45.エピローグ
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「何考えているの?」
ガタゴトと揺れるヴァロー侯爵家へ戻る馬車の中、つい考え事をしてしまい黙り込んでいたようだ。
対面に座っているバルが、軽い口調で声を掛けてくれた。表に出さないようにしてくれているけれど、心配してくれているのが伝わってくる。
けれど、彼の顔へ視線を動かせたのは一瞬だけだった。すぐに車窓の外へと視線を戻す。
とても彼の顔を見ては、話せない。話せる気がしないけれど、今はなさなければ私はきっとずっと彼に隠し事をして生きていくことになってしまうだろう。
「うん。あのね、バルに……婚約、したばかりのあなたに、こんなことを話していいのか分からないんだけど」
内容が内容だけに、口籠る。
私の心に住んでいるのはバル一人だ。そう言い切れる。けれど……。
どうすればバルを傷つけずに話ができるか、言葉を探す。でもなかなか声が出せないで迷っていると、バルが話し出してくれた。
「ギャレット・フォールのことかな」
さりげなく指摘されて、目を瞑る。あぁ、彼には分っていたのだ。
「えぇ。ごめんなさい。あなたに訊ねることでもなければ、話して聴かせることでもないのに」
「いいよ。内緒にされて、クレアにだけ相談された方が寂しい」
バルの言葉に、やさしい侍女の顔が思い浮かんで微笑んだ。
王宮から呼び出しがあったと連絡は入れて貰っているそうだけれど、今もきっと、いつもより帰りが遅い私をやきもきしながら待っていてくれていることだろう。
「駄目よ、こんなことクレアにも話せないわ。死に戻ったなんて話しても、信じて貰えないだろうし」
一度死んで生き返ったと思ったら、10歳まで若返って死ぬはずだったクレアを助けた、なんて。
そんなのまるきり初代国王さまのお話だ。おとぎ話だ。
「クレアは信じるよ」
「え?」
「クレアなら、君の言うことを信じてくれる」
「そうね。そうかも」
優しいクレア。大好きなクレア。
彼女のことを救えたのが、私の一番の誇りだ。
そんなクレアが私を信じてくれるというなら、頑張れそう。
そうは思っても口は重いままで。なかなか話し出せない私に、バルから口を開いてくれた。
「ギャレット・フォールは、スパイ容疑で現在取り調べを受けている。彼は、正確ではなくとも初代国王の御力について知っていた。そうして、我が国の令嬢を異国へ連れ出そうとした。その情報元を確認して対処しなければならないからね」
冷静に、現在分かっている事実だけを教えてくれる。
でも、たぶんきっと。自白剤でも何でも使って情報を絞り切った後は、処刑されるのでしょう。
今の彼は、王弟の息子ですらない。異国からの留学生。それも小さな子爵家の養子だ。サント国王であろうとも、亡き弟の忘れ形見の命を救うことは難しいだろう。
まぁ、ギャレットが過去に戻って実父の死を阻止して自身こそ国王になりたいがために我がエードルンドの令嬢を誘拐(駆け落ちとは言いたくないわね)したのだと、その理由を知ったなら、助けたいという気持ちは毛ほども無くなるだろう。
「そう。当然の報いね」
「……彼を、助けたい?」
その問い掛けには、笑って首を横に振る。我ながら、即答だ。
「いいえ。彼自身が犯した罪の償いは、自分で償うべきだもの。ただ……彼は、ターシャ・ヴァローを娼館に売り渡したりしていなかった。むしろ、彼自身も同じ……ううん、毒を飲まされ続けながらなんだから、もっと酷い目に遭った被害者だった。そう知った時、自分の辛さしか考えられなかった想像力のない自分の愚かさに、眩暈がしたわ」
そこまで一気に告白する。
彼はターシャを売ったのではなかったと知ってから、ずっと考えていた。
一度はそれに気づかない振りをしてみた。実際に、彼の行動原理の酷さは目も当てられないほどで、あれが詐欺行為でなかったなんて思えない。騙されたとしか思えない。
けれど、……それでも、自分で自分を胡麻化しきるのは難しかった。誰かに懺悔せずにはいられなかった。
ただ自分の置かれた状況を説明するだけだってきついのに。
この先に隠したままの心と向き合うのは、こんなにも辛いことなのかと実感する。
「ターシャ。それは、仕方がないことだ。目の前にない惨劇について想像することは難しい。しかも死に戻る前は、ターシャ自身がとてもつらい状況だったんじゃないか」
「ありがとう、バル。でも、でもね。あの時のターシャは、自分から罠に嵌った。詐欺師にとって良い獲物だったの。そうしてたぶんギャレットも、メーダという魔境に迷い込んだ、愚かで楽な狩りの獲物でしかなかった」
言葉を切った。この続きを告白するのは、大いなる試練のように思えた。
「前の私が死に戻ったのは、クレアを死なせたからだと思っていたの。ううん、そう思いたかった。でもそれだけじゃなかったの。私は、騙されているかもしれないと分かっていたけれど、ギャレットに逢いたいと心から願っていた。あの人が助かっていなかったとしても、あの世で、いっしょ、にって」
喉がつまって声にならなかった。胸が苦しい。
「ターシャ。もういい。無理に話さなくてもいいんだ」
「ううん。最後まで、聴いて? こんなこと、聴きたくないかもしれないけれど」
ぎゅっと、スカートをつかんで、握りしめる。
陛下は、結婚するならば始まりに嘘があってはならないと仰っていた。ならば私はすべてを告解するべきだ。
「それで君の心が軽くなるなら。幾らでも構わない」
優しいバルの言葉に勇気づけられて、微笑んだ。でも、唇が、震える。
「ターシャ・ヴァローが願った通りに、私は、ギャレットのことも助けられたのよね。勿論、彼の犯した罪は別として。死病ではなく毒だったけれど、彼が落とされた地獄から、救えた。前のターシャの、恋したかれを……」
そう。あの最後の一瞬。
ターシャの心に灯っていたのは、ギャレットへの愛だった。
どんなに愚かであっても、ターシャにとっては、それは確かに愛だった。
人生のすべてを賭けた愛が起こした奇跡。
死に戻りのお陰でクレアの命を救えたし。ヴァロー侯爵領を没落の危機から守り、領民だけじゃなくて周辺地域に住む人々を笑顔にすることもできたし、他にもいろいろとやり遂げられたけれど。
けれど、本当に死に戻りたかったのは、ターシャが本当にギャレットという男を愛していたからだ。
ギャレットのド屑はそう思っていなかったのだけれど。それでも。
「あぁ。そうだね。ターシャ・ヴァローは、頑張った。愛の奇跡を起こすほどに」
バルが、愚かなターシャを褒めてくれる。
それが嬉しくて仕方がなかった。心が軽くなり、視界がぱあっと開けた気がした。
ターシャ・ヴァローの死に戻りから始まる冒険は、今ようやく終わったのだ。
「ありがとう、バル。あなたのお陰なの。あなたが力を貸してくれたから、私は、死に戻る前のターシャ・ヴァローが願ったすべての願い以上のモノを叶えられたわ」
心からの感謝を。
最後まで伝えきれた。そう思うと、張り詰めていたものが身体から抜けていく。
ほうっと長く息をはいて、気持ちを落ち着けると、まっすぐにバルと視線を合わせる。
「死に戻ってきてくれて、よかった。こんなにも愛しいと思える君に出会えた奇跡に、感謝するよ」
私の告解を受けても、それでもそうやって言ってくれるバルとなら、きっと大丈夫だと、心から思えた。
もう一度、覚悟をきめて想いを伝えることにする。
女は度胸と、息を大きく吸う。……よし。
「……あのねっ、わたし、ちゃんとしたお付き合いってしたことないの。だからその、で、デートとか、してみたいなって、思ってて。恋人から始めるというのでは、駄目ですか!」
ギャレットとは短い時間を隠れて過ごすだけだった。
ほんの少しだけ、言葉を交わすだけで満足していた。
でも今の私は、あれはお付き合いだと言える関係ではないと知っている。
学園やお茶会の席で会話するお友達もできたから、情報はたくさん蓄えた。
学園生活は堪能した。
だから次は恋人としかできないことを楽しんでみたい。
私の申し出に吃驚したように目を瞬かせたラインバルトが、ふっと目を細めた。
「結婚してからだって、デートはできるんだよ」
「そうなの?」
デートって、恋人同士がするものなんじゃなかったのね。知らなかったわ。
「もちろん、婚約期間は貴重だから沢山デートはしよう。夜会にも一緒に出て、ダンスもしよう。観劇も、遠乗りも、なんでもしよう。でも婚姻は卒業したらすぐだ。それだけは、変えられない」
沢山の約束をしてくれる。その楽しそうな顔が眩しくて、私も自然に目を細めた。
この人は、いつだって私を笑顔にしてくれる。私もこの人を笑顔にしたいと思う。いつだって、笑っていて欲しいと思う。
死に戻る前のターシャ・ヴァローの恋とは、まるで違う。
ギャレットの恋は見せかけだったし、ターシャにとっては逃げこむ場所でしかなかったかもしれない。
それでも、使えないはずの力を使えてしまうほどには、ターシャの想いは真剣だった。
奇跡を起こしてしまうほどの強さを持ちながら、誰が聞いても愚かだと指をさすであろうターシャ・ヴァローのギャレットへの想い。その恋は、死に戻る前のターシャだけのものだ。
そうして彼女が死んだ時に、死後の世界へ共に連れて行った。
彼女の恋を、誰かに覚えておいて欲しかった。
誰にと考えた時、たった一人しか思いつかなかった。
「あのね、バル。言ったことなかったかもしれないけど、あなたを、愛してる。私と一緒に、死ぬまで、ずっと傍に」
それ以上は声にならなかった。
力強い腕に、抱きしめられたから。
「勿論だ、ターシャ。愛してるよ。誰よりも強く」
お付き合いありがとうございましたー♡




