猫耳姉妹の百合
「サファイアおねぇーちゃん!」
静かだった森の奥深く。
そこにある立派な桜木の根元に、赤毛の猫少女がいました。
頭頂部にある垂猫耳をせわしく動かして、ご自慢の赤いしっぽをフリフリさせながら踊っているのだ。
「にゃにゃーにゃのぉ! 見てみてぇ」
今日はいつもより二割増しぐらい元気で、咲き誇る桜のような愛らしい笑顔を見せている。
それ故に危なっかしくて、黙っていられない。
「ルビー。そんなにはしゃいだら怪我しちゃうよ」
だから草花の絨毯に座っていたサファイアが、青色のしっぽを心配そうにパタパタさせた。そしてツンツンとした猫耳を澄ませる。
なぜなら足元が桜の花弁いっぱいのため、いつも以上に転びやすくなっているからだ。
不安を募らせるサファイア。
するとルビーは足を止めた。
「わかったぁ」
一呼吸のうちに駆けだして、サファイアの胸へと無邪気に飛び込んだ。
「なにする、にゃーぁ!?」
「えへへー。サファイアおねぇーちゃん。好き好きだーい好きぃ」
ごろごろと甘える。新しく着飾った赤色ワンピースが、草花で汚れてしまおうとお構いなしで。
赤猫ルビーが青猫サファイアを押し倒し、サファイアの青いツンツン耳の裏を舐めだした。
「にゃあ……ダメっ」
「ダメー? でもサファイアおねぇーちゃん、すごく幸せそうだよぉ」
「それは違う。ただこそばゆい……だけ、みゅっ!」
ツンツン耳に柔らかくも強烈な刺激が迸る。
「ふーん。サファイアおねぇーちゃんの嘘つき。怒ったからルビーは噛んじゃうもんねぇ」
「にゃあ……!」
「にゃふふっ、声漏れてる。かわいい」
「ルビー。おねがい、やめて」
「いいよー。でも」
耳から顔を離す。二人して互いの顔をみつめる。
サファイアはルビーのとろけるような声で、猫面をほうけさせてしまっていた。それに対してルビーが恍惚と、愛おしそうにうんと甘く鳴いた。
「かわりにチュウするから。目つむって、サファイアおねぇーちゃん」
まるで夢見心地だ、とサファイアは思った。
自分の叶えられない願望を夢で見せられている。
好きと言いたい、けれど声が出ない。そんなジレンマを抱えたまま、サファイアは目をぎゅっと閉じた。
――……――
朝。
静寂に包まれる森に、一件の小さな家がありました。
そんな家の窓辺からポカポカとした日光が差し込むころ、サファイアは目覚めた。
「ふにゃーぁ」
猫みたく目をクシクシと擦って、青い猫耳をぴくりと震わせる。見るからに眠たそうで、にゃーあ……と欠伸を幾度かした。
「にゃふっ。どうにかしなくちゃ」
今のままだとベッドから出られそうにない。
だからサファイアは、頭をすっきりさせる眠気覚ましをすることにした。
「ルビー。起きてる?」
サファイアは木製の大きなツインベッドで寝る。そして寝るときは、同じく宝石の名をした妹、ルビーと一緒なのだ。
「ねぇルビー」
「にゃーあ。おきてるよぉ。サファイアおねぇーちゃん」
おぼろげにルビーは答えた。
姉のサファイアと同様に寝ぼけている。いつもぱっちりしている猫目は固く閉じていて、垂れている猫耳が眠気を表すかの如くふにゃふにゃだ。
「ルビー。いつもの、やっていい?」
「いいよぉー……サファイアおねぇーちゃん」
眠たそうにルビーは承諾した。
だからそっと抱きついて、サファイアは胸元にルビーを誘い込み、綺麗な宝石と遜色のない赤髪と、柔らかい垂耳をなでた。
「にゃーん。もっとナデナデしてぇ」
甘えん坊なルビーは、今にもとろけてしまいそうな声を漏らした。
おかげでサファイアは、幸福感を得る。
この声がどんな目覚ましよりも、眠気を吹っ飛ばしてくれるのだ。
「ありがとルビー。お姉ちゃんはごはんの準備してくるけれど、もうすこし寝てる?」
「うん。寝るのぉ……」
一呼吸でルビーは、すやすやと眠りだした。
サファイアはルビーを起こさないように、速やかに寝室から退室。
そこからはプロフェッショナルの動作で朝食の準備をした。
メニューはパンケーキと蜂蜜。あと牛乳をコップ二杯ほど。
すぐさま二人分を食卓テーブルに持って行く。
それらが終わるころに、
「おはよーにゃのぉ! サファイアおねぇーちゃん」
ルビーの元気よいあいさつがとどろいた。
寝ているときと起きているときの、スイッチ切り替えが猫の目みたいなのはいつも通りだ。パジャマからはみ出している赤毛のしっぽが、フリフリと小刻みに揺れている。
「おはよ。ルビー」
「あ、パンケーキだぁ。ルビーこれ好きぃ!」
花蜜に誘われる蝶みたいに、ルビーは自分の特等席へと座った。
サファイアも自分の特等席。ルビーの隣に座る。
「さて食べましょうか」
「にゃーあ。いただきまーすぅ」
二人してパンケーキに蜂蜜を垂らす。
ルビーにはおいしく焼けたモノを三枚。サファイア自身はちょっぴり焦がしたヤツを三枚だ。そしてルビーは、一口食べただけで歓喜した。
「おいしい!」
「そうでしょ。お姉ちゃん特製のパンケーキ」
「うんうん。サファイアおねぇーちゃんのパンケーキ、すごく好きぃ!」
「ありがと」
「それとねそれとね、サファイアおねぇーちゃんも好きにゃのぉ!」
この不意打ちに、サファイアは胸をうたれてしまった。
夢と同じでルビーの好きがサファイアのなかにこだまする。
「そう、なんだ」
「どうしたのぉ。サファイアおねぇーちゃん」
サファイアはフォークを置いて考える。
最愛の妹が言い止まない好きについてだ。ルビーの好きは、たぶん姉妹愛からくるものであろう。でもサファイアは違った。サファイアが内に秘める好きは、猫じゃらしのように魅惑的でマタタビのような中毒性があるのだ。
これは姉妹愛?
違う、と思う。これはもっと本能的な産物だ。
「サファイアおねぇーちゃん。なんだか怖いよぉ」
「にゃっ。ごめん。なんでもないから気にしないで」
無意識のうちにツンツン耳を角みたく尖らせていた。
急ぎ耳を隠して、笑顔を取り繕う。
でもルビーは心配そうだ。
「ほんとにぃ?」
と、ルビーは小さな顔をかしげた。
「本当よ。ほら急がないと、食べる時間なくなっちゃう」
部屋にある大きなのっぽの古時計を指さした。
本日は過密スケジュールなのだ。街に出かけること、日用品などを買い込むこと、そして仕事で家を空けている親に手紙を送るなど、今日中にやることがたくさん。しかもこれらを終わらせたのちに、余った時間で遊ぶことが入っている。けれどあまり時間をかけすぎると、遊ぶお楽しみを削らないといけない。
サファイアにとってそれは悲しいことであった。悲しさ相まってパンケーキを、いつのまにかペロリと平らげてしまうほどに。
「にゃー!? ほんとだぁ!」
時計を見たルビーは、すぐにパンケーキを頬に詰め込んだ。あっというまにパンケーキを食したけれど、頬袋が膨らんで苦しそうにしている。
「にゃふにゃふぅ」
「無茶していると喉に詰まっちゃうよ」
「にゃーふにゃふぅ」
一生懸命に口をモゴモゴするルビーは、食いしん坊なリスみたいで可笑しかった。
――……――
「ルビーのぉ、サファイアおねぇーちゃんはぁ、世界で一番にゃのぉ~!」
街にいてもルビーは、優雅にくるくると踊り、ご自慢の赤いしっぽを上機嫌に振り回していた。
「好き好きだーい好きぃ、にゃのぉ~!」
トントンと石畳を踏みながら、リズミカルに歌う。
「とても素敵でぇ、とても優しくてぇ、にゃあにゃあでぇ、好き好きにゃのぉ~!」
「ルビー。その歌やめて」
「ダメダメやーだぁー、にゃのぉ~!」
天真爛漫としている猫少女の後ろから、サファイアが青い猫耳をみるみる赤くしていた。
なぜなら愛らしく奏でるルビーの『即興サファイアおねぇーちゃん大好きソング』に、ときめいてしまったからだ。
それに歌はいつもより声高らかで、無邪気な好き好きを街中に聞かれてしまいそうであった。人に聞かれるのは、なんともはずかしいのだ。
「ちょっと浮かれすぎよ」
サファイアの心配をよそに、ルビーが宿舎前をそよ風みたく抜けて行った。
「でも、好きかぁ」
サファイアには、最近よく見る夢がある。
ルビーが好きと言ってくれる夢。
それもただの夢じゃない。蜜みたく甘い好きを、唇と一緒にくれる夢だ。
今朝のことを思い出して、サファイアは青いしっぽをジタバタさせた。言葉にできない熱いなにかがこみ上がってくる。
「なに熱くなってるのだろう。わたし」
この熱は愛おしいけれど、同時に恥を意識させる。
だから誰にも悟られないように、できるかぎり飲み込んだ。
すると、
「どうしたのサファイアおねぇーちゃん。さぁ早くはやくぅ!」
遠くの方にてルビーが手を振る。いつのまにか離れてしまったらしい。
「ルビー早すぎよ。ちょっと待って今行くから!」
この調子で街を回っていたら、ルビーは疲れ果てちゃうだろう。そう心配になりながらもサファイアは駆けだした。
――……――
「サファイアおねぇーちゃん。疲れたのぉ……」
案の定、騒ぎ過ぎたルビーはグロッキーとなった。
「そうね。公園で休もうか?」
「さんせ~い」
にゃにゃ。と嘆くルビーを連れて、公園に入るころには四時を過ぎていた。太陽が地平線へと帰ろうとするので、誰もが帰りだしている。
二人は人通りが少なくなった園内を巡回して、木陰に設置されたベンチを見つけた。ここにしましょう、とサファイアはルビーを誘導。持っていた買い物を置いて、お互いベンチに座った。
「にゃあー……座るのぉ。眠たいのぉ。サファイアおねぇーちゃん膝枕してぇ」
「いいよ。ほらここ」
「わーいにゃのぉ」
明るくふるまうルビーが、サファイアのほっそりした膝に、仰向けで頭を乗っけた。体を丸めて休む準備をする。
「にゃあ。サファイアおねぇーちゃんの、ここ温かいのぉ」
「やることは終わったけれど、これじゃ遊ぶどころじゃないね」
「うん……でもすごく楽しかったぁ。サファイアおねぇーちゃんに、いっぱい好きって言えたからぁ」
「そう。それはよかった」
「でねぇ。サファイアおねぇーちゃんも、楽しかった?」
「もちろん楽しかったよ」
「ルビーと一緒だぁ。すっごくうれしいのぉ!」
屈託なくルビーは喜んだ。興奮が伝わってくる。サファイアは疲れているのに、元気が湧いてきそうであった。
「でも今は休むべきよ。ほら、いつものしてあげる」
そうしてサファイアは、ルビーの喉元を優しく掻いてあげる。ルビーはこれが好きで、日向でお昼寝をしたような笑顔になった。
「にゃにゃあ。きもちいいのぉ」
今ぞんぶんにリラックスしているのだろう。ルビーの赤いしっぽが気持ちよさげに揺れる。
「にゃふふ。もっともっと欲しいのぉ」
「もちろん。いっぱいしてあげる」
「にゃあにゃあ。くすぐったーい」
「ここ本当に好きね」
「うん。すごく好きぃ……」
ルビーは幸せいっぱいとなり、みるみるうちにウトウトし始めて、あっというまに猫目を閉じた。もう天使のような寝息をたてている。
「寝ちゃった」
起きているときから寝るまでの切り替えが早いのも、昼夜問わず一緒だ。
寝顔を見るかぎり、猫パンチをしても起きそうにない。
だからサファイアは、ルビーの輪郭をなぞってみた。
丸く愛らしい骨格、ふわふわの髪、それと赤い垂猫耳。どれもこれも好きなものだ。
滑らかな肌さわりを満喫する過程で、心の奥底から黒々とした欲求が湧いてくる。それは自身の体には取り込んでおけないほど膨れ上がって、今にもこぼれてしまいそうになった。
だからちょっとだけ、
「好き」
本当の気持ちをこぼさないようにつぶやいた。
実のところサファイアは、ルビーに本当の気持ちを伝えたかった。でも思いとどまった。なぜなら思いを伝えたとして、それをルビーが受け止めてくれる保障がないからだ。
最悪の場合、嫌われてしまうだろう。もしそうなってしまうと、ルビーの好き好きを聞けなくなる。
そのような危険は冒したくないのだ。
だから伝わらない範囲で、我慢できない思いを独り言ちる。
「お姉ちゃんはね、ルビーのことが好き……柔らかい髪も、可愛らしい笑顔も、素直なところも。全部ぜんぶ好き」
サファイアの鳴き声は、ひどく悲しそうであった。
――……――
ルビーが元気を取り戻すころには、太陽はすっかり帰っていた。
時間は七時過ぎ。空は暗いけれど、満月が輝いている。
「まんまるお月様にゃのぉー」
にゃーと嬉しそうに鳴いた赤猫ルビー。疲れはとれたらしく迷いのない足取りで、月光で光るゆるやかな坂を上っていた。
今日って満月なのね。お月様を一瞥してサファイアは言った。まるで大福みたいだ。
「そうそれぇ! 大福みたいでおいしそーにゃのぉ」
「おいしそう?」
「そーうーにゃーのっ」
満月を見ているルビーは、今にも月をつまみ食いしそうだ。
さすがに食べられないでしょ。と忠告してみる。するとルビーが残念そうに指を咥えた。それほど味見したかったらしい。
「でもいつかは食べに行きたいなぁ」
「もしかしてお腹すいている?」
「そうかもぉ。ちょっとお腹と相談するのぉ。うんうん、ペコペコにゃのぉ」
そういえば、ちょっとばかし休憩し過ぎた。夕飯まであと少しの時間だから、お腹がすくのもうなずける。
「そうなら急いで家に帰ろうか」
「うん。あ、そうだぁ。サファイアおねぇーちゃん」
「なにかしら?」
「えっとねぇ。悲しいお顔はしてほしくないのぉ」
悲しいお顔? サファイアはたちまち頭蓋のなかをハテナだらけにした。
そんな様子に対してルビーは、にゃふふ! と微笑んだ。
「それとそれとぉ。ずっと待ってるし、怖がったりもしないのぉ。ルビーはね、待ってるからぁ」
なにをだろう。サファイアにはわからなかった。でもルビーの嬉しそうに揺れる赤しっぽを見ると、すごく上機嫌であるのは理解した。
それとどことなく、心に暖かさが灯る気がした。
だから一歩。なんとなく。
「ねぇルビー。手をつないで帰ろうか」
「やったぁ! お手てつなぎにゃのぉ!」
気持ちに素直になれた。
そう思えたサファイアは、ルビーと同じようにしっぽを揺らした。
「にゃふふ。サファイアおねぇーちゃんのお手て、ルビーを暖かくしてくれるから好きぃ」
「そう?」
「うん。だからいつでもつないでねっ!」
サファイアのなかで、なにか進んだ足音がした。
そのことがちょっとばかしの力をくれる。この力をもっと溜めれば、不安を吹っ飛ばせそうだ。
「ルビー。ありがと」
「うんうん。どうもいたしましてぇ」
「それとね。お姉ちゃんも、ルビーのこと好きだから」
「にゃにゃあ! ルビーと一緒にゃのぉ!」
手をぎゅっとお互いに握って、二人仲良く幸せそうに、にゃーと鳴いた。
サファイアはもっともっとルビーに好きと言いたくなり、どのようにしようかと思いを馳せた。