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End Of Edo ~幕末~  作者: 吉藻
第二章 幕末前夜
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  佐久間象山の結婚

 勝海舟は文政6年に江戸の旗本の家に生まれた。

 父は勝小吉といい旗本とは名ばかりのチンピラであったといえるだろう。数々の武勇伝を残している。

 豪快で無茶苦茶な父親であったが息子は大事にしていたようで、野犬に教われて瀕死になった勝海舟を必死で看病したというエピソードも残っている。

 ちなみにこの怪我で勝少年の玉が片金になってしまったというのは有名だ。


 幼少時、12代将軍・徳川家慶の子・初之丞の遊び相手として江戸城へ召されている。

 このままいけば初之丞の側近として召抱えられていたかもしれないが、初之丞は亡くなってしまった。

 勝海舟は自力で出世の道を探らなければなくなる。

 そんな彼が選んだのが蘭学だった。



 勝は父親の小吉と違い上昇志向が強かった。

 貧乏旗本が成り上がるには剣か学問しかない。彼は剣術の腕前も十分にある。直心影流の免許皆伝となっていたので、剣で生計を立てる道もなかったわけではない。

 しかし、これからは学問の時代だと蘭学にのめり込んだ。勝海舟が蘭学に魅せられたのは高島秋帆が天保期に西洋砲術の演習をしたことがきっかけだった。それゆえに勝海舟は西洋砲学の道を目指した。

 だが、勝海舟が蘭学の道を目指していた頃は鳥居耀蔵が権勢を振るっていた。時代は蘭学者を弾圧しており厳しい青年時代を過ごす事になる。

 この蘭学修行中に蘭語辞書『ドゥーフ・ハルマ』を持つ旗本の家に通い、深夜のみの写本を許してもらい、1年かけて2部を書き写したという逸話がある。

 貧乏な中で必死に勉強して身を立てたという話だ。


 その頃に佐久間象山と出会った。

 そして象山に弟子入りした勝は西洋砲学を学ぶことになる。





 幕末随一の天才、佐久間象山。

 彼は天保13年に『海防八策』という建白書を提出している。

 この内容は先進的で20年後の明治政府の方針にも通じている内容だ。

 彼は先進的な思想と高い知識により最新の西洋砲術を極めた。

 それを教えてくれた江川英龍とはケンカ別れをしていたけれど。性格は傲慢で独善的な象山と理知的で公平な江川であるからおそらく象山が悪い。


 象山は江戸に砲術の塾を開いた。

 彼は兵学のみでなく多くの西洋科学にも興味を示す。

 嘉永2年に日本で始めての電信を独学でやりとげている。

 またガラスの製造や地震予知器の開発に成功していた。

 余談ではあるが嘉永7年にペリーが西洋科学のデモンストレーションとして電信を披露して幕府高官が非常に驚いていたという記録がある。佐久間象山の偉業が広く知れ渡っていたのであればもう少し余裕を持って交渉に当たれたのかもしれないと思う。まあ、象山はその性格から幕府高官に嫌われてたしね………。


 象山の塾は西洋砲術を教えるものだ。

 それ以外にも西洋の科学などの広範囲で教えているが、メインは砲術である。

 嘉永4年には大砲を製作して砲術訓練を行っている。

 太平の江戸時代で大砲が鳴るというのは大事だ。

 少しずつ庶民の間にも時代が変わりつつあるという認識が広まっていたのではある。


 象山書院というその塾には人材が集まっていた。

 その弟子の中に吉田松陰と勝海舟がいた。


 嘉永5年12月。

 佐久間象山は勝海舟の妹の順子と結婚することになる。

 松代藩の正式な藩士である佐久間象山が貧乏旗本の勝の妹を正妻として娶るというのはどう考えても政略結婚ではない。

 この時に佐久間象山42歳、勝海舟30歳である。妹の順子は適齢期だとすると二十歳前後だろうか。

 象山は日頃から「この天才の血を引く子は天才である。よって我は多くの子を作らなければならない」と豪語していた。しかし妾は作るものの正妻はいなかった。

 そんな象山が正妻に迎え、更に傲慢で知られる象山が勝海舟を義理の兄として遇していたというから本気で惚れていたのではないかと推測される。


 こうして佐久間象山と勝海舟は義兄弟となり勝順子は望まれて嫁いで佐久間順子となったのである。


 追記。

 正妻となった順子であるが、象山には既に妾との間に子がいた。

 佐久間恪二郎、この時で5歳。

 新婚早々に子持ちとなった順子であった。

 ちなみに天才の子供を多く作ると豪語していた象山と順子の間に子は生まれず、象山の子は恪二郎1人しかいない。恪二郎はまた数奇な運命を辿るがそれはまた別の話。


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