第1話-2 神様の事情
「私には行く場所がないんです…」
神様はうつむいて小さな声で俺にそう言ってきた。ちくしょう、そんな今にも泣き出しそうなか弱いそんな声で言われたら、こっちはなんにも言えないじゃないか。
「私の神社が取り壊されることになったんです」
神様は、…さっきまでのテンションをどこかに置き忘れたみたいに…ぎゅっと手を握り締めてこっちを見つめている。
「…神社?」
「はい、一応こんなんでも神様なので…」
おいおい、神様らしくないって自覚あるのかよ。
「事情はわかった。それで、なんで神様が俺の部屋にいるのかってことが訊きたいんだが」
とりあえず話を進めなければ。そうこうしているうちに0時をまわり、俺の貴重な睡眠時間はどんどん少なくなっていくからな。
しばらく無言の時間が続いた後、今にも眠さで俺の目が閉じられようとしたまさにその時、彼女がゆっくりと口を開いた。
「昔…、私と会ったことがありますよね?」
いやいやいや、こんな美人さんを見て忘れるわけが無い。俺は生まれてから一度も記憶喪失というものになったことがないので、忘れたということは考えにくい。やはり神様というのは本当で、姿かたちを自由に変えられたりするのではないだろうか。
あ、あれだ。名前を聞いたら思い出すかもしれない。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
会ったことを忘れてしまったのはこちらの過失なので、慣れない敬語で質問する。よく考えたら会ったこと忘れるとか、俺最低だな。
「木花咲耶姫神です」
「はあ?」
予想外に難しい名前だったので、俺は思わず反射的に聞き返してしまった。それも強い口調で。
「…え、えっと…木の花とかいてこのはな、花が咲くの咲に、阿頼耶識の耶、姫神とかいてひめと読みます。くっつけて、木花咲耶姫神ですね」
自称木花咲耶姫神は、空中にに綺麗な指できゅっきゅっと漢字を書いて見せる。
なんか名前の漢字説明されちゃったよ!しかも阿頼耶識の耶とか普通知らねえよ。そもそも阿頼耶識って何だよ…
「ご、ご丁寧にどうも…」
いやいやいや|(二度目)、こんなモデル並みの外見の上に、こんな特徴的な名前だったら忘れるはずがあるだろうか、いや、忘れるはずがない。おっと、古典の授業で習った、反語、というやつを実際の生活で初めて使ったぞ!
いつまでも現実逃避していられないな。正直に打ち明けるか。
「しかし…木花知流姫神さんですか…。ちょっと記憶にないですね…」
「そうですね、普通、私は見えないようですから」
殴っていいだろうか。見えないのならもちろん俺が覚えているはずも無い。女に手を上げるなと教えられてきたが、それも今日でおしまいだ。
「お前…」
すると突然、木花咲耶姫神はまるですごい家庭教師のお姉さん、みたいな得意げな顔で俺の方を向き、
「でもよく考えてみてください」
「…ん?」
「今のあなたには私が見えています。何故だと思いますか?」
そう言われれば…なんでだろう…?
用語解説①
阿頼耶識
サンスクリット ālaya आलय の音写と、vijñāna विज्ञान の意訳「識」との合成語。
唯識思想により立てられた心の深層部分の名称であり、大乗仏教を支える根本思想である。
人間存在の根本にある識であると考えられている。
ālaya の語義は、住居・場所の意であって、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「蔵識」とも訳される。




