血脈と地脈
リィナの容体が安定したのを見届け、ディランは王宮の回廊へ出た。
セリナとエルシアが待っていた。
「ようやく落ち着いたか。あたし、心配してたんだから」
セリナは腕を組み、眉を寄せる。
「封印のとき、リィナ王女……自分の血を地脈に流した。あれじゃ命を削るようなもんだよ」
エルシアは少し俯きながら答えた。
「でも、そのおかげで“飢獣”オルグラは封印できた。封印陣は生きてます」
ディランは低く呟いた。
「問題は……あの封印陣が“何を代償”に動いているか、だ。
リィナの血が媒介なら、封印が長く続くほど彼女の命を削ることになる」
「そんな……」
「だからこそ、俺たちはここを離れられない。封印と王女の血を同時に見張る必要がある」
そのとき、王の使いが現れた。
「ディラン殿、陛下がお呼びです。――“北の協定”の件で」
ディランは軽く頷き、ふたりを見た。
「セリナ、リィナを頼む。エルシアは封印陣の調整を続けろ。地脈の歪みが出たらすぐ知らせてくれ」
そう言い残し、ディランは王の間へと向かった。
ザルハン王、ガルハード三世は椅子に深く腰を掛け、重々しく口を開いた。
「ディラン殿。オルグラ封印の功績、まことに感謝しておる。しかし……血が、呼んでおるのだ」
ディランは眉をひそめる。
「血が?」
「リィナだけではない。――王族の血を持つ者たちが、夜ごと同じ夢を見る。
“闇の底で鎖を引く声”が聞こえるのだ」
「それは封印の余波ではないのか?」
ガルハードは首を振る。
「違う。わしの夢には“仮面の影”が現れた。名を、ザハリエルと名乗った」
その名に、ディランの瞳が細く光った。
ザハリエル――八魔将の一人、“仮面の魔族”。闇の策略を司る男。
封印したはずのオルグラを利用し、今度は“血の連鎖”を狙っているのか。
「……血脈を通して、何かを探っている。おそらく、次の“器”を」
「器?」
「魔王を再誕させるための“王血”。奴らは各国の王族の血を集めている。
バルゼナ、ザルハン、そして……レグナント」
ガルハードは目を閉じた。
「やはり、そうか。――“三王血の儀”。古文書に記されていた禁術……」
沈黙が、王の間を満たした。
砂の外では風が吠え、遠くで鐘が鳴る。
その音が、まるで何かの始まりを告げているようだった。
夜。
リィナは宮の裏庭で、月光を浴びながらひとり立っていた。
封印の余波で血の呪いは今も微かに疼いている。
けれど、その痛みは不思議と怖くなかった。
ディランがそっと背後に現れる。
「起きていたのか」
「眠れないの。……あの封印の時、見たの。
私の中に“誰か”が囁いた。
――“お前の血は扉だ”って」
ディランはリィナの隣に立ち、夜空を見上げた。
満月が砂の上に道を描くように光を落とす。
「お前の血が“扉”なら、俺の闇は“鍵”になるかもしれない。
だが、開くのは封印か、それとも……」
「それとも、魔王かもしれない?」
リィナが少しだけ笑った。
「なら、あなたが私を止めて。――もしこの血が、国を滅ぼすなら」
「約束する。だが、それまでに必ず解いてみせる。この呪いを」
風が吹き、砂が舞う。
その瞬間、リィナの髪が夜光を反射して、まるで金の糸のように揺れた。
ディランは目を細めた。
この静けさが、いつか嵐の前の一瞬だとしても――
今だけは、確かに美しかった。
夜明け前。
砂の海を渡る風が、低く唸りを上げた。
ザルハンの地脈は、封印後もしばらく沈黙を保っていた。だがこの数日、地の底から脈動するような不気味な魔力が感じ取れる。
封印陣の中心、漆黒の魔石を前にディランは目を閉じた。
闇の魔力を流し込み、揺らぎの本質を読み取る。
「……魔力の流れが“北”を向いている。何者かが、外部から干渉しているな」
背後でセリナが険しい顔をした。
「つまり、誰かが封印を――“使おう”としてる?」
「ああ。奴らの目的は封印の破壊じゃない。“扉”を開くことだ」
アルノルトが静かに呟く。
「“扉”……リィナ様の血が鍵なら、開くための力をどこかで集めてるのかもしれません」
そのとき、遠くから駆け足の音が響いた。
王宮の衛士が息を切らせてやってくる。
「ディラン殿! レグナント王国より、王子殿下の親書が!」
ディランは顔を上げ、封印陣から離れた
謁見の間。
使者が差し出した親書には、レオニール王子の筆跡でこう記されていた。
『王血を継ぐ者たちが次々と標的となっている。
我が国でも“血の影”が現れた。
ザハリエルの手が再び動いている。
我らは“王血の連盟”を提案する――ディラン、君の力を再び借りたい。』
ディランは書簡を閉じ、静かに息を吐いた。
「……やはり動いたか。ザハリエルめ、今度は国を繋ぐ“血”そのものを狙っている」
ガルハード王が重々しく頷いた。
「王族の血を媒介に、魔王を再誕させるつもりか。レグナントの王子は正しい。
我らはこの砂の地より、共に立たねばならぬ」
王の声が玉座の間に響く。
「アークウェルよ、我が娘リィナを連れ、レグナントへ向かえ。
同盟の証として、我が王家の血をも捧げる覚悟だ」
リィナは一瞬、目を見開いた。
「お父様……それは――」
「覚悟のうえだ。
お前の血が狙われているなら、閉じこもって守るのではなく、“契約”として晒すほうが強い」
ディランは深く頷く。
「……わかりました。リィナ王女と共に、レグナント王国へ。
ザハリエルの狙いを断ち切るために」
出立の日。
ザルハン王宮の前庭には、金の帷幕が揺れていた。
リィナは白金のヴェールをかぶり、砂の光を映す衣を纏っていた。
その横で、セリナとアルノルトが準備を整える。
「まさか他国を渡り歩くことになるとはね」
セリナが笑みを浮かべる。
「ま、行商の娘としては悪くないけど」
「油断しないで。ザハリエルは今も動いてる。私も色々考えたのだが、一度国に戻って色々説明しようと思う。我が国は任せてくれ。」
アルノルトの声は穏やかだが、瞳には鋭い光が宿っていた。
そこへ、ガルハード王が現れた。
リィナに近づき、そっとその額に手を置く。
「行け、リィナ。
砂は流れても、王の血は絶えぬ。
――お前の心が迷わぬ限り」
リィナは頷き、父の手を握る。
「必ず戻ります。ザルハンの空を再び、青くするために」
そして、ディランたちは砂上の王国を後にした。
出立の夜。
アルノルトを除く一行は砂漠を越え、夜営を張っていた。
星が砂に反射して、まるで空と地が溶け合うような景色が広がる。
焚き火の光の中、リィナが小さく口を開いた。
「ディラン……王血が狙われる理由、あなたはもう気づいているのね」
ディランは目を閉じ、短く頷く。
「王血には、魔王が地上に干渉する“座標”が刻まれている。
それを三国分、集めることで“再誕の儀”が可能になる。
奴らはリィナ、お前を――その媒介に選んだ」
「……そんな運命、受け入れない。
私は自分の血で国を救うために戦う。
たとえその血が呪われていても」
ディランは焚き火越しにその瞳を見つめた。
「その意志がある限り、運命は書き換えられる。
俺の闇が、お前の呪いを喰らい尽くす日まで――」
火の粉が風に舞い、夜空に消えた。
その小さな光が、やがて来る激動の夜明けを、静かに告げていた。




