12.融資の交渉
※引き続き、銀行の頭取視点でお送りしております
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瞬間、雷に打たれた気がした。
返せる金額までしか借りない。ある意味真っ当で健全なこの考え方ができる人間は、少ない。とても少ない。というか、ほぼいない。
大抵はまず貸りたい金額を伝えてくる。そうしてただ頭を下げる。地位のある者は、頭を下げることすらしない。
なのにたかだか10歳の令嬢が、返済ありきの融資の相談にやってきたのだ。
「受けられる融資の範囲で専門家を交えて教会の建て替え計画を立てるつもりです。信用が低く融資額が低額になるというならそれも仕方ありませんでしょう。その場合は、補修での対応も検討しなくてはいけません」
本物だ、と思った。
この方が、今代なのだ、と。
その上で、頭取としても、個人としても聞いてみたかった。
「建て替えは、なぜ」
「理由ですか。それが、必要だからですわ。頭取」
令嬢が微笑んだ。その笑みがあまりにも大人びて見えて、50も下の子供相手だということを忘れて姿勢を正した。
「そうですか。必要ですか」
懐から手帳を取り出し、さらさらと数字を書き込む。その音が、部屋に響く。それくらい静かだった。
「お嬢様の返済額から計算しますと、融資可能額はこれくらいになりますね」
「まぁ。これでは修繕しかできなさそうね」
その声は、落胆に満ちていた。
たぶんきっとこれだけの金額を毎月積み立てたのと同じだけ借りられるに違いないとでも考えていたのだろう。
「慈善事業ではない銀行の貸付には、金利という物が発生しますから」
保証人としてヴァロー侯爵家が後ろについているとはいえ、令嬢は自分の返済能力にあった金額の提示を求めた。
口座を持ったばかりの幼いご令嬢個人への社会的信用などある訳がなく、最も高い金利が適応されることになる。そうなると、これが精一杯というところだ。
そう説明すれば令嬢は恥ずかしそうに眉を下げ、幼さの残る小さな手のひらで頬を押さえた。
「そうでした。金利というものは信用によるのですね。当然のことですのにすっかり頭から抜け落ちてしまいました」
しょんぼりとする顔は年齢相応で、先ほどまでとのギャップが大きすぎて思わず噴き出してしまった。
「あぁ、失礼」
10歳とはいえ相手は侯爵令嬢だ。しかも小切手帳を発行できるだけの口座を持っている。顧客である。その応対中に噴き出してしまうなど、完全なるこちら側の失態だ。
なのに、不思議なほど心が浮き立ってしまっていて、笑いが止められない。
「お嬢様に失礼です」
「いいのよ、クレア。私に社会経験がないせいなのだもの。失礼しました、頭取」
令嬢ではなく侍女から怒られてしまった。
本当に10歳なのだろうかと内心苦笑するしかない。
すっかり温くなった紅茶を、一気に飲み干し、自分は手を付けるつもりのなかった茶菓子を大胆に口へ放り込んだ。
目の前の令嬢は、そんな姿を見せても不快そうな顔一つ見せないでいる。
その様子に、覚悟を決めた。
「ヴァロー侯爵令嬢さまに於かれましては、出世払いという言葉をご存じでしょうか」
「いいえ。不勉強ですみません」
しょんぼりとして首を傾げる。その姿だけを見れば普通に愛らしい令嬢でしかない。
だがその瞳は、次を見据えているように強い輝きを持ったままだ。
「知ったかぶりをされるより、よほど誠実でよろしいと思ます」
出世払いとは、言葉の通り貸付相手が出世するまで返済を停止(延期)する貸付方法だ。
また、貸主がこれ以上待っても出世できそうにない、と貸付相手を見限った時点で返済開始を求めることができると法律で決まっている。出世してもしなくても、結局は返済義務はある。そこが贈与との違いである。
「出世した時からの返済開始ですか。……その場合の金利は、どうなるのでしょう」
「きちんと疑問点を確認できることはいいです。支払開始日を起点として発生します。そうして、現在の金利より+5%以下というのが法定金利ですね。まぁ実際には金融情勢は変化しますし、相談によるというのが多いですね」
「慈善事業ではありませんものね」
さらりと先ほど使った言葉で返されて、また苦笑がでる。
10歳の令嬢に対して使う言葉としては『世に長けている』というのはおかしいかもしれないが、単に勉強ができるとかそういう意味ではなく、とても頭のいい方なのだろう。
「どうでしょう。銀行ではなく、私個人と出世払い融資契約を結びませんか。それなら、これだけ出しましょう」
先ほど提示した金額に、ゼロを2つ足して差し出す。
「!!」
「さらに、もしヴァロー侯爵令嬢さまが出世なさる前に、私の都合で返金を申し出た時には金利は無し、ただしご自身で出世したと判断して返済を開始なさる場合には、気前よく利子を付けてくださいね?」
ゆったりと。できるだけ余裕のある大人に見えるように笑みを浮かべて提案した。
「……よろしいのですか?」
「さすがに、事業としてはこの金額は無理です。どちらかといえば、ギャンブルに近い。ですがご令嬢は、ちゃんと私に、勝たせてくださるのでしょう?」
手を差し出せば、小さな手がそれに重ねるように差し出される……それを、後ろから伸ばされた侍女の手が止めた。
「その前に一つ確認させていただいてもよろしいですか」
「クレア」
良い目だった。令嬢が、信頼するに値する良い主である証だ。
これから取引をしようとしている相手が忠実な使用人を持っているとはとてもいい。
行き過ぎた忠誠だといさめる令嬢の声も、落ち着いたトーンで耳に心地よい。
「大丈夫ですよ。なんでしょうかな、お嬢さん」
質問の内容も気になって、やめさせようとする令嬢に安心するように頷きを返すと、後ろに立つ侍女に視線をかえて発言を促す。
「……この融資を受けるにあたって、お嬢様に対する未来の金利以外に求めるものはありますか」
「なるほど。用心深いのはいいことです」
侍女ごときが愚弄するな、と返して契約の反故を申し出るべきなのかもしれない。だが、今はよくできました、と褒めてやりたい気持ちになる。
「そのような条件が付随することがあるのですか?!」
下種な交渉を考えていなかった令嬢を守るにはこれくらい過保護であってちょうどいいのだろう。
「勿論、ありませんよ。侯爵家の10歳のご令嬢にそんな無体な申し出をしたら、私は社会的に死にます。その前に、愛する妻と娘に嫌われて死にますよ。勿論、娘が生まれたばかりの息子からも蛇蝎のように嫌われますね」
「ふふ。仲の良いご家族なのですね。素敵だわ」
「ありがとうございます」
「では、改めまして」
「宜しくお願いしますわ」
秘書に書類を用意させ、その場で締結した。
私の口座からヴァロー侯爵令嬢ターシャ様の口座へ融資額が振り込まれたことを確認してもらう。
今のところは証書を発行しただけ、数字の移動でしかない。
「本日は、ありがとうございました。私、この領地のために全力で尽くしますわ」
「楽しみにしております」
「未来の金利に?」
「えぇ」
笑顔で握手を交わし、見送りに出る。
そっと近づいてきた侍女が、突然腰を深く下げ謝罪してきた。
「先ほどは大変失礼いたしました」
謝罪を微笑ましく受け取り、苦言を口にした。
「いいのです。あなたの心配は正しい。ご令嬢はよい主なのですね。……いいですか。あの口座の証書をそのまま持って仕事相手に見せつけるのではなく、ヴァロー侯爵家に呼びつけて交渉するよう上手く話を持っていくようになさい。あなたにしかできないことです」
金の力は強い。それも悪い方に作用することも多い。
抑止力を上手く使わなくては、か弱い令嬢など簡単にその羽を奪われることになる。
「はい。お言葉をしかと心に留めます」
もう一度頭を下げて、今度こそ素晴らしい令嬢と忠実なる侍女を乗せて、馬車が小さくなるまでずっと見送った。




