エピソード 2ー3 契約の意味
「一緒に暮らしているってどういうことにゃ!? 二人はそういう関係なのにゃ!?」
喧噪に包まれた冒険者ギルド。受付を担当していた猫耳のお姉さんが素っ頓狂な声を上げた。俺の冒険者登録用紙に、カティアが自分の住所を書き込んだからだ。
冒険者の男達からモテまくりのカティア。そんなカティアと、新人冒険者が一緒に暮らしている。その事実に、冒険者ギルドは騒然となっていた。
正直、今すぐ逃げ出したい。逃げ出したいけど、背後からカティアに抱きつかれているような状況。加えて、入り口の方には恐い冒険者達が立ちはだかっている。
俺は無言で天を仰いだ。
「おい、てめぇ、カティア嬢と一緒に暮らしてるたぁどういうことだ」
予想通りというかなんと言うか、冒険者の一人が詰め寄ってきた。俺はカティアの腕から抜け出し、その冒険者の男へと向き直る。
年は二十代半ばくらいだろうか? いかにも冒険者といった、荒々しい風貌の男だ。
「誤解しないでくれ。俺はガルムに襲われて死にかけてたんだ。そこをたまたま通りかかったカティアに救われて、怪我が治るまでお世話になってたんだよ」
俺はなるたけ平常心を装って、そんな風に事情を説明する。
「怪我、だと? 見た限り、どこにも怪我をしてるように見えないが?」
「それはまぁ、もう一ヶ月ほど前の話だからな」
「あぁっ!? つまりてめぇは、もう一ヶ月も一緒に暮らしてるって言うのか!?」
うあぁぁぁ、失言だった。カティアが当たり前のように振る舞っていたから忘れがちだけど、そんな理由で一ヶ月も一緒に暮らすとか普通はありえないよな。
「ええっと……最近まで病気で床に就いてたから、別になにもないぞ?」
「それはつまり、これからナニをするって意味か!?」
「いやいやいや、そう言う意味じゃなく!」
「じゃあどういう意味だって言うんだ!?」
……これはまずい、非常にまずい。むしろ詰んでる気がする。
彼らが問題にしているのは、なにかあったかどうかではなく、俺とカティアが一緒に暮らしていたという事実。それを認めてしまった以上、言い逃れようがない。
「おめぇは知らないだろうが、カティア嬢はみんなのアイドルなんだよ。それを、てめぇみたいなぽっと出が、一緒に暮らすとか羨まし――許されると思ってるのか?」
「いや、それはなんと言うか、悪いとは思うけど」
「思うけど、なんだって言うんだ。良いか、もう一度言うぞ。カティア嬢は――」
男がそのセリフを最後まで言うことは出来なかった。セリフの途中、カティアが俺と男のあいだに割って入ったからだ。
「さっきから聞いていたら、私がみんなのモノとか好き勝手いって。私はほかの誰のモノでもない。一希のモノだよ」
「――そこは私自身のモノだよって言うところじゃないですかね!?」
俺は思わず悲鳴じみ声で訴えるが、全ては後の祭り。冒険者達はピシリと硬直。次いで「嘘だろ!?」とカティアに詰め寄った。
「そいつのモノってどういう意味なんだ、カティア嬢!」
「どうもこうも、一希は私の主様なんだよ?」
「あっあああ、主様だと!?」
「うん。私が身も心も一希に捧げたって言う――」
「ちょおおおおお、待て待て待てっ!」
俺は慌ててカティアを引き寄せ、そのセリフを遮った。無自覚かなんか知らないけど、そのセリフは誤解を招く。だから、と俺は慌ててカティアの前に出た。
「誤解しないでくれ。さっき言っただろ、俺はガルムに殺されかけたって。そのときにカティアが、俺を助けるために契約してくれたんだよ。だから主って言っても、ちょいちょいと契約しただけで、別に深い意味とかはなにも――っ」
ない。とは言えなかった。俺のセリフを聞いていた冒険者達や受付嬢。その全員が、俺に対して明確な敵意をぶつけてきたからだ。
さっきまでのふざけたノリとは違う。こいつは許せないと、全員の目が語っている。
次に俺がなにか言葉を発したら、本気で斬られるかもしれない。そんな恐怖に捕らわれ、俺は呼吸すらままならない。そんな俺に掴みかからんと、冒険者の男が手を伸ばす。
だけど――カティアが再び、冒険者と俺のあいだに割って入った。
「カティア嬢、どんな事情かしらねぇが、そんなセリフを吐く奴は――」
「誤解だから、それ以上は口にしないで」
有無を言わせぬ口調で言い放ち、まっすぐに冒険者を見つめる。そんなカティアの横顔は真剣で、その先を口にしたら許さないという明確な意思が浮かんでいる。
一体なにがどうなっているのか。想像を巡らしていると、冒険者から視線を外したカティアが俺に向き直った。
「一希、ごめんだけど、ちょっと耳を塞いでも良いかな?」
「……耳を?」
「うん。一希にはどうしても聞かせたくない話なの」
「それは……いや、分かった」
なにを話すのか知りたくないと言えば嘘になる。だけど、カティアが俺には教えたくないというのなら仕方がないと了承した。
「ええっと、自分で耳を塞げば良いのか?」
「精霊魔術で音を遮断するから、そのままで良いよ。……驚かないでね」
カティアがそう口にした瞬間、冒険者ギルドの喧噪が消えた。だけど、みなが一斉に黙った訳じゃない。その証拠に、冒険者の男は口が動いている。
どうやら本当に、俺だけ音が聞こえなくなったようだ。
「……これは凄いな」
独りごちると、自分の声は聞こえた。さすがに自分の声は対象外みたいだ。ってことは、俺の声は、みんなに届いてないのかな?
なんてことを考えながら、カティアに意識を戻す。カティアは、なにやらみんなに向かって語りかけていた。そして、みんなの表情がみるみる驚きに染まっていく。
――一体、なにを話しているんだろうな?
彼らの態度が急変したのは、俺が契約云々について語った瞬間だ。そう考えると、契約はカティアが言うような、ちょいちょいと結べるものじゃないのかもしれない。
現時点では断言できないけど……でも、カティアの過保護っぷりは異常だ。俺とカティアのあいだに結ばれた契約が特別なものだとしても、驚くにはあたいしない。
――と、そんな風に考えているうちに話が終わったのだろう。さっき俺にからんでいた冒険者が、訳知り顔で歩み寄ってきた。そして口を開くが――俺にはまだ聞こえない。
「ええっと、聞こえないんだけど」
俺が答えると、男はカティアへとなにかを伝えた。
直後、急に俺の耳に喧噪が届いた。静寂から急に騒がしくなって顔をしかめる。だけど、それに苦情を言う暇もなく、男が再び口を開いた。
「事情はカティア嬢から聞いた」
「彼女がなにを言ったかは分かりませんが……納得してくれたと言うことですか?」
「ああ、納得も納得だ。納得するしかねぇよ。まさかお前がなぁ……」
「――ウェッジさん」
カティアが鋭い口調で遮る。
「わぁってる。わぁってるから、そんな顔しないでくれや。カティア嬢に睨まれたら、わりとマジでへこむからよ」
ウェッジと呼ばれた冒険者は肩をすくめ、そして俺へと視線を戻す。
「あ~取りあえず、さっきは悪かった。野郎に親切にする趣味はねぇんだが、なにか悩んだら俺に相談しろ。先輩として程度でなら、面倒を見てやる」
「ありがとう、ございます?」
一体どんな話をすれば、ここまで態度が豹変するんだ? むちゃくちゃ気になるけど、わざわざ俺の耳を塞いでまで伏せた内容。教えてはくれないだろうなぁ。なんて考えているうちに、ウェッジさんは「じゃあな」と離れていった。
……モヤモヤするけど、先に冒険者の登録を済ませるか。
「それじゃ、登録の手続きを――泣いてる!?」
アンネとか呼ばれていた受付の姉さんは、猫耳を伏せて涙を流していた。
「な、なんでもないにゃ。えっと、冒険者登録だったにゃ。最初はFランクからにゃけど、カティアさんと契約している一希ならきっとすぐにランクアップ出来るにゃ。がんばるにゃ」
「が、がんばる?」
「そうにゃ。私も今までに何度か、一希のような人を見てきたにゃ。辛いこともあると思うけど、悩んだら誰かに相談するにゃ」
……ホントに、なんなんだろうな。――なんて、本当を言うと、心当たりがない訳じゃない。カティアは咲夜の生まれ変わりかもしれない――と、俺は思い始めている。
もしその予想が正しければ、カティアが俺にだけ打ち明けてくれないのは当然だ。精霊のパラドックスは人によって答えが変わる。だから、カティアが名乗ったんじゃ意味がない。
俺が自分で出さなくちゃいけない答えだからだ。
なので俺も、カティアが咲夜の生まれ変わりかどうか、確信が持てるまではなにも言わない。そんな風に結論づけて、冒険者の登録を続けた。





