3.クレアは死なせない
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「大げさです」と恐縮するクレアの前で、演技でも何でもなく泣き出したターシャを「なだめて診察を受けさせるるためにも貴方から受診を」と医師から言われ、しぶしぶと靴を脱いだクレアの傷は小さかったけれど、もうすでに赤紫色に腫れて中央が白くなっていた。膿が出始めているということだ。
すぐに医師による処置を受け(なんと傷口をえぐり取った! その場で!!)消炎剤と化膿止めを処方されたクレアは、その後1か月も取ることになった長い休職に涙目になったけれど。
「小指側でよかった。かなり広範囲にえぐっても、歩けますからなぁ」という医師の所見は正しかった。親指側だと歩く際に力が入らずバランスが取れなくなるので、たとえ命が助かったとしても、一生、何をするにも杖が必要となるところらしい。
ひょこひょこ歩きになってしまったけれど、それでも自分の足で歩けるままのクレアが、生きて、侍女のままで、ターシャの元へ戻ってきてくれた。
「お嬢様のお陰で死ななくて済んだのだと、お医者様から教えて頂きました。ありがとうございます」
クレアに深く頭を下げられたけれど、お礼を言いたいのはターシャの方だった。
飛びつくようにして、抱きついた。小さくて短い腕では背中まで回しきることはできなくて、しがみついているだけだけれど。
匂いも温かさも、ここにいるのはターシャが大大だいすきなクレアだった。
「クレア。生きててくれて、ありがとう。侍女に戻ってきてくれて、嬉しい」
何故か侍従長が後ろでうんうんと頷いて涙を拭いていた。意味が分からなかった。
けど実はクレアは侍従長の姪っ子さんなんだそうだ。知らなかった。
お陰でクレア以外の使用人たちからターシャに対する態度もよくなった気がする。
これは気のせいかもしれない程度の変化だけれど、挨拶が冷たくなくなった。
そもそも私、クレア以外とはろくに目を合わせることもなかったから当然なんだろう。
でも今は、心がこもってる感じがする、というか。まぁなんにせよ屋敷内で気持ちよく過ごせるようになった。
まぁね、だからといって食事の時に両親が同席することはないんだけどね。
姉たちとは会話もない。静かに食べてる。
この頃はまだこの領地があれに襲われる前だから、食卓も豊かだ。ポタージュに浮いてるクルトンもいい。カリカリのまま食べるもよし、汁気を吸ってふにゃふにゃになっているのもあれはあれでよい。
塩味がついてるだけのお湯に、クズ野菜の切れっぱしが浮いてるだけのものとは雲泥の差だ。
あー、生クリームの濃くがたまらんね! 最後の一滴まで飲み干したい。
できるだけ音をたてないように静かにスプーンを動かしつつ、皿にスジすら残らないよう掬いとるべく格闘していると、視線を感じる。
「ん? んん?」
ふと気が付いたら。お皿を手前に傾け、スプーンを奥から手前に動かして救っているのは、私だけだった。
二人の姉たちのお皿は奥に向かって傾げられている。つまり、お皿の底が見えなように奥にスープを貯めて、スプーンは手前から奥に動かしていたのだ。
大失敗だ。
そうだった。この国のマナーだと同席者に皿の底を見せつけるような真似をしてはいけないのだ。
その方が食べやすいとかそういうのはまるで別問題。庶民のやることで、貴族がやってはいけないんだった。
すっかり忘れてた。
やばいやばい。慌てて姉の真似をして事なきを得る。
私が姉の真似をしだしたことで、睨むような視線は外された。
ふう。ターシャももう10歳だもの。こんな初歩的なマナーでは拙い。
叱りつけられるよりマシだけど、眉間に皺を寄せた顔を向けられるのは心臓に悪い。
「他にも、すっかり忘れてるマナーとかありそう」
気をつけなくちゃ。




