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神さまの三日間、わたしの願い

作者:
掲載日:2025/12/01

 願い桜が光る夜は、風の音まで止まる。

 春祭りの準備で遅くなった私は、境内の掃き掃除を終えて、ふと顔を上げた。

 満開の桜が淡く発光し、その根元に——見知らぬ少年が立っていた。

 ひやり、と空気が変わる。

 私の声が出るより先に、少年が目を細めた。

「きみ……どうして、僕が見えるの?」

 銀色の光を映したような瞳。淡く透けた輪郭。

 人間じゃない。けれど、怖くない。

 むしろ、とても綺麗だと思ってしまった。

「あなた……誰?」

「霧崎蒼真。願い桜の、神使だよ」

 神使。

 子どもの頃から神社で暮らしてきた私でも、物語の中だけの存在だと思っていた。

「人に姿を見せることはないはずなんだけど……君には見える。きっと巫女の血のせいだね」

「巫女って言っても、私はまだ見習いだし……そんな大層なものじゃないよ」

「ううん。君の心が強く“願っている”からだ」

 願い——?

 聞き返す前に、桜の光がふっと弱まった。

 蒼真は小さく笑って、ひらりと夜に溶けるように姿を消した。

 夢みたいだった。でも夢じゃない。

 翌朝、神社の階段を降りる途中で、蒼真がこちらを見上げていたから。

「おはよう、ひかり」

「……本当に居るんだ」

「三日間だけね。桜が光っている間だけ、僕は人の世に降りられる。それが神使の役目だよ」

 三日間。

 それだけの短い時間で、彼が何をしに現れるのかは、まだ知らなかった。

     ◆

 学校の帰り道、蒼真はまるで空気みたいに隣を歩いた。

 他の人には見えていない。気づかれていない。

 私はただ、彼と話すのが不思議と心地よかった。

「君、本当は都会に行きたいんだね」

「……なんで分かるの?」

「願い桜のそばにいると、人の“強い願い”が見えるんだ。君の願いは、ここから離れたいって叫んでる」

 図星だった。

 母は私に巫女になってほしがっている。

 私は、神社という“決められた未来”から逃げたいと思っている。

「君は自分を小さくしてる。本当はもっと遠くまで行けるのに」

「そんな、簡単に言わないでよ……」

 自分でも言葉が震えているのが分かった。

 誰にも言っていない本音を見透かされるのは苦しい。でも、その苦しさが救いにも思えた。

 蒼真は私の表情を覗き込み、柔らかく微笑む。

「生きてると、いろんなものが重荷になるんだね」

「あなたには……重荷って、あるの?」

「ないよ。僕は人じゃないから。

 でも——人みたいに生きてみたいとは思う」

 その声は、触れたら消えてしまいそうに儚かった。

     ◆

 その日の夜、境内で蒼真はいつもより“薄かった”。

 手を伸ばせば、触れられそうで触れられない。

「蒼真……?」

「僕の時間、あと一日だよ。

 三日目の夜には、神のもとへ還る。それが決まりだから」

 胸がぎゅっと掴まれる。

「戻りたく……ないの?」

「うん。君と話している時間が、あまりに楽しくて。

 これが“生きたい”って気持ちなのかなって思ったんだ」

 その言葉に、涙がこぼれた。

 彼は私に近づこうとして、できずに足を止めた。

「泣かないで、ひかり。

 君のおかげで、僕は初めて、人の心に触れたんだよ」

     ◆

 三日目の夜。

 境内に誰もいない時間を見計らって、私は願い桜の前に立った。

 蒼真はほとんど光のように薄く、風に溶けてしまいそうだった。

「ひかり。ありがとう。

 君に会えて、僕は……満たされたから」

「満たされたなら、消えていいの!?

 私は……私は嫌だよ……!」

 膝が震えた。

 息も苦しい。

 神職の家の娘がこんなことを言うのは間違っている。

 それでも声が止まらなかった。

「消えないで……蒼真。

 お願いだから、行かないでよ……!」

 私は桜の前に手を合わせた。

 祈りの言葉が勝手に口からこぼれ落ちる。

 古くからの祝詞が、涙と一緒に流れる。

「この子を……連れていかないでください……!

 どうか……どうか……!!」

 願い桜が眩しく光り出す。

 蒼真の身体が揺らぎ——

「ひかり」

 桜の音がしたような気がした。

 気づけば蒼真が、すぐ目の前にいた。

 手を伸ばせば届く距離。

 触れたかった。

 でも、触れてしまったら終わりだと理解していた。

「願ってくれて、ありがとう。

 でも、僕の役目はもう変えられないよ」

「そんなの……そんな……!」

 蒼真は優しい顔で笑う。

 泣いている私より、なぜか嬉しそうに。

「君の願いがあったから、僕は最後の瞬間まで“生きたい”と思えた。

 それだけで十分なんだ。

 ひかり。君は、君の未来を生きて」

 光が舞い散った。

 蒼真の輪郭が崩れ、桜の花弁のように夜空へ溶けていく。

「蒼真!!」

 叫んでも、もう声は届かない。

 最後に残ったのは——青く淡い、一枚の光る花びらだけだった。

     ◆

 数日後、桜は普通の桜に戻り、蒼真の気配はどこにもない。

 でも私は、あの夜の光を忘れない。

 蒼真が言ってくれた言葉も、

 触れたら消えるほど儚かった笑顔も、

 全部、胸の奥に刻まれている。

 だから私も、前に進む。

 都会に行く夢を、今度こそ本当に叶えるために。

「蒼真……見ててね。

 ——私、ちゃんと生きるから」

 願い桜の根元で呟くと、風がそっと髪を撫でた。

 まるで、「大丈夫だよ」と言ってくれたように。

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