就任式
式服の首元が、硬かった。
裁縫師が三日で仕立てた服だった。ヴィルが手配した裁縫師だった。カイの採寸は三十数えるうちに終わった。裁縫師が「動かないでください」と言ったとき、カイはすでに動いていなかった。
首元の布が、喉仏のすぐ下に当たっていた。
作業着の首元は伸びていた。三年、引っ張っていたから繊維が緩んでいた。今日の首元は新しかった。馴染んでいない布の重さが、首の後ろに来ていた。深く呼吸するたびに当たった。
鎚の音がなかった。
今日は式典のため、石工を止めていた。ヴィルが昨日の夕刻に伝えに行った。石工たちは特に何も言わなかった。
音のない現場は、音がある現場より静かに聞こえた。
ヴィルが横に立った。
「準備できています」前髪を一度払った。「順序は——挨拶・証書の読み上げ・署名・王城代理の方のお言葉。以上です。俺が隣にいます。グラン爺は向こうの端に立っています」
「分かりました」
「式が終わったら昼から石工が動きます。グラン爺が北壁の第三段を今日中に——」
「今日の夕刻に確認します」
「はい」ヴィルは帳面を袖に入れた。「行きましょうか」
広場に人が来ていた。
移住者が来ていた。石工が来ていた。商人が来ていた。宿屋棟の女将が子供たちと来ていた。子供の一人が地面の石を触っていた。石畳だった。去年の秋に敷いた石畳だった。子供の指が石の目地を辿っていた。
目地の幅は均等だった。
カイは視線だけでそれを確かめた。一年で目地が動いていない。地盤が安定している証拠だった。北角から東に二十七尺の範囲は基礎を五尺まで掘り下げた。あの仕事が今日も効いていた。石の上に子供が立っている。子供の重さを石が受けている。設計通りだった。
空気に薪の匂いがあった。宿屋棟の厨房が朝から動いていた。式の後に食事があるとヴィルが段取りしていた。
王城代理の官吏が来ていた。
赤い縁取りの外套だった。王城でも格式が上の院の格好だった——書記ではなく、直接王命を携える者の装いだった。馬で来た人間の格好だった。旅の埃がわずかに残っていた。証書を一枚持っていた。丁寧な持ち方だった。濡れないように、折れないように、大切な書類として運んできた持ち方だった。
カイは広場の端まで来た。
そこに、別の人間がいた。
見覚えのある背中だった。
騎士の外套だった。ただし、金の縁取りはなかった。銀もなかった。無地の外套だった。解任された後の格好だった。広場の外縁部、人の動きを見る位置に立っていた。式典を見届けに来た者の立ち方だった。役職のない立場の立ち方だった。
広場は広かった。三年前に設計した広場だった。石畳を中心に、周囲を石造りの建物が囲んでいた。第二城壁の内側に収まる大きさだった。最大で三百人が立てる広さだった。今日は百五十人ほどが来ていた。
カイは歩いた。
広場を横切る動線だった。式の壇に向かう動線だった。
進んだ。
足が、石畳を踏んだ。目地が均等だった。石の温度が靴底に来た——式服の靴は薄かった。作業靴ではなかった。靴底が薄い分、石の冷たさが足の裏に来ていた。今朝の石だった。早朝から日が当たっていたが、まだ温まりきっていなかった。
目が合った。
騎士団長だった。
白い髪だった。顎の線が固かった。四年前と変わらなかった。いや、一つ変わっていた——肩の線が少し落ちていた。金の縁取りがない分、肩が細く見えた。それだけだった。
目が合った。
——四年前を、覚えていた。
あの日——追い出す側の目だった。判定を言い渡す側の目だった。「剣も魔法も最低評価」という評定書に署名した手を持つ人間の目だった。カイは十五だった。追放状を受け取ったとき、紙の端が爪に引っかかるほど薄かった。それを渡した側の人間だった。
今は無地の外套を着て、広場の端に立っていた。
カイは歩き続けた。
首元の布が、一度硬く当たった。歩幅が半歩だけ短くなった。足の裏の冷たさが鋭くなった。もう一歩。歩幅が戻った。石畳を踏んだ。目地が均等だった。
広場を横切る動線は、その横を通った。三尺ほどの距離だった。石畳の上を進んだ。
視線が来ていた。
騎士団長の視線だった。感じていた。重かった。止まらなかった。
カイは壇の方を見ていた。
王城代理の官吏が証書を持って立っていた。ヴィルが壇の脇にいた。グランが端の方に立っていた。石灰の染みのない作業着を着ていた——今日のために出したものだった。膝を庇う立ち方だった。昨日とは違う立ち方だった。今日は式の日だった。それだけが、変わっていた。
カイは壇に向かった。
視線が横から来ていた。
外さなかった——外れた。
壇に上がる段差が前にあった。一段だった。石の段差だった。縁が少し丸くなっていた。最初から角が落としてある。荷を持って上がる人間が角で怪我しないように設計した段差だった。
踏んだ。
証書の読み上げが始まった。
官吏の声だった。通る声だった。広場の百五十人に届く大きさで読んでいた。
「ヴァルナ王国、ハルム要衝管理人——」
カイは正面を向いていた。
「——カイを」
官吏が読み続けた。
証書の内容は昨日、ヴィルから写しで聞いていた。正式名称・肩書き・職責の範囲。数字があった。ハルムに関する王国の権限記述があった。騎士団の駐屯権の記述があった。カイの署名権の範囲があった。全部、昨日の夜に確認した。設計図と同じだった——数字が正確であれば、読み上げられる内容は予測できる。
風が来た。
広場を横切る風だった。石壁に当たって、少し向きが変わって来る風だった。式服の首元が揺れた。首の後ろの布が一瞬緩んだ。また戻った。
読み上げが終わった。
署名の順番が来た。
カイは炭筆を置き、羽ペンを持った。
手のひらの感触が違った。炭筆は軸が細くて木の感触だった。羽ペンは太くて羽の感触だった。人差し指の製図ダコが羽の軸に当たっていた。
書いた。
名前を書いた。
羽ペンが紙に触れた瞬間、引き抵抗があった。炭筆とは違う抵抗だった。炭は紙の上を滑る。インクは紙に沈む。一画ごとに紙が受け取っていた。滲まなかった。紙質が良かった。王城の紙だった。四年前、追放状を受け取ったときの紙とは違った——あれは爪に引っかかるほど薄かった。今日の紙は厚く、重かった。右手の人差し指の製図ダコが軸に当たっていた。
官吏が証書を受け取った。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
官吏の言葉があった。
カイは正面を向いていた。
言葉が来ていた。数字のない言葉だった。記憶に残りにくかった。
広場の人々が聞いていた。
石工が聞いていた。移住者が聞いていた。宿屋棟の女将の子供が、地面の石畳の目地を指でなぞっていた——まだやっていた。
カイは広場を見た。
第二城壁の内壁が見えた。東側の石積みが見えた。北側の矢狭間——城壁の上部に弓を射るために開けた穴が、設計通りの間隔で並んでいた。第三段の工事が今日の昼に再開する。グランが指摘した角度の修正が今日の午後に入る。来週には北壁第三段が終わる。
問題ない。来週には終わる。
式が終わった。
人が動き始めた。声が出始めた。移住者の声だった。商人の声だった。子供の声だった。厨房の薪の匂いがまた来た。
ヴィルが横に来た。
「終わりました」前髪を払った。「官吏への挨拶は済んでいます。昼の食事はヴィルが仕切ります。カイさんは——」
「東壁を見てきます」
「え」ヴィルは止まった。「式典後の食事があります」
「後で」
「グラン爺に怒られます」
「問題ない」
「いや問題あると思うんですが——」
カイは壇を降りた。
石の方が分かりやすかった。
広場を歩いた。目地が均等だった。石の温度が足の裏に来ていた。朝よりも少し温かくなっていた。二刻が経っていた。日が石に届いていた。首元はまだ硬かった。
人の流れが厨房の方に向かっていた。カイは東壁の方に向かった。
視線の気配が来た。
右側からだった。
広場の端だった。式典の人の流れとは別方向を向いて立っている人間がいた。
騎士団長だった。
視線の重さが、横から来ていた。目が合った。
正面からではなかった。斜めからだった。
カイは歩き続けた。
何もなかった。
東壁の方向を見ていた。北側の矢狭間が今日の午後に工事再開する。グランが第三段の角度修正を見る。その前に、基礎の確認をしたかった。昨日のグランの指摘を現場で見ておく。数字は分かっていた。現場で確認する。現場が正しい。
石畳の目地が均等だった。
足の裏に石の温度が来ていた。午前の日差しを受け始めた石だった。
カイは前を見ていた。
広場の端に、東壁への通路があった。石の門柱が立っていた。設計した門柱だった。縦の線が真っすぐだった。縦の線が真っすぐでないと、荷車が通るときに幌が引っかかる。真っすぐに設計した。真っすぐに積んだ。今日も真っすぐだった。
背中に視線の気配があった。しばらく、あった。
カイは振り返らなかった。
東壁に来た。
第三段の工事予定区画だった。今朝はまだ石が来ていなかった。午後に来る。それまでに基礎の確認を終える。
石の壁に手を触れた。
第二段の上端だった。砂岩だった。ざらついていた。粗い粒子が指の腹に当たった。砂岩の粒が皮膚に入ってくる感触だった。三年触り続けた感触だった。作業着ではなく式服の袖があったが、手のひらはいつもの手のひらだった。製図ダコがある手だった。
石の温度が来た。
朝の石だった。外壁の外側はすでに温まっていた。内側はまだ冷たかった。日の当たり方の差だった。一枚の石の中に温度の差があった。
いい石だった。
密度があった。空洞がなかった。北方の石材業者から仕入れた石だった。ヴィルが交渉した石だった。価格が一割高かったが密度が均等だった。長持ちする。三十年後も、この石は同じ温度の差を持つはずだった。
頭の中に線が来た。
第三段の積み方が来た。グランが指定した角度だった。この石の上に積む次の石が見えた。重なり方が見えた。完成した壁が見えた。矢狭間の位置が見えた。弓の角度が見えた。北からの侵入に対して、この矢狭間から射られる矢の届く範囲が見えた。
図が、広がった。
東壁全体だった。第三段から上が来た。完成形が来た。今はまだ二段しかない壁が、頭の中では完成していた。矢狭間があった。石の笠木があった。排水の溝があった。すべてが見えていた。北風が吹いたとき、石壁がどこで受けてどこへ流すかが見えていた。荷車が通るとき門柱にどう荷が振れるかが見えていた。完成した城塞に、人が住んでいた。
手のひらが石の上にあった。
砂岩がざらついていた。冷たかった。
「カイ」
後ろからだった。
グランだった。
膝を庇う歩き方の足音だった。今日は両方来ていた。石の上を歩く音だった。
「食わんのか」
「後で」
グランは横に来た。東壁の第二段を見た。石を見た。棟梁の目だった。数字を読む目だった。上端の水平を確認する目だった。
「第三段は今日の昼からじゃ」
「はい」
「基礎の確認か」
「昨日の指摘を現場で見ます」
グランは壁に手を置いた。大きな手だった。右の人差し指の第二関節が曲がったままだった。石積み事故の後遺症だった。六十年前の傷だった。その指が壁の上端を辿った。水平を確かめていた。機器がなくても分かる。六十年の経験だった。カイはその指を見た——膝の立ち方と同じだった。今日は式の日だが、その手だけはいつも通りだった。
「悪くない」グランは言った。「ここの端だけ半分出ている。石工に伝えておいた」
「何番の石工ですか」
「セルドじゃ。経験十年ある。今朝確認した。午後に修正する」
「分かりました」
グランは手を壁から離した。
立ったまま、東壁の上を見た。空が見えた。今日の空だった。薄い青だった。三年前の春に来たときも、同じ色の空だった。あの頃は石壁がなかった。丘の上に何もなかった。老人三人と廃村があるだけだった。グランは曲がった人差し指を、そのまま下ろした。
「式は終わったな」グランは言った。
「はい」
「次は何じゃ」
「東の拡張区画です。三年計画で——」
グランは東の方を見た。今はまだ丘の斜面だった。草が生えていた。三年前と変わらない地面に、測量杭が十七本打ってあった。それぞれに番号が振ってあった。
「三年か」グランは言った。
カイは何も言わなかった。
グランも何も言わなかった。
足音が来た。
ヴィルだった。速い靴音だった。石畳の上を来る音だった。
「カイさん、グラン爺——どこに行ったんですか。食事があります」
「今行きます」
「グラン爺も来てください。俺が持ってくる前に行ってしまって——」
「うるさい。足が来ていた」
「来ていたって——膝ですか。大丈夫ですか」
「黙れ。歩ける」
「でも」
「黙れと言った」
ヴィルは前髪を払った。帳面を袖から出して、また入れた。
「つまりこういうことですよね——今日だけで式典・昼食・石工・東壁確認——明日の朝にはまた工程の確認が来ます。で、いつ休むんですか」
「問題ない」
「問題あります」ヴィルは帳面を出した。「今週の工程です。月曜から——」
「後で」
「カイさん」
カイは東壁に手を置いた。
砂岩だった。ざらついていた。指の腹に粒が当たった。外側が温かく内側が冷たい石だった。来週の午後には第三段が乗る石だった。来月には第四段が乗る。来年には完成する。
頭の中に線が来ていた。
問題ない。来週には終わる。
「行きましょう」カイは言った。
東壁から手を離した。
石の温度が手のひらに残っていた。砂岩のざらつきが残っていた。
三人で歩いた。
グランが膝を庇いながら右にいた。ヴィルが帳面を袖に入れながら左にいた。石畳の上を歩いた。目地が均等だった。子供が朝に指で辿っていた目地だった。午後には石工が北壁に向かう。グランが第三段の角度を指定する。今日の夕刻に確認する。来週には終わる。
厨房の匂いが来ていた。
薪の匂いだった。麦の匂いだった。三年、同じ厨房の匂いだった。
広場の端に騎士団長の影があった。まだ立っていた。式典を見届けに来た者の影だった。石畳の目地の上に影が落ちていた——均等な目地の上に、動かない影だった。
カイは振り返らなかった。
手のひらに、砂岩の温度が残っていた。
あとがき: |
第27話です。就任式の日。解任された騎士団長が広場の端に立っています。カイと目が合いました。カイは何も言いません。ただ前を向いて歩き、東壁の確認に向かいました。沈黙が、答えです。式が終わった後もカイはすぐに現場に行き、グランとヴィルが追いかけてきます。次話で最終話です。




