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End Of Edo ~幕末~  作者: 吉藻
第二章 幕末前夜
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  ジョン万次郎の帰国

 万次郎が漂流したのは14歳の時だった。

 貧しい漁師の子であった万次郎はまともな教育を受けていない。そんな万次郎が漁の最中に漂流したことで人生が変わってしまった。

 アメリカの捕鯨船に救助された万次郎たち一向はそのままハワイに連れて行かれることになる。この頃は異国船打払令が施行されており日本に近づくことは危険だと考えられていたからだ。

 ハワイへ向かう航行中に万次郎は捕鯨船の船員から英語と航海術を学ぶ。まだ子供といえる年齢の万次郎のひたむきな姿に捕鯨船の船員は感心した。次第に万次郎はアメリカ人水夫と打ち解けることになる。

 その中で万次郎はジョンというニックネームで呼ばれることになった。

 彼がジョン・万次郎と呼ばれるのはこれからだ。


 ハワイに到着した万次郎は仲間と別れてアメリカ本土まで行くことにした。

 アメリカへ渡った万次郎は捕鯨船の船長だったホイットフィールドの養子になり、マサチューセッツ州フェアヘーブンで共に暮らした。

 万次郎が謙虚で努力家で聡明だったということもありホイットフィールドは実の息子のように可愛がった。当時のアメリカにあった人種差別により万次郎が教会から追い出された時にホイットフィールドは牧師を罵倒して自らその教会と決別したという。万次郎にとって彼は第二の父親であった。


 ホイットフィールドは万次郎の聡明さに期待してアメリカの学校に通わせる。英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学んだ万次郎は主席になるほどの実力を発揮した。

 卒業後は捕鯨船に乗り世界の海を航海していた万次郎は次第に望郷の念が沸くことになる。万次郎は日本に帰国することを決意する。

 ゴールドラッシュに沸くアメリカ西部で金鉱を掘り日本帰国の資金を集めた。その資金でアメリカを出発し太平洋を越えて日本へと向かった。途中でハワイに寄り共に遭難した仲間と再会する。そしてその内の2人と共に日本へ向かうのだった。




 嘉永4年に万次郎はようやく日本の地を踏む。とはいってもそこは琉球だった。

 琉球に到着した万次郎らは役人の取り調べるを受けた。

 それに対しては何も知らない漂流民の振りをした。鎖国下の日本で余計なことを言えば命が危ないからである。


 琉球は薩摩藩の支配下にある。薩摩の役人に取り調べられて鹿児島城下へと送られた。

 万次郎ら一行はそこで客人のような扱いを受けることになる。

 それを取り計らい万次郎を出迎えたのは薩摩藩主になったばかりの島津斉彬だった。


 斉彬は万次郎が帰国の際に持ち帰った荷物を見てただの漂流者ではないことを見抜いていた。万次郎が持ち込んだ荷物の中にはカメラや洋書、ネクタイなどがありアメリカで文化的な生活をしてきたという証拠があったのである。

 斉彬は自ら万次郎を尋問する。

 10年以上の異国暮らしで日本語が少し不自由な万次郎であったが、斉彬はオランダ語も出来るので英語交じりの万次郎の日本語も理解して聞いていった。

 その斉彬の殿様と思えない気さくさや聡明さに感服をうけた万次郎は覚悟を決める。

 日本に帰って来た目的を聞かれた時に斉彬にだけ本心を伝えたのだ。


「日本を開国させたいのです」


 それまでは年老いた両親に会いたいと繰り返していた。それも嘘ではない。だが、万次郎は鎖国中の日本を開国させたいという使命感を持って帰国したのである。

 もちろんそんな考えを持っていることがばれると命が危ない。だが、万次郎は島津斉彬という殿様を信じたのだ。

 斉彬も開国派である。国を開き異国と対等に渡り合っていかなければ日本の未来はないと考えていた。であるから万次郎の命をかけた告白に感銘を受ける。

 こうして一国の殿様と漂流した漁師の間に奇妙な連帯感が生まれるのである。


 万次郎はアメリカで新聞を読んでいた。

 それにより政府の情報は分かる。アメリカは日本遠征の計画を着々と練っていた。アメリカ世論もそれを後押ししている。世界の趨勢も新聞を読めば分かる。一介の漁師である万次郎でさえ政治のことが分かるのである。

 このまま日本が無知のままで諸外国へと挑むのであれば清のようにボロボロになってしまう。そうならないように万次郎の知識を開国へと結び付けたい。それが万次郎が内に秘めた決意であった。

 斉彬はその万次郎の決意を聞き支援することを約束する。将来的に幕臣、または薩摩藩で取り立てるようにはからうと約束したのだ。

 斉彬からするとアメリカの生きた情報を持つ万次郎は貴重であった。それだけではない。アメリカの教育を受けて日本人にはない知識も多い。さらには万次郎の性格や聡明さにも目をつけた。ただの漁師とするのは惜しい一流の人間であると。


 万次郎が薩摩藩で取調べを受けたのは一月ほどである。

 その間に万次郎はアメリカで学んだ造船の知識を斉彬に伝えた。その知識を持って斉彬は船大工に船を作らせる。

 近い将来、大船建造禁止の令が解かれて日本でも大型船が作れるようになるに違いない。そうして海軍を整備しなければ異国の脅威から日本を守れない。

 そのためには禁令が解かれる前から知識を蓄えておかないといけなかった。斉彬は万次郎から最新の造船技術を学んだのだ。

 時間がもっとあればいろいろ聞き出しかったこともある。だが、一月では出来ることが限られていた。二人は別れを惜しむが漂流者である万次郎にはまだまだ取調べが残っている。



 嘉永4年9月、万次郎は薩摩を出立して長崎に向かうことになった。

 故郷の土佐に帰るのはまだまだ先のことになりそうである。


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