エピソード 1ー4 優しい嘘に包まれた日常
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しおりの最新話から飛んできた方はご注意ください。
カティアに保護された俺は療養しつつ、この世界の言葉を学ぶ日々を過ごした。
ちなみに、スマフォのバッテリーが切れる前に確認したところ、一日はおよそ二十四時間だった。日没から、翌日の日没までを数回確認したから、大きなずれはないだろう。
そして、一ヶ月は三十日、一年は十二ヶ月で四季が存在するらしい。
そんな訳で、傷を癒やすのに三週間、そこから更にリハビリで一週間。合計一ヶ月ほどが経ち、暖かくなり始めたある日の早朝。
俺はなにか手伝えることがないかと、リビングへと顔を出した。
「一希お兄ちゃん、おはよう」
「おはよう、リスティス」
まだ不慣れなゼフィリア語で挨拶をする。まだ発音とかは怪しいと思うけど、俺はこの一ヶ月で日常会話ならなんとかこなせるまでに至っていた。
特に記憶力が良いとかではないのだけど……カティアやリスティスが丁寧に教えてくれたのと、必要に駆られたのが主な理由だと思う。
「それで、寝てなくて、良いの?」
俺が聞き取りやすいようにしてくれているのだろう。一句ずつ、聞き取りやすいようにゆっくりとしゃべってくれる。カティアもそうだけど、リスティも凄く優しい。
ちなみにこの家には、カティアとリスティスの二人しか住んでいない。そんな家に見知らぬ男が急にやってきたら、普通は警戒したり排除しようとしたりすると思うんだけどな。
「……一希お兄ちゃん?」
「あぁごめん。もうだいぶ良くなったから、なにか手伝えることはないかなって」
俺はそんな風に答えたつもりだったんだけど、発音とか言い回しが怪しかったのだろう。俺の返事を聞いたリスティスは少し考えるそぶりを見せる。
そしてほどなく「あぁ、そうなんだね」と頷いた。
「聞き取りにくかったらゴメンな?」
「うぅん、最初に比べれば、だいぶ聞き取りやすくなってきたから平気だよ。それより、ホントに怪我の方はもう大丈夫なの? 無理して悪化したら意味がないんだよ?」
「ありがと。でも本当に大丈夫だ。カティアと契約して身体能力が上がってるからだと思う」
「そう言えば……お姉ちゃんと契約したんだったね」
「うん、凄いよな。ちょいちょいと契約しただけで、致命傷が治るなんていまでも信じられないよ。絶対に死んだと思ったもん」
俺がそんな風に感心していると、リスティスが怪訝な表情を浮かべた。もしかして、また言い回しがおかしかったのだろうか?
「ごめん、なんか変なことを言ったか?」
「変というか……ちょいちょいって、カティアお姉ちゃんから聞いたの?」
「……そうだけど?」
それがどうかしたのかと首をかしげる。だけどリスティスはため息を一つ。「そっちのお皿、取ってくれる?」と話を終えてしまった。
気になるけど……なんとなく追求して欲しくなさそうな空気を感じて疑問を飲み込む。そうして素直に、朝食の準備を手伝うことにした。
「えっと……棚にある、このお皿かな?」
「ありがとう、それじゃ、次はそれ」
指定されたお皿をリスティスに手渡していく。リスティスは日本で言えば小学生くらいの女の子なのに、なにやら凄く手際が良い。
「……リスティスは偉いんだなぁ」
「偉くなんて……ないよ。私はお姉ちゃんに助けてもらってばっかりだもの」
どこか思い詰めた表情でのたまう。まるで、自分の非力さを嘆いているみたいだ。
小さな子供なんだから、助けてもらってばっかりでも仕方ないと思うんだけど……この世界では感覚が違うのか、もしくはカティアとリスティスが二人暮らしなことに関係があるのか。
どっちにしても、軽い気持ちで聞くのはダメだろう。そう思って話題を変えることにした。
「……ところで、いまは、なにを作ってるんだ?」
「えっとね。卵とかレタスとかをパンに挟んだ食べ物だよ」
「……“サンドウィッチ”か」
話を聞く限りはこの世界、中世のヨーロッパくらいの感覚だ。
おかゆを卒業して結構経つので、この世界の食事が俺の味覚にあっているのは知っていたけど、そんな食べ物まであるのは少し意外だった。
というか、サンドウィッチは俺の好きな食べ物なので、それが食べられるのは嬉しい。
「……やっぱり、一希お兄ちゃんの好物なんだね」
「――え?」
「うぅん、なんでもない」
小さな呟きだったから聞き逃しそうになったけど……いまの、どういう意味だ? いや、考えるまでもないな。サンドウィッチは偶然じゃなく、カティアが指定したんだろう。
いまにして思えば、おかゆを卒業してから今日までも、俺の好物が大半だった。もしかしなくても、カティアが俺に気を使ってくれていたのだろう。
「カティアと咲夜はどういう関係なんだ?」
咲夜から料理の作り方を聞いているのなら、ただの知り合いではないのだろう。そんな風に尋ねると、リスティスは困ったように眉を落とした。
「……ごめんね。カティアお姉ちゃんが秘密にしてるなら、私からは言えないよ」
「ふむ。まぁ……そうだな。なら、リスティスは咲夜を知ってるのか?」
「私は会ったことないよ。ただ、カティアお姉ちゃんからは色々なことを聞いてるよ。だから、一希お兄ちゃんのことも知ってたの」
「あぁ……それで」
俺の名前を聞いたときに驚いてたのはそれが理由か。
なんて感じで世間話をしながら朝食の準備を進めていると、カティアが帰ってきた。姿が見えないと思ったら、何処かへ出かけてたんだな。
「お帰り、カティア。どこに行ってたんだ?」
「ただいま、一希。リスティス。朝の見回りだよ」
「……見回り?」
詳しく聞くと、カティアは街にある冒険者ギルドに所属していて、森の見回りや薬草の採取。それにガルム――俺を襲った獣の毛皮なんかを売って生活費を稼いでいるらしい。
ちょっと驚いたけど、よく考えたらカティアはむちゃくちゃ強かった。あれだけ強ければ、冒険者としてやっていけるだろう――って、え!?
おもむろに歩み寄ってきたカティアに、ぎゅ~っと抱きつかれた。なになに、なんなの。なんでいきなり抱きつかれてるんだ!?
「カ、カティア? なにをしてるんだ!?」
「ん~? 一希から元気をもらってるんだよ?」
「意味分かりませんけど!? というか、リスティスも見てるから!」
「……えっと、それはもしかして、二人っきりが良いって、意味……かな?」
「そういう意味でもなくっ」
上目遣いを向けてくるカティアから逃げるよう明後日の方を向く。その先には複雑そうな表情を浮かべるリスティス。蔑んだ瞳ではないことに安堵しつつも混乱は収まらない。
カティアは凄く良い匂いがするし、女の子らしい身体つきで柔らかい。俺も年頃の男だから、嬉しくないって言えば嘘になるんだけど……正直、戸惑いの方が大きい。
こんな風に抱きつかれるのは初日以来だけど、カティアのスキンシップは激しすぎる。
まるで好意を抱かれてるんじゃないかと錯覚しそうなレベルだけど……俺が死にかけていたカティアを救ったのならまだしも、救われたのは俺の方。好かれる覚えがない。
一体、カティアはなにを考えてるんだ!? なんて考えていると、カティアが抱擁を終えてゆっくりと離れていった。腕の中にあったたしかなぬくもりが、急速に消えていく。
「ふふっ、充電完了~って、どうかしたの?」
「……いいや、なんでもないよ」
そう言えば、咲夜もこんな風に自由奔放でスキンシップが激しくて、俺は良く振り回されていた。それを思い出して苦笑いを浮かべる。
「ところで、怪我はもう大丈夫? 抱きつかれても痛くない?」
「それ、抱きつく前に確認して欲しかったな」
幸いにして痛みはなかったけど、まだ違和感なんかは残っている。痛みが走ってもおかしくなかった気がする。なんて思っていたら、カティアの顔が不安げに歪んでいく。
「だ、大丈夫だよ、別に痛くなかったから」
「……ホント?」
「うん、ホント、ホント」
「そっかぁ……良かったぁ」
左右で光彩の異なる瞳が、柔らかく細められる。
なんでこんなにも、俺のことで一喜一憂してくれるんだろうな? カティアが俺に好意を持ってくれてるのなら嬉しい……って、違う違う。
俺は咲夜に罪滅ぼしをしなきゃいけないのに、一体なにを浮かれてるんだ。少し頭を冷やそう――と、そんな風に考えて、自分の頬を軽く叩く。
「……一希?」
「なんでもない。それより、朝食にしようか」
俺は努めて明るく言い放ち、自分の中でくすぶっていた感情にふたをする。それから、俺達は並んで席に着いた。カティアとリスティスが向かい合って座り、俺はカティアの隣だ。
いままではずっと二人で向かい合って食べていただろうから、その関係を壊すつもりはない。だから、横に座ることに文句はないんだけど……
「一希ったら、ほっぺが汚れてるよ? 私が取ってあげるね」
「いやいや、自分で拭うから大丈夫だぞ!?」
「遠慮しなくて良いよ。一希にだったら、なんだって、して、あげるから」
「いや、遠慮じゃなくてだな……」
「ほら、動いちゃダメだよ。……ん、とれた」
カティアは俺の口元のソースを指で拭う。そしてそれをあろうことか舐め取ってしまった。
「ちょっ、カティア!?」
「えへへ、さすがに恥ずかしいね」
「~~~っ」
照れくさそうに俯き、上目遣いで俺を見る。そんなカティアが可愛すぎてドキドキする。
……いやいや、だから、落ち着け俺。俺が異世界までやってきたのは、咲夜に罪滅ぼしをするため。女の子にうつつを抜かすためじゃないんだから。
それに咲夜のことを抜きにしても、目の前にはリスティスがいるのだ。今はまだ複雑そうな表情で見守られているだけだけど、いつ怒られるか気が気じゃない。
そんな風に焦る俺の気持ちが伝わったのか――どうかは分からないけど、カティアは「ところで一希、傷はホントにもう大丈夫なの?」と話題を変えてくれた。
「おかげさまで、歩くならなんの問題もなさそうだ。さすがに激しい運動をしたら、少し違和感を感じるけどな」
「そっか……午後からちょっと付き合って欲しいと思ったんだけど、もう少し傷が治ってからの方が良いかな?」
「いや、大丈夫だと思うけど……どこに?」
「剣の修理で鍛冶屋さんに用事があるの。そのついでに、街を案内してあげようかなって」
「お、それなら連れて行って欲しいかも」
この一ヶ月ほど家で安静にしていたから、いまだにここがどういう世界か分かっていない。今後のことを考えれば、ぜひにでも連れて行ってもらうべきだろう。
「それじゃ決まりだね。食事が終わって一休みしたら、街を案内して上げる。それと……街外れにある丘にも連れて行って上げる」
――カシャン、と。リスティスがフォークを落とした。
まだ見た目は小学生くらいの女の子だけど、礼儀が正しくてしっかりしている。そんなリスティスが粗相をするのが珍しくて、俺は意外に思って視線を向ける。
だけどリスティスはそんな俺に気づかなかったようで、そのまま食事を再開してしまった。
「……一希?」
「あぁごめん。丘って?」
「一希の知りたがってたこと、教えてあげようと思って」
「え、それって……」
「咲夜のこと、教えてあげる」
カティアがずっと避けていた話題。
俺はカティアがそう言ってくれるのを、ずっと渇望していた。渇望……していたはずだ。だけど……どうしてだろう? 俺はその先を、少しだけ聞きたくないと思ってしまった。