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End Of Edo ~幕末~  作者: 吉藻
第一章 江戸時代
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  アヘン戦争

 19世紀前半、イギリスは清に対して大きな輸入超過の状態にあった。そのためにイギリスはインドでアヘンを作ると清に密輸させて利益を得ていた。

 清はアヘンを取り締まるとともにアヘンを密輸させるイギリスを貿易から締め出そうとした。外国人に対する攘夷熱もありマカオのイギリス人を清の官僚が抹殺しようとする。

 イギリスは貿易利権を奪われることを良しとせずに戦争を開始した。この戦争はアヘンの密輸が原因で起こったことからアヘン戦争と呼ばれた。


 1840年に開始されたアヘン戦争はイギリスと清の軍の装備の差により一方的となった。

 清軍は戦場でイギリスの近代兵器の前に次々と倒れることになる。

 以上の情報を幕府はリアルタイムで掴んでいた。隣国であるから当然といえるだろう。


 水野忠邦は海防強化のために海防掛を設けた。老中の真田幸貫さなだゆきつらを海防掛として異国船から日本を守る方法を調べさせている。真田幸貫は信州松代藩の藩主である。松代藩士の中で特に優秀と名高い佐久間象山さくましょうざんを海防顧問として調査を命じた。

 佐久間象山は国学者だった。天才的な頭脳と問題児ぶりが藩内で有名だった。象山は幸貫に命じられると沿岸を視察して蘭学を学び瞬く間に一流の蘭学者となった。そして国内で最高レベルの海防専門家となり『海防八策』を書き上げたのである。

 非常によく出来た建白書であったが、この内容のが幕政に取り入れられるのはペリーが来航した後の安政の改革の以降となる。中には明治にも通ずる意見が述べられていて、時代を20年以上先取りしていたとも言えよう。

 水野忠邦は海防強化を考えていたが『海防八策』の内容を実行するまでにはいかなかった。



 1842年に清は敗北を認め南京条約を結ぶこととなる。

 この条約により清は制限貿易から自由貿易へ移行させられて西洋列強との貿易量が増して行く。それは清の財が海外へ流れ利権が西洋列強に奪われることにつながっていった。


 清とイギリスの間で南京条約が結ばれてすぐに幕府は『異国船打払令』を廃して『薪水給与令しんすいきゅうよれい』を発令している。

 大国と思われていた清が完膚なきまでに敗れたことは幕府にとって衝撃だった。西洋列強の実力を肌で感じるとそれまで大砲を撃ち追い払っていたのが怖くなった。仮に戦争をしかけられたら幕府はあっという間に負けるだろう。それで日本近海を通る異国船が補給を要求してきた場合は無料で薪水食料を提供するということにしたのである。



 天保13年(1842年)1月。高島秋帆が逮捕された。蘭学者嫌いの鳥居耀蔵の仕業だった。

 アヘン戦争で清が負けて海防を強化することが急務であるにもかかわらず専門家を排除したのだ。

 高島秋帆は明らかに無実であり鳥居耀蔵と彼を庇護する水野忠邦に対する批判も高まっていく。

 幽閉された高島秋帆であるが、その才を惜しんで秘密裏に教えを請う者も少なくなかったという。

 高島秋帆に西洋砲術を習った江川英龍は高島流砲術を教える洋学塾を開いた。

 佐久間象山も江川の教えを受けて西洋砲術を学んで大砲を作ることになる。

 佐久間象山は天才でありまたたくまに西洋砲術の知識を吸収していく。


 高島秋帆から始まった近代砲術は江川英龍と佐久間象山に受け継がれた。幕末・維新の西洋砲術、軍備の近代化は江川英龍と佐久間象山から始まったといえる。高島秋帆は更にその源流だ。

 なお、象山は江川とケンカ別れして塾を半年ほどで止めてしまう。

 事情は分からんがおそらく象山が悪い。


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