第5話 secret name
「そう思ってくれるのはありがたいけど、僕はそうは思えないんだ」
(サー……)
肩に乗ったままのケット・シーが悲しげな声をあげ、僕を覗き込むように見る。
僕は、ふっと穏やかに笑うと、ケット・シーをまた撫でた。
「ふ……心配してくれているのか? なんだかキミとは初めて会った気がしないな。キミには正直に話せる。なあ……ケット・シー……」
(はい。サー)
僕はグレイブの天井を仰いだ。
やっぱり……感情だけが残ってる。
何かに触れる度に、その時の感情が思い起こされてくるようだ。
「……悔しいんだよ……きっと……僕は悔しいんだ。殺されたって事は……負けたって事だろ……自分を守れなかったってさ……何も守れなかったんだな……」
奥底から湧き上がってくる感情が、なんだか胸を押し潰すようで苦しい。
(……サー……)
悲しげな声をあげ、僕をじっと見つめる。
「気にしなくていいよ。そうは言ったって、それがなんなのか、よく分かっていないんだから」
(大丈夫です)
ケット・シーが僕の襟首にくるりと柔らかく包むように体を預けた。
「ケット・シー……」
この暖かさが……心地いい。
(今度はわたしがあなたの鎧となります。サーに傷を負わせたりはしません)
「……そうか……それなら……少し……眠ってもいいか……?」
この状況に慣れたからなのだろうか、いろんな事が起きた事に疲れているのだろうか。
なんだか、安心感のようなものがあった。
(はい。サー……今は……お休みになられて下さい)
ケット・シーの柔らかな感触と、優しく流れる声に身を委ねるように僕は目を閉じた。
……雨の音がする。激しい雨だ。
こんなにも近くで雨が地に落ちる音が聞こえるのは、僕が地に近いところにいるからなのだろう。
雨でぬかるんだ地が足音を響かせる。足音の数もかなりの人数だ。
叫ぶ声と激しくぶつかり合う金属音に、ここが何処であるかに気づく。
ああ……ここは……戦場だ。
雨も地も掴む手の感触に、自分が力尽きて倒れている事を知る。
起きあがろうとする意識に反して、体は少しも動かない。
苦しさが全身を襲って声も吐き出せない。息は短い間隔で吐き出す事しか出来ず、浅い呼吸を繰り返していた。
ただ……苦しい。
体に感じる痛みも、心に感じる辛さも。
……冷たいな……雨が体温を奪っていく。凍りついてしまいそうだ。
体が冷えていく感覚が諦めを促している。冷えていけば冷えていく程に意識が遠くなっていく。
強くなる雨音に……全てが掻き消されそうだ。
僕は……負けたのか。
『おいっ……!! カイ!! しっかりしろっ……!!』
揺さぶられる体。耳元で叫ぶ声は焦りを吐き出す。
『カイっ!! おいっ!! カイ!! 起きろっ!!』
どうやら僕を呼んでいるようだ。
カイ……それが僕の名前か。
僕を呼ぶこの声は……一体誰だ……?
『ラド!! 後ろっ……!!』
また……別の声が……。
剣を交える音が雨音を割って甲高く響く。
雑言と嘲笑うような声が剣を交える度に大きくなり、剣と剣がぶつかり合う音が激しくなっていった。
そのリズムが乱れた瞬間。
ズッと鈍くも埋もれた音がした。
うっと呻き声が聞こえた後、ドサッと僕の背に重さを被せた。
『……カ……イ……』
微かに聞こえたその声はそれ以上、続く事はなかった。
少し離れたところからも同じような呻き声、人が地に落ちる音が次々と聞こえた。
雨音さえも掻き消してしまう哄笑が響き渡っている。
僕は……。
「うわあああーっっっ……!!!」
(サー! どうされましたか)
「あ……」
……夢……いや……あれは過去……か。
ケット・シーがテーブルに降り、僕を心配そうに見つめる。
僕を呼ぶあの声は……。
「……ラド……」
その名を口にし、深い息をつくと頭を抱えた。
……そうだ。
「ラド……」
僕の……所為だ……!
(思い出されたのですね……サー)
「ケット・シー……キミが僕を知っているなら、ラドの事も分かるか……? ラドは今……僕のように残存してはいないか?」
胸が騒つく。あの後、ラドはどうなった……?
ケット・シーは首を横に振る。
(分かりません)
「……そうか……」
アンダーワールドにいる僕に、オーバーワールドの現状なんて分からない。
どうする事も出来ないのかと肩を落とす僕に、ケット・シーは言う。
(ですが……レディならお分かりになるかもしれません)
「レディ、か……」
そう呟きながらハッとする。
柩の部屋。
『同じような部屋が幾つかあったな……その部屋もここと同じなのか?』
『ええ、そうね』
『全部で何人いるんだ?』
『あなたを含めて七人よ……』
もっと早くに気づいていれば……。
重厚な造りの扉には複雑な模様が彫られていた。
その模様の中にアルファベットのように見える模様があった。
僕の名はKay……僕の肉体があった部屋の扉に見えたアルファベットは……。
『K』
あの扉には七人それぞれのイニシャルが秘められているんだ。
立ち上がった僕にケット・シーが言う。
(レディに会いに行かれますか?)
「ああ。招待状が来ていたって事は、直ぐに入れるんだろう?」
(レディは待ち侘びているようですよ)
「待ち侘びている? 時は分からなくても、そんなに時が経ったようには感じないが……」
(だって……)
なんだかケット・シーは嬉しそうだ。
ふわりふわりと紙が降り落ち、テーブルの上に重ねられた。
(サーが眠っていた間に、レディからの招待状がもうこんなに届いてますよ)
まったく……あの女は……。
僕は、招待状の束を見て呆れた溜息をついたが、笑みが漏れる。
「キミも行くか? ケット・シー」
(わたしは……)
寂しげな声に思い出す。
あ……そうだった……。
『元々、持っていないから。だからここに留まるしかないの。あの家にも入れない』
「だけど……レディはキミがこうしている事を知っているんだろう? こうやってここに僕へと招待状を送ってくるくらいなんだから」
(旦那様をお守り出来なかったわたしがレディに会える訳がありません。わたしを見ればレディはあの時の悲しみを思い出す事でしょう)
「それは違うんじゃないか。キミがそう思っているだけで、レディはキミの事を大切に思ってると思うよ。キミも本当はそれが分かっているんじゃないか?」
(サー……それは……)
「分かったよ。今回は僕一人で行って来る」
ケット・シーを慰めるように頭を軽く撫でる。
「だけど、次はキミも連れて行くよ」
(サー……でも……)
俯くケット・シーは、思いを吐き出せずに口籠もる。
「分かっている。僕もキミと同じ思いなんだ」
……決めた。思いは固まった。
それは、これから僕がやるべき事だからだ。
立ち止まってなどいられない。
僕はレディからの招待状を一枚だけ手に取り、グレイブの扉を開ける。
そして、グレイブを出ながらケット・シーに言った。
「素直に受け止められないのは、後悔が負い目になっているんだよ。だけどその後悔は捨てなければならない……その時が来たんだ」




