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End Of Edo ~幕末~  作者: 吉藻
第二章 幕末前夜
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  黒田長溥の建白書

 江戸城にペリー来航の噂が流れていた。

 極秘事項であるが人の口に戸はたてられない。情報元は阿部正弘だった。

 本来であれば政治に直接口を出せない外様大名である島津斉彬、黒田長溥、鍋島直正は老中らにこれが事実であるかを問い合わせる。

 それに対して阿部正弘が事実であると答えた。そして彼らの意見を正式に求めたのである。

 裏で情報を流して表で正式に答える。阿部正弘の自作自演だ。

 これにより外様大名の幕政参加を有耶無耶のうちに既成事実化しようとしたのだ。



 水野忠邦が外様大名である真田幸貫を老中として側近にしたことがそれとは違う。

 真田家は藩祖真田信之の尽力で譜代格という外様だけど譜代扱いという位置にいたのだ。

 しかも真田幸貫は松平定信の息子で真田家の養子に入ったのだ。つまり徳川吉宗の血を引いていることになる。

 譜代格の家柄で将軍の血筋を引いている真田幸貫が老中になったのは特例ではあるが必然であり反対意見も無かった。


 何の役職もない外様大名に幕府として意見を求めるというのは前代未聞であり反発も起こる。

 これが外様大名による幕政参加の第一歩であり幕府崩壊の序曲となることは誰も想像していない。だが、自らの権益を侵されたと感じた譜代大名からは反発の声が上がった。

 横紙破りの状況に老中らは憤慨していたのを阿部正弘は宥めた。

 前例のないことをしても大きな騒ぎにまで発展しないのが調整型政治家としての阿部正弘の真骨頂である。


 3人の外様大名はオランダの報告は事実の可能性が高く海防を強化してアメリカ艦隊に備えることを求めた。

 しかし老中らの反応は芳しくない。阿部正弘もそこをごり押しするほどの気概はなかった。




 そんな中で黒田長溥が建白書を作成する。

 幕府老中の煮え切らなさに腹が立った彼は自らの思いをぶちまけたのである。


「世界の情勢として鎖国政策を維持することは不可能である。よって国を開いて貿易を推進するべきである」


 水野忠邦が失脚して以来タブーとされていた開国論をどうどうと述べたのだ。

 また、幕臣としてジョン万次郎を登用してアメリカについての意見を聞くということも提案されていた。

 河田小龍の書いた『漂巽紀略ひょうそんきりゃく』をいち早く手に入れていた黒田長溥はジョン万次郎というアメリカの文化をよく知る男に目をつけていたのである。


 これには阿部正弘も肝を冷やした。外様大名が幕政に口を出すことでさえ綱渡りのようなものだ。そこで開国論を堂々と述べるなど下手をすれば福岡藩に処分が下りかねない。

 黒田長溥は思想は先進的であり信念があり聡明ではあったが政治バランスは今ひとつであったようだ。

 阿部正弘がフォローしてなんとか処分される無く落ち着いた。

 当然のように開国論が採用されることはない。


 このように江戸城内では混乱が続いていたがペリーの来航に有効な手を打つことはなく時間だけが過ぎていった。もちろんペリー艦隊がやって来ることを下級武士や庶民が知ることはない。


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