なに言ってんだこいつ
―――何故、バク宙のことを………。
「あ、高次さん大丈夫ですか、聞いてます?」
「おっ………!」
俺の名前、まで………!
もうごまかしようがない、あり得ない。
「で、ででで、出たァ―――ッ!」
叫ぶ。
俺は戸惑いながら叫び、転げ落ちるように後ずさる。
近隣住民の置いている車のタイヤが重なっていて、そこに腕が、背中が、引っ掛かり、背中から倒れ込む。
ていうか、ずっこける。
彼女から目を離さないままに、転げる。
「げほっ………ごほっ、出た………!げ、あ、しい」
しかも、むせた。
いや、俺はどうでもいい、彼女だ。
転んで姿勢が、視点が低くなり、さらに衝撃的な事実が明らかになる―――彼女の身体。
「あ、あしい!」
「あっし?」
「『あし』!『脚』がァ!『脚』がある!」
そう、初江ゆうめ、彼女は脚をもって、健脚をもって………おそらく、現れた。
化けて、出た。
「成仏したんじゃなかったのか、どうして!ねぇ………でも、どうしてぇ?」
げほ、げほと、噎せる。
彼女は歩み寄り、俺の背中を擦る。
霊力を集中すればそれは、出来るが、だが間近で見た彼女の身体には確かな生命力があった。
間違いない、二か月半の間の彼女には、こんな、ぞっとするほどの質感はなかった。
変わっている。
「な………なんでぇ?」
もう一度、聞く。
「えっと………運がよかったんです」
運………運って、運命の―――?
何言ってんだこいつ、そんな適当なもので納得できるか。
説明しろ、俺は冷静なツッコミを入れられる状態にない。
「交通事故で意識不明の重体になってました。生死の境を彷徨っていたのは、嘘ではありませんよ。私もね、私もてっきり、身体を抜けて、死んでしまったと思っていましたよ」
「え」
「霊体が彷徨ってたのは間違いありませんが―――死亡した、というふうには言っていなかったでしょう?」
「はぁああ―――ッ?いや、だってお前………し、新聞に事故のことが」
新聞。
新聞にもちゃんと意識不明の重体って―――。
言われて、記事を思い出す。
『女子学生が車に跳ねられ、意識不明の重体』
あのクッソつまらない新聞記事。
俺は―――事態、状況を飲み込むのに長い時間を要した。
あの新聞には意識不明の重体、とちゃんと書いてあったのだ。
「身体は病院のベッドの上で寝たきりだったんです」
「ち、ちょっと待ってくれ」
記憶を遡らねば!
えっと、ほかに証拠………彼女についての、証言。
ほら、ソールドアウトの………!
噛み方がクールな感じの人!
そうだ、不動産屋のお姉さん!
―――不幸な事故によって、やむを得ない理由で退居されています。
―――部屋の外で、不幸に見舞われました。
確か、そういうことを言っていたんだよ、あのお姉さん。
だから、だから………。
「私も、てっきり死んでしまったものだと思っていました」
「あ、あんた―――ずっと一○二号室に………俺の部屋にいたじゃあないか!幽霊になって!」
「それは霊体です。私の―――まあ、意識ですよ。身体から抜けて自宅に帰っていたんですね」
意識不明の重体。
意識不明の重体とはすなわち身体が重体になって意識がどこかに離れた、消え去った状態のことであり、つまり意識不明の重体以外のなにものでもない。
それ以上でも以下でもない。
「初江ゆうめ―――、生きるか死ぬかの瀬戸際から、帰ってまいりました」
するりと、伸ばした手のひらの先を前髪に当てて、背筋を伸ばす。
敬礼の姿勢をとる彼女は足元で―――かつッ、と音を立てる。
靴と靴が合わさった音だ。
初江ゆうめの、足音。
初めて聞いた、彼女の脚の音。
俺は自分の顎が外れていないことを確認しつつ、立ち上がる。
「………俺を、だましていたのか?」
ど、どうやら祝福すべき事態のようだが………怒ってはいない、けど。
いや怒ってるが、なんだよこれ。
なんだよこれ!
こ………こんなこと、趣味がいいとは言えないぜ。
「いえ、あの」
「なんだよ………言ってくれれば、言えば、いいのに」
なんでみんな言わねえんだよ。
「本当に、わからなかったんです、最後まで。宇喜多さんも、どうなるかわからない、あまりにも稀な事案、難しい案件であると………私のことについて宇喜多さんの案内所でもかなり揉めていたそうです」
稀なケース。
そりゃそうだ、意識不明の重体になった幽霊が意識だけでアパートの一室に住み着き、コントのネタ合わせをしたり人間様である俺と同棲するなんていう事態が、そこかしこでしょっちゅう起こってたまるか。
稀なケースで揉めた………そのせいで延期したのか?
まてよ………宇喜多さん?
そういえば宇喜多さんもちらりと俺の前で言っていた気がした―――そして、初江さんと二人きりで話したこともあったような。
「身体との波長が合うタイミングを待って、戻りましたが………お医者さんですよ、運が良かったとしか―――、なんて言葉を使ったのは。あとはみなさん、信じられないだの、奇跡だのとか。ほかの病室からやってきて拍手する方とかもいらっしゃって」
波長、タイミング………そんなものでこんなエキセントリックな芸当が可能なのか。
だとしたら俺にもしもの時があった際も、それをお願いしたい。
「び、病院にいろよ………なんで俺の部屋で、紛らわしい真似を………俺はてっきり」
「病院は厳しいのです、霊界の人たちは本当に口を酸っぱくして言いました。皆さん口をそろえて―――どうしても霊が多くなってしまう場所だから、人間に危害を加えないうちに方々に流してしまうのです。病院に長く滞在はできません」
「………あのさあ」
「はい、ほかに質問は?」
ほかに言うこと、言うこと………ありそうな気がしたが。
見つからない。
ええと。
「………ありがとう、」
「はい?」
「いや、なんか………生きてて、ありがとう、っていうか」
なんというか………俺はしどろもどろ。
彼女は笑った。




