2.あー、もうっ!!!
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「馬っ鹿なの?! なんなら最初っから最後までぜぇんぶ間違いだわ! 騙されて売られたんだって。裏切られたんだって。いい加減に理解しなさいよ、ターシャ!!!」
がばりと勢いよくベッドから跳ね起きた。
本当は、ずーーっと前、とうの昔に気が付いていたのだ。
なんなら娼館がどんな場所かと理解した初日のお勤めの日に、うっすらと気が付いてた。
町医者と娼館の女将との会話が聞こえてきたからだ。
「貴族、それも侯爵家のご令嬢のハツモノかい。こりゃいい出物だ。毎度毎度いい仕入れしてくるね、アンタ」
「おい、声がでかいぞ」
「なぁに。今更気が付いたところでどうにもなりゃしないさ」
にやけた嗤いを浮かべた2人が交わしていた会話の意味。
その時はまだよく分っていなかったけれど、さすがに一番お金を出したらしい、老金持ちのお相手をさせられた時に理解したよねー。
「……でも。それでも、ギャレットのことは信じてたんだよねぇ。自分が、愛した人に騙されて、売られたなんて。信じたくなかった、というべきかしら」
親だけでなく姉たちからまで結婚を反対されて(当たり前)、燃え上がったというか、ただただショックだった。
だって彼と会うことすら拒否されて、勝手にお見合い入れられてしまって、どうすればいいのかわからなくなってしまったのだ。
だから彼から「駆け落ちしよう」と熱心に言われて、頷いてしまった。
「最初から、私を売っぱらうつもりだったのね、あいつ」
多分、本当は私と結婚して実家に入り込み、侯爵家の財産を食いつぶすつもりだったのだろう。
それが思った以上に貧乏な侯爵家と侯爵家の反応が悪すぎたから、即方向転換したのだ。
道理で手を出してこなかったはずだ。誠実さだとばかり思ってしまったけど、商品に手をつけないのは商売の基本。
「プロの屑ね。どっちにしろ大金が入るって寸法だったのよ。くそったれが」
死ぬ寸前まで、私は元侯爵令嬢だという思いを捨てられなかった。矜持なんかじゃないどちらかというと高邁さね。
それでも、学習はするのよ。平民流の口の利き方とか。罵倒のレパートリーには自信がある。
「お店では元貴族令嬢ということを売りにしてたから、令嬢教育はさせてもらってたけどね」
貴族学園に通っていた時は、まるで勉強なんてしていなかった。勉強が嫌いだったわけじゃない。ただ、人の目が怖くて下を向いてばかりいた。教師に質問もできないし、クラスメイトから話しかけられても怖くて逃げてばかりいた。私にも、どうにもならなかったのだ。
娼婦になってからの方がずっと真面目に勉強した。ギャレットのところへ戻るために。
流行りの詩集、お茶の知識、ハープの演奏、宝石の見抜き方。
贈り物の宝飾品を身に着けたら偽物だった、なんて目も当てられないから。
あ。楽器がハープなのは演奏する姿が令嬢っぽいというだけでなく、調音が楽だったからっぽい。ピアノもバイオリンも管理が大変なんだって。本体が大理石製のハープは歪まないから楽らしい。知らんけど。
あと化粧。客に合わせて、儚げ令嬢風とか、理知的なクールビューティ風とか、なんならパイに影つけて盛って盛ってグラマラス風にだって見せることができるようにだって、なった。そういう時は脱がない下着が存在するのよ。すごいのよ、娼館。
多分、この技術を令嬢たちに披露したら一財産築けると思う。
とまあいうように、広い知識と技術(意味深)を女将から本気で教育された。
ホント、馬鹿だ。馬鹿すぎる。
「あー、もう! 私の、馬鹿ーーーー!!!!」
明るい栗色をした髪を、両手で搔きまわして叫ぶ。
「お、おじょうさま?」
声を掛けられ、ハッとした。
振り向いた先に立っていたのは、侯爵家でずっと私付の侍女をしてくれていたクレアだった。
「クレア! なんで生きてるの?!」
「酷いです、お嬢様!」
クレア。幼い私の面倒を親身になってみてくれた侍女だ。私を大事にしてくれた、ただ一人のかけがえのない存在。
「いいえ、ちがう。ちがうのよ……っていうか、そういえばなんで私ってば生きてるのかしら?」
バタバタと全身を触って確かめてみる。うん、触れるわね。というか。
「なんで私の手が、こんなにフクフクしてるのかしら。枯れ木みたいだったはずなのに。腕もつるつるだし、顔だって……そうだ、鏡!」
ふっかふかでかび臭くも埃だらけでもないベッドから飛び出して、鏡を覗く。
「うそ。これ、私、何歳なの?」
瀟洒な三面鏡に映っていたのは、長い前髪をした、うっとおしい毛玉だった。
「あぁん。さっき掻きまわしちゃったから」
ぐちゃぐちゃの髪を手櫛で掻き分けて顔を確かめる。そこにいたのは、まだ眉毛がぼっさぼさの幼い少女だった。
ぐちゃぐちゃではあるけれど、栗色の髪も艶があるし、枝毛のない美しい髪をしている。白髪なんて一本もない。
「これ、10歳頃のわたし、よね。うわっ、お肌つるつる。目尻にも口元にも、皺ひとつないわ! あ、でもおでこにニキビできてるぅ! ハチミツ塗らなくちゃ。ねぇ、今すぐ巣蜜を持ってきて! でもその前に洗顔しないと! やだ、怒られちゃう!! いやぁぁぁぁ!!!」
他にもニキビがないか寝衣をはだけて鏡の中を探す。
身体にニキビができている娼婦なんて許されない。なんとしてもすぐに治さなくちゃ!!!
「お、お医者様を呼びましょう。お、お嬢様が錯乱されて……お嬢様が大変ですー!」
廊下を走っていくクレアの声で気が付いた。
「そうだ、今の私は娼婦なんかじゃないんだっけ? え、なんで? 夢??」
クレア。侯爵家の三姉妹の末娘であった私を、ただ一人大切にしてくれた優しい侍女。本当の姉のように慕っていたのに。死んでしまった。
「クレアが生きているということは、10歳より前ってことね? 夢かもしれないけれど、クレアがまだ生きているのなら、彼女のためにできることが、あるかもしれない」
そういえば、クレアの死因はなんだったかしら。
「お嬢様! お医者様の手配をして参りましたよ。落ち着いて、ベッドの中へ戻られてくださいまし」
いつの間に戻ってきたのか、クレアがひょこひょこと近づいてきて背中を撫でてくれた。
この手が、好きだった。
家族の誰も、ターシャに触れたりしない。抱きしめられたことも、頭を撫でられた記憶もない。
それでもクレアだけは、いつだってターシャを甘やかしてくれた。
「さぁ。ミルクとハチミツ入りのハーブティです。特別にベッドの中でどうぞ。すぐにお医者様がいらっしゃいますからね」
掛け布を整えて身体との間に隙間ができないよう、ベッドの反対側に回ってきちんと押さえてくれる。優しいクレア。
その足取りが、ひょこひょこしていることに、ようやく気が付いた。
「クレア。足を、ケガしているの?」
「あぁ、これですか。みっともなくてすみません、一昨日の帰り道、古釘を踏み抜いてしまったみたいで。暗くなるのが早くなると駄目ですねぇ」
それだ! クレアは、靴底をつきぬくほど長い古釘を踏み抜いて、足に小さな傷を負った。
そこからバイ菌が入って、死んでしまったのだ。
破傷風。傷から入った菌が毒素を生み出し、それが全身に回って死に至る。傷を負ってから症状が出るまで3日~3週間という長い潜伏期間があり、すぐに傷の手当てをすることで致死率がずっと下がるという。
「ターシャ様、お医者様がいらっしゃいました」
面倒くさそうな顔をした侍従長が案内してきてくれた医者に、ターシャは叫んだ。
「クレアが死んじゃう! 助けてあげて!!」




