36.わたしのすきなひと
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積年の、自分の仇を討ち取って(殺してないわ)腰に手をあて念願の高笑いをかます。
「ほーっほっほ! 正義は勝ちましてよ!」
あら。誰も聞いてくれる人がいないと、ちょっとムナシイのね、これ。
クレアもいないし。一番聞かせたかったギャレットは白目を剥いて痙攣している。多分聞こえてないと思うのよね。
「……っ、……っ」
痙攣っていう事は生体反応があるということだし。微かに何かを呟いている気もするから、死んではいないと思う。かなり瀕死っぽいけど。
「さすがに、私を売ってはいなかった男を殺しちゃうのはマズいわよねぇ」
いや、売っていようがいまいが、殺人はマズいわね。うん、駄目駄目。そう自分で自分にツッコミを入れて心を落ち着かせる。
「うーん。医務室に連れていくのは無理だし。とりあえず人を呼んでくることにしましょう」
ミリー嬢の保護も手配しないといけないものね。
とりあえずしなければいけないことを指折り数えて上げてつつ、振り返った。
そこに。
「あら。ラインバルト殿下。ちょうどいい所へ。ミリーという名前のご令嬢をご存じではありませんか? ギャレットに唆されて、駆け落ちしようと家に戻ってしまったのです」
「その令嬢ならすでに保護できているはずだ。ご実家に連れて帰り、ご両親を交えて説明するように指示を出した」
「あら。随分と手際がよろしいのですね……って。いつからここに?」
驚きの方が先に立ってよく見ていなかったけれど、第二王子殿下の綺麗な指がこめかみの辺りに添えられている。
口元は引き締められ、眉を顰めて目を閉じたままだ。いつから、の問いにも返事がない。
微妙に震えているようにも見えるその姿にピンときたので、安心させて差し上げることにする。
「ご安心くださいませ。先ほどのコンボ攻撃は、ギャレット・フォールにしか発動するつもりはありませんわ」
最後の攻撃。あの凶悪さは女性には分からないものらしいですわね。
あんなことやこんなことをしている最中に、ごく稀に爪先がそこを掠めてしまうことがあるのですが、それはもう、ほんっとうに痛そうでしたわねぇ。
たぶん殿下も、武芸の訓練時などに掠めたことがあるのでしょう。お可哀想に。
きっとその経験を思い出して、恐怖を味わっていらっしゃるのだわ。
私の靴は、金属板が入っている特注の靴底だというのはお教えしない方が良さそう。秘密厳守ね。
訳知り顔で肩を叩いて慰めようとしたところで、殿下がぽつりと口を開いた。
「スカートで……」
「?」
「前蹴りをするな」
耳が、キーンとするほどの大きな声だった。頭がくらんくらんする。
腹立ちまぎれに叫び返した。
「殿下のエッチ! 変態!!」
肩を叩こうとして上げていた手を、そのまま振りぬく。
バチンッといい音がした。
「あ」
殿下の頬を叩いてしまった。
やだ。私のかよわい手が赤くなってしまった。痛みを訴える右手を、左手で撫でる。
「痛いじゃないですか。もうっ」
「おいっ。そこは謝るところだろう」
「えー。変態だなんて本当のことを指摘してしまって、モウシワケアリマセンデシタ?」
「なんだそれは。しかもなんで疑問形にした」
だって。ねぇ?
「ギャレットに手をつかまれて怖かったのに。助けて下さらなかったから」
すべてが終わってから近づいてきていた。
あれは間違いなく、ずっと観察していたのだ。クソが。
つん、と横を向いて拗ねてみせる。
本当よ。一時は乙女の危機を感じたんだから。あいつは、私自身ではなくって、再び使えるかどうかすら怪しい私の力目当てだったから助かったけど。
それでも、本当に怖かったのに。それを隠れて見ているだけだなんて。なんて酷い人なのか。
「でも、ターシャ嬢は、私が手出しするより、自分で裁きたいかと思ったのだが」
ラインバルト殿下が、まだ伸びているギャレットの方へ視線を向けて苦笑した。
──あ。笑った。
それは、いつも教室でしている作り笑いとは違っていた。
どちらかというと、商人見習いだと勘違いしていた頃の、バルが見せていた笑いに近い。
私を理解して、誰よりも応援してくれている人。
あの頃は、大きな眼鏡で隠されていたその瞳を、いつか見てみたいと思っていた。
その瞳が、目の前で自然に笑っている。
私を、私だけを、やさしく、甘く、見つめている。
眩しい。なんて綺麗な王子様なの。
その横に、私に圧し掛かる数多の男たちの姿が、幾重にも、ブレて重なった。
綺麗な綺麗な王子様とは、まるで似ても似つかない無数の影。
アルコールと煙草の混ざった饐えたような臭い。ねっとりと汗ばんだ肌。たっぷりと分厚い脂肪に包まれているか、皺でたるんでカサついているか。どちらにしろ好感度マイナスの男たち。そんな客に玩ばれる私。
私の心の奥の奥の方、記憶の底に潜んでいた、封印していた闇が漏れ出す。
私自身が消してしまった前のターシャの罪、その記憶の影。
死に戻る前、あれほど醜い生き様しか送れなかった私が、こんなにも眩しい御方の傍にいていい訳がない。
冷水を浴びせられたように、一気に身体が冷たくなった。そうだ。私では、駄目だ。バルが……この国の第二王子であるラインバルト殿下がこんな目で見つめる女性が、こんな記憶を持っているなんて、ありえない!
ガンガンと頭の中で銅鑼が鳴り響くように痛んだ。指先が震え出すのを、ぎゅっと握りこんで押し隠す。
「ターシャ嬢? どうした」
顔を覗き込むように身体を屈めたラインバルト殿下とは視線が合わないように、姿勢を正して顔を上に上げた。
「さすがですわ。よくお分かりですわね。そうして、ギャレット様と二人きりにしていただいたお陰で、私、分かったことがありますのよ」
「なにが分かったんだい、ターシャ嬢」
身体が冷たくて上手く動かせない。けれど、それに気づかれては困るから。ゆっくりと慎重に足を踏み出し、まだ痙攣しているギャレットの傍にしゃがみこんだ。
震えるな。女をみせろよ、ターシャ・ヴァロー。
あの地獄のような日々から死に戻って、あの糞みたいな人生をやり直せただけでも十分じゃないの。
これ以上の幸せなんか、考えるな。
「私の中に、ギャレットへの愛が、まだ残っていたことに」
出せた声はちいさかった。
お陰で声の震えには気づかれなかった、と思いたい。
「ターシャ?」
突然、ギャレットへ近づいた私の行動の意味が分からなかったのだろう。バルが、どうしたらいいのか不思議がっている。
「ギャレット様は、私を売ったりしていなかったんです。彼は本当に、私を故郷のサント王国へ連れて帰って、お嫁さんにしてくれるつもりだったんです」
今となっては、私の中にギャレット・フォールに対する不快感も何も浮かんでこなかった。
そのことにホッとする。前のターシャ・ヴァローが、死ぬほど……いいえ、死んでも想っていた相手。ド屑なのにね。どこが良かったのよ、ターシャ・ヴァロー。
「ターシャ、なにを言っているんだ」
そんな風に思いながら、意識のないギャレットの手を取ると、そっと自分の頬へ当てた。
「だからラインバルト殿下。お願いいたします。私との婚約を解消していただけないでしょうか」
意識を戻さないでよね。このまま気絶しててね、糞ったれ駆け落ち相手サマ。




