7.VSヴァロー侯爵夫人
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「お呼びでしょうか、ヴァロー侯爵夫人」
右足を少し後ろへ引くのと同時に、右手でスカートの裾をつまみ上げ左手を胸元へ押し当てると、左足を軽く曲げて腰を下げた。勿論、背筋は伸ばしたまま。勿論、目は軽く伏せてある。
淑女の礼だって完璧でしてよ。ふふん。
「まぁ。素晴らしい所作ね、ナスタシア。私の可愛い娘はいつの間に完璧な礼を身につけたのかしら」
そうでしょうそうでしょう。血反吐が出るほど練習を重ねましたもの。
この家を出た後、娼婦になってからですけどー!
とりあえずにっこり笑って誤魔化そうしたんだけど、視線をズラすことなく、じっと見つめられて焦る。くっ。さすが侯爵夫人ね、私の笑顔で誤魔化されてくれないなんて。
「お、」
「お?」
「長姉さまの、礼が美しかったので」
「まぁ!ナネットの。うふふ、確かにあの子の礼は綺麗だものね」
嘘です。真似したのはスープの食べ方です。
でもまぁ、長姉の動きが年齢のわりに綺麗なのは間違いない。
色気はないけど、教科書通りというか正確で、あれはあれで悪くない。
次姉はだめ。なんか動きが粗雑……と言うではないけど、なんかね、妙に直線的で女性らしい柔らかさに欠けてて、ぶっちゃけ好みじゃない。
末の娘が姉に憧れているという言葉をいたく気に入ったのか、満面の笑顔を浮かべている侯爵夫人が、この呼び出しの理由を話してくれるのを待つ。侯爵夫人という立場は楽なものではない。忙しいだろうし、私に構っている時間はそれほどないはずなんだけどなぁ。
「うふふ。それでね、あなたに見てほしい物があるのよ!」
手でだけソファに座るように指し示されたので、おとなしく従うと、即、小さな小瓶を差し出された。
手に取るとそれだけで甘い香りがする。はちみつの香りだ。
「これは、巣蜜ですね」
蓋を開けると、より濃厚な香りが辺りに広がった。
「あなたが夢で見た通りに、巣蜜を練ったものを塗ったらニキビが治ったでしょう? だから屋敷でニキビのある者たちにも使わせてみたの。そうしたら本当に2,3日で治ったのよ」
「それは、良かったです」
そういえば最近、長姉の機嫌が良かった気がする。前は顎周りにかなりニキビができていて痛そうだったっけ。
隠そうと襟の高い服を着てるから、余計な刺激が生まれて増えているのかもね。
でも、それだけじゃない。顎のニキビは、ストレスが原因のことも多い。
男兄弟のいない三姉妹の長姉は、跡取り教育とお見合いで、いつもイライラしていた。なんでも婿入りする側なのに偉そうに文句をつけてくる人が多いのだとか。
難しい跡取り教育とニキビによる痛みだけだってイラつくのに、気にしているニキビを指摘されなどしたら、更にイライラするのかも。そりゃお見合いは捗らないだろう。
でも根本原因をなくさない限り、またできるだけだと思うけどなぁ。
まぁ、大きくなる前に殺菌できるから痛みはかなり抑えられるのかしら。
「それでね、これを『ニキビ治療薬』として売り出そうと思っているの」
「この容れ物で、でしょうか」
表面の凸凹をよく見れば、そこに『薬』の文字が入っている。何の変哲もない、塗り薬に使われる汎用の陶器だ。
「駄目です。これでは売れません」
「えっ。どういうことかしら」
私に一刀両断されて、侯爵夫人が鼻白んだ。
「駄目に決まってます。こんな容器では売値は銀貨1枚にもなりません」
「この量の巣蜜が銀貨1枚で売れたら凄いことよ?」
確かに。内容量的には10gにも満たないから、単なる巣蜜としては(この容器代を入れても)その値段で売れれば大した付加価値だ。
けれど、そんな小さな儲けでは、このヴァロー侯爵領をこれから襲う禍をはねのけることはできない。
「練り香水を入れる器を参考にしましょう。ガラス製のボンボニエールでもよろしいかもしれません」
カラフルなボンボン飴を容れる特別な器、ボンボニエール。美しいカッティングが施されているガラスの器に、巣蜜は間違いなく映える。
どうせ蜂蜜は殺菌力の強さから黴など生えたりしないのだもの。少ない量で売れば短期間で綺麗に使い切ってくれるはずだ。
蜂蜜と違って倒れても零れにくいのだし、密封性は重視する必要はない。
「中に入る量はこれより少なくていいのです。美しいガラスの器を通して見える黄金の薬。寝る前に付ければ、芳醇な甘い香りが病を癒し、心と体を包み込んでくれるのです、残り香が薫るので、翌朝は香水なしでも良いし、お好きな花の香りを足されて自分だけの香りを纏い楽しむこともできますわ」
できれば、シーズンごとに容器のデザインを変えたい。そうすれば見栄っ張りな貴族は、詰め替え用なんてけち臭いことを求めずに新しい物を重ねて買ってくれるかもしれない。
「薬としてだけではない付加価値を持たせるのね」
得心した様子で、候爵夫人が頷いた。
あ。いま、頭の中で事業規模の拡大を考えてるな。目がにんまりと弧を描いてる。あれは間違いなく、金勘定をしている表情だ。間違いない。
「えぇ。金貨一枚でも買う人は殺到するでしょう」
押すなら今だと切り込む。
蜂蜜の甘い香りが苦手な人はいるかもしれないけれど、薬品臭が残るよりずっといい。
残り香さえも商品価値にできるなら最高ではないか。
侯爵夫人の笑顔が欲に塗れる。でも、それでいい。
もともと領地の政は侯爵本人が、そして事業の差配は侯爵夫人が受け持っていた。
だからこそ私がニキビを治してみせたこと着目し、それを薬として売り出すことを考えたのだろう。
そんな侯爵夫人が、お金になる話を見逃すはずがない。
それに、このくらい軽く、誘導した通りに動いてもらえるならありがたいことだ。
これから先もずっと、こうあって欲しい。
「素敵な提案だわ。早速手配しましょう」
「楽しみにしております」
にっこり笑顔で答えたのに。なぜか口元に笑みを浮かべた侯爵夫人から、面白そうに問われた。
「あら。デザインの監修はこちらに任せて貰っていいの?」
含みのある言葉の意味を考える。むむ。やばい。分からない。
だって今の会話だけで、前のターシャの分も合わせたって、これまで侯爵夫人と交わした会話を超えてしまう。その程度の繋がりしか持っていなかったのだ。判断材料が、少なすぎる。
「子供のセンスでよろしいのですか」
だから、一番無難な線で受けてみることにした。
今、私のセンスは、未来のあの国で流行っていた物だ。
私が気に入ったデザインが、今のこの国で受けるかは分からない。
「ふふ。そう。そうね。でもこれはあなたの夢が始まりだもの。ボンボニエールのガラスの器にしてもね。工房の担当者と相談して、あなたが進めなさいな、ターシャ」
? なんだろう。侯爵夫人の笑顔が怖い。それに言葉の隅々に、すっごい含みを感じる。でも、ここで逃げるのは癪だ。
お腹に力を込めて、でも笑顔で頷いてみせた。
「分かりました。ですが、販路などはお任せしてよろしいでしょうか」
さすがに10歳の女児が出てきて、「特効薬だ」といっても誰も信じないだろう。
しかも金貨を出すことはない。銀貨だってあやしくなる。
「えぇ、それは勿論よ、ターシャ。工房に話は通しておきます。今週内に、どういった物がいいのかイメージだけでも考えを纏めておきなさい」
「かしこまりました」
ここが引き際だろうと、勧められたソファから立ち上がり、退室した。




