ああ、そうだ」


 どこか納得いってない顔をしている幸四郎だけど、とりあえず話を続ける。


「ただその、昨日の柏さんもさ、勇気を出して僕にチョコレートを贈ってくれたのかもしれないと考えたらさ、食べないで捨てるなんて僕には出来なかったんだよ……」

「香車……」


 本音を言えば、女の人からの贈り物に浮かれていただけなんだけれども、そんなことを言ったらまた拗れそうなので黙っておく。


「香車ぁ……お前は優しいな……そんなお前だから俺は……」

「う、うん? どうしたの?」

「……なんでもない。でも、あまり俺を心配させないでくれよな?」

「わ、わかったよ……」


 しかし、そう言われた僕だったけれども、頭の中では次のイベントのことを考えていた。

 そう、バレンタインデーにチョコレートを贈られた男子が、今度はお返しとして贈り物をするというイベントが、ちょうど一ヶ月後にあるのだ。


 『ホワイトデー』と呼ばれる行事が。


 

 三週間後。


「幸四郎、ちょっと帰りに寄り道したいんだけど、いいかな?」

「ん、いいぞ」


 僕は学校の帰りに幸四郎を連れて、駅前のデパートに来ていた。もちろん、目当てはホワイトデーの贈り物にふさわしいお菓子だ。このデパートでもホワイトデーフェアをやっていて、高級なものからお手頃価格のものまで、さまざまなバリエーションのお菓子が並んでいる。 もちろん、そんなに高いものは買えないので、僕が狙っているのはお手頃価格の中でも喜んでもらえそうなお菓子だ。


「お、おい、香車……お前、ここに何の用で来たんだ……」


 さっきから黙っていた幸四郎が、急に震えた声で僕に質問してきた。見ると、身体をブルブルと震わせて、顔を真っ青にしている。


「え? その、ホワイトデーで柏さんに贈るお菓子を買いに来たんだけど……」


 それを言った瞬間。


「ああああああああ!!」


 また幸四郎が崩れ落ちた。デパートの店内でそれはやめてほしい。


「ちくしょう! 俺は香車が変な女にたぶらかされているのに、どうして気づかなかったんだ! 俺が、俺が香車を守ってやらないといけないのに!」

「だからどうしたの幸四郎!? ちょっと! みんな見てるから! すみません何でもないんです!」


 周りのお客さんが叫ぶ幸四郎を見て驚いている。僕は周りに頭を下げて、『なんでもありませんよ』というアピールをしたけど、幸四郎の暴走は止まらない。


「香車ぁ……お前、お前は知らない女からのチョコレートがそんなに嬉しかったのか……? 俺だったらお前に毎日チョコレートをあげるぞ……?」

「いや、毎日はいらないし、幸四郎だって大変でしょそれ……」

「いいんだ……俺は香車のためなら、チョコレートだって作るし、ホワイトデーのお返しも受け取るから……だからあの変な女には何もあげなくていいだろう……?」

「でも、チョコレート貰っちゃったわけだし、お返ししないわけにもいかないよ……」


 そもそも幸四郎にどうしてホワイトデーでお菓子を贈らないといけないのかもわからないし。


「うう……本当に優しいなあ。香車は……」


 泣きながら立ち上がる幸四郎を何とか落ち着かせて、僕はお菓子売り場を改めて見た。

 ホワイトデーの贈り物として主流なのは、やはりクッキーなどのお菓子らしい。だけどこういう贈り物に疎い僕からしてみれば、どういうのを選べばいいのかいまいちわからないし、相手がどういう反応をするのかもわからない。

 そういえば幸四郎は、何度かバレンタインにチョコレートを貰ったことがあると言っていた気がする。ちょっと聞いてみよう。


「あのさ、幸四郎?」

「香車……俺の香車が遠いところに……」

「おーい、幸四郎? 聞いてる?」

「あ! ああ、どうした? プリティ香車」

「いつの間に僕はそんな名前になったかな!?」


 どうもこの間から幸四郎がおかしいが、とりあえず聞いてみよう。


「幸四郎だったらさ、ホワイトデーに何を贈るかな?」

「え? そんなの贈ったことねえからわかんねえな」

「……いや、バレンタインでチョコレート貰ったことあるんでしょ? お返ししなかったの?」

「したことないな。しなくても何も言われなかったし、その次の年も贈ってきたし」

「……」


 なんだろうこの格差は。一瞬だけど、幸四郎の首の骨を折ってやろうかと思ってしまった。


「……とりあえず、幸四郎もホワイトデーで何を贈っていいかはわからないんだね?」

「俺だったら香車がくれるものならなんでもありがたく受け取るぞ」

「いや、幸四郎に贈るんじゃないよ……さっきも言ったけど柏さんに贈るんだよ……」

「……そうか、そうなのか。そんなにあの変な女がいいのか……」


 幸四郎が何故か涙声になってきているが、疲れたのでもうスルーしよう。



 十数分後。


「よし、これでいいかな……」


 何とか贈り物を決めて包んで貰い、僕たちはデパートを出ることにした。その間も幸四郎はブツブツと何かを言っていたが、とりあえずは関わらないようにしていた。


「なあ、香車……ちょっと聞きたいんだけども」

「なに?」


 しかしそんな幸四郎が突然、顔を明るくしながら僕に問いかけてきた。一体なんだというのだろう。


「お前さ、あの柏って女にお返しをするって言ってるけどさ」

「うん、そうだよ?」

「どうやって柏にそのプレゼントを渡すんだ?」

「どうやってって、そりゃ……」


 そりゃ……あれ?


 そういえば、僕は柏さんの連絡先も素性も何も知らない。あの時着ていた制服から通っている学校はわかったけど、それ以外のことを何も知らない。そうなると、どうやってこの贈り物を渡せばいいんだろう?


「え、えっと、どこの学校かはわかるから、とりあえずそこへ行って……」

「ホワイトデーの日に一日中、柏の学校の前で張り込んでいるのか?」

「ええと……」


 し、しまった。浮かれすぎていて、その問題をすっかり考えていなかった。というかこの状況で、柏さんはよく僕にチョコレートを渡せたな……


「と、とりあえず、それはこれから考えるよ。どちらにしろ、ホワイトデーの日にあの学校には行くことにする」

「おいおい、やめとけって。そもそもあんな女にお返しをする必要なんてないんだ」

「で、でも、僕はこれを贈りたいんだよ!」


 何故か強い口調になってしまったけど、本当にこれをどうやって渡せばいいんだろう? ホワイトデーまであと数日しかない。それまでに考えないと……


 ※※※


 三月の中旬。

 世間では『ホワイトデー』なる行事が話題に上がる時期だけど、バレンタインデーにチョコレートを贈ったことのない私、まゆずみ 瑠璃子るりこには関係のない行事だった。

 だけどそれは去年までだ。もう一度言うが、確かに私はバレンタインデーにチョコレートを贈ったことはない。


 だけど私は、今年のバレンタインデーにチョコレートを受け取ったのだ。


 去年出会った、同じ高校の一つ下の後輩であり、初めて出来た友人とも言える少女、柏恵美から。


 三週間前のバレンタイン。エミは突然、私に小さな包みを手渡してきた。


「黛くん、世間ではバレンタインデーなる行事が話題になっているのを知っているかね?」

「う、うん。さすがに知ってるよ?」

「というわけで、私から君へのプレゼントだ。受け取ってくれたまえ」

「はい?」


 『というわけで』と言われても、突然のことに困惑するしかなかったけども、渡された包みには確かに「Valentine Day」と書かれたハート型のシールが貼られている。


 つまりこれは、エミから私への、バレンタインデーの贈り物ということだ。


「あ、ありがとう……」


 これまで、家族以外からプレゼントというものを受け取ったことのない私は、どういう反応をしていいかわからず、しどろもどろになってしまう。


「なに、私と君の仲ではないか。礼などいらないよ……と言いたいところなのだが」

「え?」

「黛くんがもし、もし私にお返しをしてくれるというのであれば、私としてはとびきりの殺意を向けてきて欲しいと思っているのだが、どうだろう?」

「……」


 顔を赤らめて私を媚びるように見上げるエミを見て、また彼女の悪い癖が出てきてしまったと思った。


 出会った当初からわかっていることだけれども、どうもこの柏恵美という子は、『誰かに容赦なく殺されたい』という、常人には理解できない願望を持っている。そしてなぜか、その『誰か』の候補として、私も含まれているようなのだ。

 当然のことながら、私は人を殺したことなんてないし、誰かを殺したいと思ったこともない。ごく普通の女だ。

 だけどもエミは私に対してことあるごとに、こういった誘惑を繰り返してくる。どんなに懇願されても、私がエミを殺す事態にはならないし、エミが誰かに殺される事態も絶対に防ぐ。そう決意している。

 だからエミの願いには、応えられない。


「チョコレートはありがたく受け取っておくけど、ホワイトデーには普通にお菓子でも贈るから。期待はしないでおいて」

「ふふ、それでもいいさ。出来れば君の殺意に浸りたいところではあるがね」


 そんな会話をしたのが、先月のバレンタインデーのこと。だから私にとって、今年のホワイトデーは重要な日なのだ。

 なぜならバレンタインデーにチョコレートを受け取ったのだから、ちゃんとお返しをしなければならない。エミの願いに応えられなくても、想いには応えなくてはならない。


 そして現在、私は昼休みにエミに質問をぶつけている。


「ねえエミ、ホワイトデーのお返し、どんなお菓子がいいかな?」

「そうだね。黛くんによる甘い殺意を所望したいね」

「……そんなこったろうと思った。いいよ、こっちで選ぶから」

「残念だね。まあ、君の殺意もいいが、彼の殺意も楽しみなのでね」

「……ん?」


 今、エミは何て言った?


 『彼』の殺意?


「エミ、ちょっと聞きたいんだけどさ」

「なんだね?」

「もしかして、私以外にもチョコレートを贈ったの?」


 いやいや、そんなことはないだろう。だってエミに彼氏がいるなんて話を聞いたことないし、エミと付き合える男なんてかなり限られるはずだ。そんなはずは……


「ああ、とある少年に贈ったよ」


 しかし私の希望は、あっさりと打ち砕かれた。


「え、え? エミが、男子にチョコレートを贈ったの?」

「なぜそんな不思議そうな顔をするのだね? そもそもバレンタインデーとはそういうイベントなのだろう?」

「いや、そうだけど、え?」


 え? なんで? 私以外に? チョコレートを贈った相手がいる? しかも男子?


 ……なんだろう、なんでこんなにショックなのだろう。


「えーとさ、ちなみにそれは、私の知ってる人?」

「いや、君とは全く関わりのない人物だ」

「え? エミに私以外の交友関係が?」

「おや、君の支配を逃れて見知らぬ人物と出会ったこの私に罰を与えたいのかね?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」


 しかし、エミに私以外の誰か、しかもチョコレートを贈るような交友関係があるのは意外だった。すごい失礼なことを考えている気もするけど、今はそういう場合じゃない。

 一体、誰に贈ったというのだろう。


「えっと、エミはその相手のことが好きなの?」

「この感情が、『好き』というものに該当するのかどうかは知らないが、特別な感情ではあるよ。なにせあそこまで、君以外に『殺されたい』と思ったことはない」

「そうなんだ……」


 どうしよう。エミが誰に贈ったのか気になって仕方がない。いや、嫉妬とかじゃなくて、もしその相手が本当にエミを殺そうとしていたら危ないからだ。うん、そうだ。

 しかしエミにいくら質問をぶつけても、その相手が誰なのか答えてはくれなかった。



 その日の放課後。

 モヤモヤした感情を抱えながらも、私はホワイトデーの贈り物を買うために学校を出ようとした。

 しかし校門の近くで、生徒たちが怪訝な顔をしながら何かを見ていた。なんだろうと思って近づいてみたが、そこには背の高い中学生の男子が、校門を通り過ぎる女子を一人一人睨み付けているという異様な光景があった。女子の中には睨まれて泣きそうになっている子もいて、どうにもただごとでない雰囲気だった。

 これは関わらない方がいいかと思って、足早に立ち去ろうと思ったけれども、その中学生がブツブツと言っている言葉が聞こえてしまった。


「柏恵美……どこだ……柏恵美……」


 その言葉が聞こえた瞬間、足が止まってしまった。もしかして、こいつがエミがチョコレートを贈った相手? だとしたら危なすぎる。というか嫌すぎる。

 仕方がないので、声をかけることにした。


「あのさ、アンタ……」

「あ? なんだお前は?」

「それはこっちの台詞。エミに何か用なの?」


 中学生は私まで睨んできたが、ここで引き下がるわけにもいかない。


「あんた、柏恵美の知り合いか?」

「そうだけど? でも、アンタ危なそうだから、エミに会わせるのはお断り」

「別に俺はあの女に会いたいわけじゃない。香車があの女に会うのを阻止したいだけだ」

「香車?」


 どうにも話が見えてこない。


「とりあえずさ、アンタちょっと不審人物すぎるから、ここから離れてくれる? 話は聞いてあげるから」


 私は中学生と共に、近くのファミレスに入って話を聞くことにした。


「……えーと、つまりエミがチョコレートを渡したのは、アンタの友達の棗香車って子なのね?」


 柳端幸四郎と名乗った中学生が話した内容によると、エミは柳端と棗の前に突然現れて、棗にチョコレートを渡したそうだ。もちろん二人はエミに出会ったことはなかったらしい。全く、あの子も行動が突飛すぎる。


「で? アンタはなんでエミと棗を会わせたくないの?」

「決まっているだろう。香車があの変な女に何かされないようにだ」


 私にはアンタも十分変な男に見えますけどね。見た目は格好良いのに。


「まあ、アンタの心配もわかるけどね。別にエミは棗に何かしようってわけじゃない。それは私が保証する」

「俺がそれを信用すると思うのか?」

「……どちらかというと、私が心配しているのは、棗がエミに何かする可能性の方。棗に変なことを言っているかもしれないし」

「どういうことだ?」

「ああ、それは知らないのね」


 私は柳端に、エミには『殺されたい』という願望があることを話した。


「おい。それが確かなら、柏は香車が『自分を殺すかもしれない』と思っているってことか?」

「……まあ、そういうことなのかな?」


 今のところ、エミがチョコレートを贈った相手は私と棗だけだ。エミ本人も、棗に殺されたいようなことを言っていたから、そう思っているのは間違いない。


「なんて失礼な女だ……俺の香車が人を殺すわけないだろう!」

「『俺の香車』って……」

「香車はすごいぞ。性格は優しいし、炊事洗濯掃除、何でも万能だ。おそらく将来は良い奥さんになるだろう。そんなヤツが人を殺すと思うのか?」

「なんか論点ズレてない!? というか棗は男なんだよね!?」


 なんだろう、この柳端という男、なんかすごい危ないヤツのような……いや、それは最初からわかっていたけれども。


「……とにかく、アンタの話を聞く限り、棗はそんな危ないヤツじゃないのはわかった。私はエミのしたいようにさせてあげたいし、棗がエミにお返ししたいのなら、邪魔はしないわ」

「だが俺はそういうわけにはいかない。香車を危ない目に遭わせるわけにはいかないんだ」

「……私は棗がアンタの隣にいることの方が危ないと思うけどね」


 とりあえず、エミがチョコレートを贈った相手が変なヤツじゃなくてよかった。その友達は十分変なヤツだけども、それはどうにかなるだろう。


 安心した私は、柳端と別れてホワイトデーの贈り物を買いに行くことにした。



 ※※※



 ホワイトデー当日。僕は学校が終わると、柏さんが通う高校に行こうとした。


「香車、どこへ行くんだ?」


 しかし予想通り、幸四郎が僕の行く手を阻んできた。


「どいてよ、幸四郎。僕は柏さんにプレゼントを渡すんだよ」

「言ったろ。柏は危ないヤツだ。お前を殺人犯にしようとしているんだぞ?」


 幸四郎から、柏さんが『誰かに殺されたい』という願望を抱いている人だということは聞いた。なんで幸四郎が柏さんの友達からそんなことを聞き出したのかは知らないけど、なんかそれを掘り返すとまた長くなりそうなので、聞かないことにした。


「幸四郎……僕を信用してないの? というか僕が柏さんを殺すわけがないでしょ」

「それは……」


 ……まあ、柏さんはすごい綺麗な人だし、殺したらどんな顔になるのか興味がないわけじゃないけど。


「とにかく、幸四郎が心配するのもわかるけど、ここは僕の好きにさせてくれないかな?」

「……わかったよ。ただ、俺も一緒に行かせてくれ、な?」

「一緒に行って、どうするの?」

「『香車に二度と近づくな』と言う」

「ダメじゃん!」


 結局、僕は幸四郎と一緒に柏さんの通う高校に向かうことになった。


 ※※※



「エミ、あの、これ、受け取って、くれるかな……」


 ホワイトデーの放課後。私は顔を真っ赤にして、エミに包みを差し出した。誰かに何かをプレゼントするなんて、もしかしたら初めてかもしれない。だから緊張のあまり、声が小さくなってしまった。


「おお、黛くんからの甘き毒薬が私の身体を蝕む時が来たようだね」

「毒とか入ってないから! 普通のクッキーだからこれ!」

「ははは、君からの贈り物、ありがたく頂戴しよう」


 相変わらずのエミだったけれども、こうして友達と過ごせるひとときが私はたまらなく嬉しい。だからエミが変なヤツと関わっていないかが心配なのだ。


「さて、もう一人の方も、現れたようだね」

「え……? あ!」


 窓の外を見ると、柳端ともう一人、大人しそうな中学生が校門の外に立っていた。どうやらあれが、棗香車のようだ。


「ふふふ、彼はどんな欲望を私にぶつけてくれるのか……楽しみだよ」

「いやいや、普通にお返ししてくれるだけだと思うよ……」


 とりあえず、私はエミと二人で校門に向かうことにした。


 ※※※


「やあ、香車くん。君の方から私に会いに来てくれるとは、嬉しいよ」

「あ、あの、この間はありがとうございました……」


 校門に現れた柏さんは、先月と同じような微笑みを浮かべて、僕に近づいてきた。その後ろには、髪の長い女性がいる。おそらく彼女が、幸四郎が言っていた柏さんの友達だろう。


「おい、香車に変なことをしたら、ただじゃおかないからな」

「幸四郎!」


 幸四郎は相変わらず、柏さんに対する敵意を隠さない。まあこれは仕方がない。

 一方の僕は、柏さんに何を言ってプレゼントを渡そうか迷っていた。こういうのは初めてだから、どうしていいかわからない。


「そ、それで、この間のお返しを、しにきたんですけど……」


 心臓がバクバクいっているのがわかるし、鞄の中から包みを取り出そうとしても上手くいかない。


 しかしその時、僕の震える手を、柏さんの両手が包み込んだ。


「か、柏さん!?」

「緊張しているのかね? だが安心したまえ、私は君の欲望を受け止める準備は出来ている」

「は、はい……」


 柏さんの暖かい手に包まれてドキドキしながらも、僕は改めて鞄から包みを取り出した。


「これ……ホワイトデーの贈り物です。受け取ってください!」


 そして僕は、柏さんに包みを差し出した。


 ※※※


 私が心配するまでもなく、棗香車は大人しくて純情な少年だった。こうしてみると、もしかしたらエミは純粋に棗が好きで、『殺されたい』というのは単なる照れ隠しなのかもしれないとも思えた。


「う、う、香車ぁ……」


 棗の後ろで柳端ががっくりと踞っているが、まあそれをこの場で指摘するのは野暮だろう。


「確かに受け取ったよ、香車くん。それで、これはこの場で開けても構わないかね?」

「ああ、はい、どうぞ」


 棗の了承を得て、エミは包みを開ける。まあ、中身は普通にお菓子か何かだろう――そう思っていた。


「おお! なるほど……これが君の欲望か」


 エミが渡された包みの下にあった箱から、『小ぶりなナイフ』を取り出すまでは。


「…………え?」


 ちょっと待って、なにあれ? ナイフ? え? 茶色い柄に、銀色の刃が鈍い光を放っている。え? なんで? なんであんなものが箱の中に?


 決まっている。棗がエミへのプレゼントとして渡したのは、あの『小ぶりなナイフ』だからだ。


 その時、私の心が急速に警鐘を鳴らした。エミ、危ない、逃げて、そいつ、きっと、エミを殺そうと……!


「あ、あの、やっぱり変ですかね? 『ナイフ型のチョコレート』なんて……」


 しかし、棗が発した言葉に、今度は私の思考が急速に止まった。

 え? なに? 『ナイフ型のチョコレート』?

 よく見ると、柄の茶色い部分はチョコレートのように見えるし、銀色の刃の部分は、銀紙に包まれているようだ。


「くくく、はーっはっはっは!!」


 チョコレートを手に持ったエミは、心の底から嬉しそうに高笑いをした。なんだろう、なんだろうこの状況は。


「はは、気に入ったよ香車くん。やはり君は私の予想を超えてきた。このお返し、ありがたく受け取ろうではないか」

「あ、ありがとうございます!」


 エミの言葉を受けて、棗が明るい笑顔を浮かべる。


「しかし、もうひとつ頼みがある、このチョコレートなのだが、刃の部分を私の首に当ててくれないか?」

「え? は、はい」


 棗はエミからチョコレートを受け取ると、言う通りに刃の部分をゆっくりとエミの首筋に当てた。

 

「ああ……この感触……香車くんの欲望が伝わる……」

「柏さん……」


 一見、棗がエミを殺そうとしているように見える。だけど大丈夫だ。あれはチョコレートなのだ。

 だけどなんだろう。今の私じゃない、もう一人の私が、棗を止めろと騒いでいるように聞こえる。


「香車くん、君は私を殺すかもしれない。私はそれを願っている」

「柏さん、僕は……」

「わかっている。私を殺すつもりなんてないのだろう? 今の君はそれでいい。それを振り向かせるのも、『獲物』としての生きがいだ」

「柏さん……」


 ……私はエミの友達だ。だからエミを殺そうとするヤツがいるのは許せないし、全力でそいつを止める。

 だけど、『今の』棗香車はそうはならなかった。今はそれでいい。私の脳裏に浮かんだ、『本物の刃物でエミを殺そうとしている棗香車』は幻だ。


 だからこんな日常があっても良かったじゃないか。私はなぜかそう思った。



 柏恵美の理想的なホワイトデー 完

「ナイフ型のチョコレート」が実際に売られているかはわかりません。

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