森の妖精の目覚め
見ていただきありがとうございます。
ぜひ一話から見てこの子達の変化していく過程を楽しんでいただけたら
うれしいです。
ある日のこと。
リリアーネは森の方角に視線を向け、眉をひそめていた。
「……重たい気配が漂っています。森そのものがざわめいているような」
彼女の神官としての勘が警鐘を鳴らしていた。
それは魔獣でも盗賊でもない。もっと古く、もっと神聖な何か――。
「俺も感じる」
ディランは立ち上がり、杖を手にした。
「森の奥だな。……行って確かめる」
「危険じゃないの?」
セリナが双剣を背負い直す。
「危険かどうかは確かめないとわからない」
冷静なディランの答えに、仲間たちはうなずいた。
森を進むにつれ、空気が変わった。
鳥も虫も声を失い、風までも止んだかのように静まり返る。
そこに現れたのは、苔に覆われた古代の祭壇。
中心には水晶の繭。
透明なその中に、銀髪の少女が眠っていた。
「……エルフ……?」
クラリスが息を呑む。
長い耳、白磁の肌、閉じられた瞼。
ただ眠っているだけとは思えない、荘厳な気配が漂っていた。
「これは……ただのエルフではありません」
リリアーネが震える声で告げる。
「古の契約で眠らされた、森の“守護者”級の存在……」
突如、水晶の繭にひびが走った。
ぱきり、ぱきり、と音を立て、やがて破片が光の粒となって消え去る。
中から現れた少女は、翠の瞳をゆっくりと開いた。
その瞳に映るのは、遠い記憶を見つめるかのような深淵。
「……外の世界、なの……?」
彼女の声は澄んでいたが、弱々しい。
それでも誰のものでもない、不思議な威厳があった。
「目覚めさせたのは……あなた?」
少女はディランを見つめた。
「ああ。意図したわけではないが、結果的にそうなった」
ディランは正直に答える。
「……そう。ならば名を名乗りましょう」
少女は姿勢を正し、言葉を紡いだ。
「私はエルシア。――かつて、森と契約を結び、数百年の眠りに就いていた“王家の娘”です」
仲間たちは息を呑んだ。
「王家の娘……? じゃあ、エルフの……」
「そう。エルフ王国エルダリス。けれど今はもう……ない」
エルシアの瞳に影が落ちる。
彼女は静かに語った。
「数百年前、我が里は魔王軍の侵攻を受けました。民を守るため、王家の血を引く私が“眠りの契約”を結び、森の精霊たちの力を封じ込めた。……その結果、私は守護の祭壇に眠り続け、国は滅びた」
長い時を経てなお、言葉に滲むのは痛みと悔恨だった。
「だから……私は生き残り。最後のエルフ王族」
彼女がそう語ると同時に、森が震えた。
影をまとった巨狼――守護獣が姿を現した。
それは、エルシアを永遠に祭壇に縛り付けるための番人。
「私が出れば、この森の均衡は崩れる。だから……試されている」
エルシアが唇をかみしめる。
「なら、答えは簡単だ」
ディランが杖を構える。
「俺たちがその試練を突破してやる」
戦闘が始まる。
セリナが鋭い双剣で切り裂き、クラリスが矢を雨のように放ち、ミュナが疾走して巨狼の視線を引きつける。
リリアーネが聖光で皆を守ると、ディランの闇魔法が地を縛る。
「《闇縛》!」
巨狼の脚が影に絡め取られる。
その隙に仲間たちが総攻撃を浴びせ、最後にディランが呟いた。
「――眠れ」
漆黒の闇が巨狼を呑み込み、試練は終わった。
戦いが収まると、エルシアは静かに跪いた。
「……あなたたちは、森の試練を越えた。ならば私は、あなたたちと共に歩む」
翠の瞳がまっすぐにディランを見据える。
「特にあなた――闇を操る者。あなたの力は、私の長き眠りを終わらせた。これは偶然ではない。運命だと思う」
その言葉に、仲間たちは思わず息を呑む。
ミュナは少し不安そうに尻尾を揺らしたが、エルシアは微笑んで手を差し出した。
「あなたも、私と同じ。居場所を探している人……でしょう?」
「っ……!」
ミュナの瞳に光が宿る。
ディランはしばらく考え、やがて短く答えた。
「……好きにしろ。俺は縛らん」
「ええ、ありがとう」
エルシアの笑みは、どこか神秘的で、そしてどこまでも人間らしい温かさを帯びていた。
こうして、新たな仲間――最後のエルフ王族エルシアが、彼らの旅路に加わった。
それは単なる出会いではなく、これから広がる大いなる物語への扉でもあった。
夕暮れの橙が村を包み、かまどの煙が立ちのぼる。
村の中央広場では、村人たちが長い木の卓を並べ、今日の収穫と狩りの恵みを持ち寄っていた。
その一角に、エルシアは静かに腰掛けていた。
長き眠りから目覚めたばかりの彼女は、まるで時代から切り離された影のように見える。
だが今、村人たちのざわめきと笑い声に囲まれて――彼女は、少し戸惑っていた。
「……これは」
木皿に置かれた黒パンを、指先でつまむ。
香ばしい匂いが鼻をくすぐったが、エルシアはすぐには口にしなかった。
「どうした? 腹が減ってないのか」
対面に座るディランが問いかける。
エルシアは少し考えてから答えた。
「いいえ。ただ……パンというものは、昔は祭礼でしか口にできませんでした。人々の常の食とするとは……」
その言葉に、周囲が一瞬静まり返る。
だが次の瞬間、セリナが目を丸くして叫んだ。
「えっ!? そんな時代あったの? 毎日パン食べてる私たち、めっちゃ贅沢じゃん!」
「あなた、声が大きい」
クラリスが眉をひそめるが、その声色にも驚きは隠せない。
リリアーネは神官として、そっと口を開いた。
「エルシア様の眠りは、数百年に及ぶのですから……我々にとって当たり前の文化が、彼女には遠い過去のものなのです」
「……」
村人の視線がエルシアに集まる。
彼女は少し気後れしつつも、黒パンをひと口かじった。
ぱり、と音がして、小麦の香りが広がる。
エルシアの瞳がわずかに揺れた。
「……甘い。こんなにも、豊かな味がするのですね」
その言葉に、村人たちが安堵の笑みを浮かべた。
緊張がほぐれ、再び笑い声と会話が戻ってくる。
⸻
「ねぇねぇ、エルシアはどんなとこで育ったの?」
セリナが興味津々に身を乗り出した。
「……森の奥、光の届かぬ湖畔の城。精霊たちが守る国に、私は生まれました。けれど、あの国はもう……」
言葉が途切れる。
長い睫毛が伏せられ、淡い影が横顔に落ちる。
ミュナが、そっと口を開いた。
「……居場所を、失ったんですね」
その声は震えていた。
ミュナ自身が、つい数日前までそうだったから。
エルシアは驚いたようにミュナを見つめ、そしてゆっくりと微笑んだ。
「ええ。あなたも……?」
「はい。でも、ここにいていいって言ってもらえました」
ディランが無言でパンをかじりながら、二人の会話を聞いていた。
その姿に、エルシアの胸の奥に微かな温もりが灯る。
「……ならば、私も」
エルシアは杯を取り上げ、村人たちに向かって掲げた。
「この時代に目覚め、こうして皆と食卓を囲めることを、精霊たちに感謝いたします」
古代語が混じるその響きは、祈りにも似ていた。
村人たちは一瞬言葉を失ったが、やがて大きな拍手と歓声が湧き起こる。
「「「おおーっ!!!」」」
その夜、村の晩餐はいつも以上に賑やかだった。
だがエルシアの心の奥には、まだ小さな影が残っていた。
数百年を越える孤独と、失われた国の記憶――
それはやがて、ディランたちの旅に深く関わっていくことになる。
その夜、焚き火を囲む子どもたちの輪の中に、エルシアの姿があった。
炎に照らされた横顔はどこか神秘的で、耳の尖りが闇の中に淡く浮かぶ。
「ねえねえ、エルシアお姉ちゃん、話して! 森のお話とか!」
「うん、怖いのじゃなくて、不思議なのがいい!」
子どもたちが口々にせがむ。
普段は物静かなエルシアだが、その瞳が焔を映すと、ふと微笑んだ。
「……では、昔々、光と闇がまだ混ざり合っていたころの話を」
子どもたちが一斉に身を乗り出す。
彼女の声は澄み渡り、どこか歌のように耳に心地よい。
⸻
「その時代、人とエルフ、獣と精霊は、まだ互いを区別していませんでした。
みな一つの大地に生まれ、一つの歌を口ずさんでいたのです。
けれど、やがて――闇が現れました。
その闇は言葉を持ち、人々の心に囁きました。
『おまえは違う、他より優れている。奪え、争え』と」
子どもたちが顔を見合わせ、不安そうに火を見つめる。
ミュナもその隣で、尾を小さく巻きながら耳を伏せていた。
「闇に囁かれた者は互いを疑い、争いました。
そして世界を覆い尽くそうとしたその時……一人の勇者が現れたのです。
勇者は、闇の声を聞きながらも、それに屈しなかった。
彼は剣ではなく、歌で人々を導きました」
エルシアの声は少し震えた。
まるで遠い記憶をなぞるかのように。
⸻
「その歌は、光を呼び、闇を眠らせました。
けれど勇者は、その代わりに自らの命を眠りに捧げ……
だから今でも、風の音に混じって、その歌は残っているのです」
語り終えると、焚き火の爆ぜる音だけが辺りを支配した。
子どもたちは息を呑み、やがて小さな声で尋ねる。
「……その勇者は、今も眠ってるの?」
「そう。けれど――」
エルシアは子どもたちを一人ずつ見渡し、柔らかく微笑んだ。
「いつか、また誰かが同じ歌を歌うでしょう。
それがあなたたちかもしれない」
子どもたちの瞳が輝き、歓声が上がった。
⸻
その様子を、少し離れた場所でディランが見ていた。
セリナは腕を組み、「ただの童話でしょ」と言いつつも耳を赤くしている。
リリアーネは静かに祈りを捧げ、クラリスは眼鏡越しにエルシアの言葉を分析していた。
「……ただの昔話じゃなさそうだな」
ディランの低いつぶやきに、隣のクラリスが頷いた。
「はい。古代の伝承の断片かもしれません。彼女の記憶には、まだ解き明かすべきものが眠っています」
焚き火の火がぱちりと弾け、夜空に火の粉が舞った。
エルシアは子どもたちに囲まれながらも、胸の奥に寂しげな影を抱えていた。
――数百年の孤独を経て、彼女は今、新しい歌を探しているのかもしれない。
翌朝、村の外れの草原。
朝露に濡れた草が足首を冷やす中、エルシアとセリナが向かい合っていた。
「ふふ、私と手合わせしたいなんて、ずいぶん度胸があるじゃない」
セリナが剣を構える。陽光を浴びて、銀の刃がきらめいた。
エルシアは古びた長剣をゆっくりと抜く。刃には精霊文字が刻まれており、淡い光を帯びている。
「私の剣は、舞い。あなたの剣は、突き破る風。……どちらが速いか、試してみましょう」
開始の合図もなく、二人は同時に地を蹴った。
エルシアの剣筋は流れるようで、まるで舞踏のようにしなやか。
対するセリナは直線的で力強い。鋭さと勢いがある。
火花が散り、金属音が草原に響く。
「な……っ、軽いのに、重い!?」
セリナは驚愕する。エルシアの一撃は華奢な体からは想像できぬほど重く、精霊の加護が剣に宿っていた。
「剣は、相手を断つためだけにあるのではありません。舞うように流し、受け止め、導くもの」
流れるように刃を滑らせ、エルシアはセリナの攻撃を受け流す。
しかしセリナも負けてはいない。
「でも、戦場で踊ってる暇なんてないわよ!」
鋭い突きが飛ぶ。
その一撃をエルシアは寸前でかわし、長剣の腹で軽く受け止めた。
二人の息が荒くなり、最後に同時に剣を引いた。
「……あなた、強い」
セリナが汗を拭いながら息をつく。
「ええ。ですがあなたも――力強さと勇気を備えている。きっと、誰かを守る剣になるでしょう」
セリナは顔を赤らめ、ぷいと横を向いた。
「……なんかズルいわね。あんたのその言い方」
その夜、村外れの焚き火。
ミュナは尻尾を丸めながら膝を抱え、夜空を見上げていた。
そこへエルシアが静かに腰を下ろす。
「眠れないのですか?」
「……はい。こうして火を見てると、昔のこと思い出しちゃって」
ミュナは盗賊に囚われ、居場所を失った日々を語る。
エルシアは黙って耳を傾け、やがて囁くように言った。
「私も、国を失いました。長い眠りから目覚めても、そこには誰もいなかった。……孤独は、刃よりも鋭い」
ミュナの耳がぴくりと動く。
「じゃあ……わたしたち、同じですね」
エルシアはそっとミュナの髪に触れた。
「ええ。だから――あなたの尻尾も、耳も、誇りに思って。あなたを縛るものではなく、あなたを彩るもの」
ミュナの瞳が潤み、火の光で揺れる。
「……そんなふうに言ってもらえたの、初めてです」
二人はしばらく黙って焚き火を見つめ、やがて肩を寄せ合って眠りについた。
翌日、村の納屋にて。
古文書を調べていたクラリスのもとに、エルシアが現れた。
「その文字……やはり古代エルフの文献ね」
クラリスが興奮気味に言う。
「はい。これは、森と契約を結ぶための歌詞。……今はもう歌える者はいないでしょう」
「信じられない。わたしが学んできた歴史書よりも正確で、生きている」
クラリスは目を輝かせ、次々と質問を浴びせる。
エルシアは微笑みながら答え、時に昔の言葉を口ずさむ。
「……やっぱり、あなたは時代の証人だわ」
「証人……いいえ。私はただ、生き延びただけの亡霊です」
その自嘲に、クラリスは静かに首を振った。
「亡霊なんかじゃない。あなたの知識は、未来に繋がる」
その言葉に、エルシアはしばし目を伏せ、やがて小さく微笑んだ。
教会の前庭。
リリアーネとエルシアは並んで祈りを捧げていた。
「……あなたの存在は、奇跡です」
リリアーネの声は震えていた。
「奇跡、ですか」
「ええ。数百年を越えてなお生きている。まるで神話そのもの。ですが……」
リリアーネは瞳を伏せる。
「人の時代に、神話の存在を連れ歩くことは、災いを招くかもしれません」
エルシアは微笑み、肩に手を置いた。
「それでも、私はここにいる。――運命に導かれたのなら、抗う必要はないのでは?」
リリアーネはその言葉に驚き、やがて穏やかに笑った。
「……あなたは強い方ですね」
夜更け、村の丘。
月明かりに照らされ、ディランとエルシアが並んで立っていた。
「……お前は、不思議だな」
「何が、ですか?」
「数百年眠っていたのに、こうして普通に飯を食って、笑って。俺たちと同じように歩いている」
ディランの言葉は淡々としていたが、エルシアの胸に温かく響いた。
「あなたが……特別扱いしないからでしょう。私は“姫”ではなく、一人の仲間として扱われている。それが、こんなに安らぎを与えるなんて」
エルシアは夜空を見上げ、静かに言った。
「もし……この先、再び闇が現れたなら。私は、あなたの隣で戦います」
ディランは黙ってうなずき、夜風が二人の間を吹き抜けていった。
少し長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございます。
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