エピソード 3ー5 咲夜のために
地平線が夕焼けに染まり、空が夜色に彩られていく。その境界線が紫色に染まる、マジックアワー。そんな幻想的な空の下、カティアは寂しげな表情で微笑んでいる。
俺はそんな彼女の口から、たったいま紡がれた言葉について考えていた。
カティアは最初から、俺と一緒にウィラント伯爵領に行くことが出来ないと言っていた。だけど、俺の説得に応じ、考えてみると言ってくれた。言ってくれたはずだった。
なのに、カティアは再び、俺について行くことは出来ないと言った。
「……どうしてだ? リスティスとミリアさんのわだかまりが解消して、不安要素がなくなったんじゃないのか?」
カティアは静かに首を横に振り、銀色の髪を揺らした。
「気づいちゃったの。リスティスがどうして森の入り口にいたのか」
「……森の入り口にいた理由?」
そう言えば……と、俺自身も疑問に抱いていたことを思い出す。
ガルムは本来、森の奥に生息しているので、森の入り口で出くわしたのは運が悪いと言える。けどそれはあくまで運が悪い程度で、ありえない話ではない。それに今の森は魔力素子が希薄になっていて、ガルムが森から出てくる確率も上がっている。
そんな森にわざわざ足を運んだ理由は――と、考え、一つの可能性に行き当たった。
「もしかして……ギルドのお仕事?」
「……うん。リスティスの所持品に、ギルドの登録証があったの」
「でも、リスティスにはまだ早いって、カティアがギルドに手を回してたんだろ?」
「そうなんだけど……たぶん、私に許可をもらったとか嘘をついて登録したんだと思う」
「どうして――っ」
そんなことをしたんだろう。とは言えなかった。いや、言うことが出来なかった。言葉にしなくても、その理由に思い至ってしまったからだ。
「俺のせい、だな」
「ち、違うよ。悪いのは私だよ。私がはっきりとしなかったから」
優しいカティアが慌てて否定する。だけどそれは、結局のところ否定になっていない。
リスティスが森に行ったのは、冒険者として活動しようとしたから。そしてその理由は、一人でも大丈夫だって、カティアに示したかったからだろう。
つまり、俺がウィラント伯爵領に行くことになり、だけどカティアはこの街にとどまることにした。それを聞いたリスティスは、自分の存在が枷になっているのだと思った。
だからリスティスは、自分一人でも生活できると証明しようとしたのだ。
そんなリスティスの気持ちは凄く嬉しい。けど、リスティスはまだ十一歳の女の子。冒険者になるのはもちろん、一人で暮らすのだって早すぎる。
本来なら、最優先で考えてあげなきゃいけないことだ。なのに俺は気づかずに、リスティスのことをなんとかして、カティアをウィラント伯爵領に連れて行きたいなんて考えていた。
その結果、リスティスは身の危険にさらされ、ミリアさんが大けがを負った。
俺は命の恩人の、大切な人達を殺してしまうところだった。
「ごめん、カティア。俺がキミの生活を引っかき回しちゃったんだな」
俺が異世界に来なければ、俺があのときガルムに殺されそうになっていなければ、カティアとリスティスは、今も穏やかな日々を送っていただろう。
そんな生活を壊してしまったのは俺だ。
「一希は悪くないよっ。悪いのは、一希と出会って浮かれていた私、だから……」
カティアは寂しげに微笑んで、風になびく銀色の髪をそっと手のひらで押さえつけた。そうして、まっすぐに俺の顔を見つめる。
「私は……私は一希のことが好き。出会った頃から、ずっと好きだった。だから、叶うのなら、ずっと一希と一緒にいたいって思ってる。ほんとに、ほんとに思ってる」
それはきっと、心からの告白だったのだろう。カティアの白い肌が朱色に染まっているのは、決して夕焼けのせいだけじゃないと思う。
だけど俺は、それを喜ぶ気にはなれない。その後に続く言葉を理解しているから。
「――だけど、だけどね。気がついちゃったの。私にとってリスティスは、一希と同じくらい大切な家族なんだって。だから……ごめん。私は一希と一緒には行けないよ」
「……分かった」
俺には頷くことしか出来なかった。
カティアがリスティスを優先するように、俺自身もサクヤを優先すると決めているのだから。俺はサクヤを優先するけど、カティアは俺を優先してくれなんて、言えるはずがない。
咲夜は俺にとって、大切な幼なじみだ。俺はそんな咲夜に助けられた。だから、俺は咲夜の生まれ変わりに恩返しをする。そのことに一切の迷いはない。
だけど……あぁ、人生は本当にままならない。
どうして、カティアが咲夜の生まれ変わりじゃなかったんだろう? もしカティアが咲夜の生まれ変わりなら、なにも迷わなくて済むのに――と、そんな風に思ってしまう。
あの精霊――サクヤに協力することに迷いはない。迷いはないのだけど……それと同時、俺はカティアと一緒にいたいと思い始めている。もし二人が同一の存在であれば、こんなに苦しむ必要なんてないのに、と。そんな風に考えてしまう。
だけど……しょうがない。
俺が心惹かれているのはカティアだけど、それでも、咲夜の生まれ変わりを救いたいと、心から思ってしまうのだから。
だから――
「ごめんな。俺も、咲夜の生まれ変わりを放ってはおけない。契約までして俺を救ってくれた、カティアには本当に悪いと思うけど……」
「言ったでしょ。私は一希に生きて欲しかったから、一希と契約をしたの。だから、一希の好きなように生きて良いんだよ。そうじゃないと、私が悲しくなっちゃうよ」
「……本当にごめん。そして、ありがとう。俺はウィラント伯爵領に行くよ」
「うん、それでこそ一希だよ」
少し寂しげに、だけど嬉しそうに微笑む。カティアは本当に綺麗だった。
「……そうだ。これを渡しておくね」
カティアは服のポケットから黒いリボンを取り出し、それを俺に差し出してきた。
「……これは、まさか?」
「うん。一希が咲夜にプレゼントしたリボンの片割れだよ」
「どうして、カティアがこれを?」
「前に一つだけ、お墓に添えたって言ったでしょ? 残りの一つは、私が形見として持っていたんだよ」
「そうだったのか……」
そう言えば――と、カティアの髪をみる。
艶やかな銀髪の髪には、なにも飾られていない。だけど初めて会ったときのカティアは、黒いリボンを身に付けていた記憶がある。
つまり、あのとき身に付けていたのがこのリボン。
恐らくは、俺に気遣ってとか、そんな感じの理由で使用するのをやめていたのだろう。手渡されたリボンは使い込まれていて、ところどころに修理した跡が見受けられる。
修理したのが咲夜かカティアかは分からないけど、大事に使われていたようだ。
「……このリボン、俺が受け取って良いのか?」
「うん。一希に渡しておこうと思って」
「……どうして?」
「咲夜ならきっと、一希に持っていて欲しいっていうと思ったから、だよ」
「それは……でも、良いのか?」
俺としては、咲夜の形見をもらえるというのは嬉しい。けど、カティアにとっても大切な形見のはずだ。それを軽々しく受け取るなんて出来ない。そう思ったのだけど……
「……私のことも忘れて欲しくないから」
ぽつりと、カティアが呟いた。その言葉の意味が分からなくて、俺はカティアの顔をまじまじと見る。左右で光彩の異なる瞳が、俺をまっすぐに見つめていた。
「そのリボンは咲夜の形見だけど、私がずっと大切に持っていたリボンでもあるの。それを私が一希に渡せば、一希は絶対に私のことを忘れないでしょ?」
「――っ」
俺はたまらなくなって、カティアを抱きしめたい衝動に駆られる。けど……カティアと俺はこれから別々の道を歩む。
ウィラント伯爵の元に行く以上、俺は二度と戻ってこれないかもしれない。だから……と、俺は拳をぎゅっと握りしめ、自分の気持ちを抑えつけた。
「分かった。このリボンはずっと、俺が持っておく。咲夜の形見をカティアからもらったこと、絶対に忘れないから」
「うん。ありがとう、一希」





