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End Of Edo ~幕末~  作者: 吉藻
第二章 幕末前夜
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  坂本龍馬は江戸に行く

 坂本龍馬さかもとりょうまは天保6年11月15日に生まれた。

 父・八平、兄・権平、3人の姉という家庭の末っ子として生まれた。

 一説には背中に馬の鬣のような産毛が生えていたことから龍馬と名づけられたとのことだ。

 坂本家は豪商才谷屋の分家であり裕福な家庭だった。

 一方で土佐藩は上士と下士に明確な差別があった。下士の坂本家は裕福であるとはいえ土佐藩内での立場はあまり良くない。


 弘化3年(1846年)に母が死去し、その後は父の後妻に養育される。

 幼少の龍馬は気弱な少年だったらしい。

 その龍馬を育てたのは3歳年上の姉の乙女という少女だった。

 乙女は大柄で力持ちであり男勝りの少女だった。

 彼女が龍馬に勉学や剣術を仕込むことで龍馬が立派な青年に育ったという。


 少年期の龍馬に影響を与えた人物としては義母となった伊与も外せない。

 伊与の知人の店である下田屋という廻船問屋に龍馬と乙女は度々使いに出ている。

 そこで長崎や下関からの珍しい土産話などを聞いたとされる。また、世界地図や数々の輸入品を見て外の世界への憧れを高めたともいわれている。

 坂本龍馬の武士らくない海外への憧れはこの少年期に形成されていたと考えられる。




 嘉永元年(1848年)に日根野道場に通い剣術を習うと嘉永6年(1853年)には目録を取得するほどの腕前となった。

 その一方で裕福な家の末っ子ということもあり軽薄で女性にだらしない一面もあった。

 龍馬自身が剣術を極めたいと願っていたことと龍馬の性根を叩きなおしたい家族の考えが一致して、龍馬は江戸に剣術修行に出ることなった。

 父の八平は龍馬に江戸で羽目を外して女遊びをしないようにと注意して送り出す。

 溝渕広之丞みぞぶちひろのじょうと共に土佐を出立すると嘉永6年の4月に江戸に到着した。



 龍馬は江戸で北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうの桶町千葉道場の門人となった。

 道場主の千葉定吉ちばさだきちは北辰一刀流創始者千葉周作(ちばしゅうさく)の弟である。

 江戸の三大道場の1つの「玄武館」は千葉周作の興したものであるが定吉の道場はさしずめ支店というところだろう。


 道場には定吉の長男の千葉重太郎ちばじゅうたろうがいた。

 重太郎は龍馬の友人として紹介されることも多いが、定吉がこの年から鳥取藩に仕えていることから道場での指導は重太郎が中心だったと考えられる。それならば龍馬の剣の師であると考えていいだろう。


 定吉には3人の娘がいた。

 次女は剣の才能があり道場で大の男を負かすことから鬼小町の異名を持っていた。

 後に坂本龍馬の婚約者となる千葉さな子である。

 この時、坂本龍馬19歳、千葉さな子16歳の出会いだった。


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