魔物の襲撃
見ていただきありがとうございます。
新連載です。毎日できるだけ更新していきます。
是非ほかの作品にも目を通していただきたいです。
それは朝霧の中で起こった。
収穫の終わりかけた畑にいた若者三人が、顔を真っ青にして村へ駆け込んできた。足取りは乱れ、膝を擦りむき、息は荒い。
「ま、魔物だ! 森から……群れで押し寄せてきてる!」
広場に集まっていた村人たちは一斉に息を呑んだ。
畑仕事をしていた者も、家から水を汲みに出ていた者も、次々に駆け寄ってくる。
悲鳴やすすり泣きが混じり、たちまち広場は混乱に包まれた。
「またか……! 去年だって畑を荒らされたのに……!」
「うちの牛が二頭もやられたんだぞ! 次は人間かもしれねえ!」
「戦える奴なんて、ほとんどいないだろ……!」
口々に不安が広がり、逃げるべきか、籠るべきか、誰も答えを出せない。
村長でさえ額に汗を浮かべ、杖を震わせていた。
そんな中、焚き火に残った昨夜の芋を口に運んでいたディランが、もぐもぐと噛みしめてから立ち上がった。
「ふむ……じゃあ、迎え撃ちましょう」
軽い調子だった。
だがその声に、広場の空気が一瞬凍りついた。
「む、迎え撃つじゃと!? 正気か!」
「我らに兵などおらん! まともな剣すら残っておらんのじゃぞ!」
村長が取り乱し、若者たちは首を振る。
だがディランは、平然と手を払って答えた。
「戦うのは僕です。皆さんは、村を守るお手伝いをしてください」
「ば、馬鹿を言うな! お主一人でどうにかなるはずが……!」
「大丈夫です。昨日、井戸を見ましたよね?」
その一言に、村人たちの表情が一変する。
井戸の水を浄化した奇跡を、誰もが目にしたばかりだった。
恐怖と疑念の中に、かすかな期待が混ざる。
ディランは短く指示を出し始めた。
「戦える者は畑の周囲に堀を掘りましょう。敵が突っ込んできても速度を落とせます」
「子どもや女性は?」
「矢羽根を作ってください。木を削り、小石を袋に詰めるだけでもいい。投げられるものがあれば十分です」
あまりに的確で、迷いのない口調。
村人たちは最初こそ戸惑ったが、次第にその声に従って動き出した。
農夫たちは鍬やスコップを持ち、畑の縁に腰までの溝を掘る。
女たちは火打石で松明を作り、布を裂いて矢羽根を束ねる。
子どもたちは石を集め、老人は避難所の小屋に荷物を運ぶ。
汗まみれになりながらも、誰もが「何かできる」と思えた。
それは数年ぶりに感じる希望だった。
昼を過ぎても作業は続く。
陽射しは強く、森の方角からは時折低い唸り声が聞こえてきた。
若者の一人が鍬を放り出し、膝に手をついて呟く。
「……こんなことをして、本当に勝てるのか?」
隣の男が泥だらけの顔を上げ、吐き捨てる。
「勝てるわけねえだろ。だが……あの人がいれば」
二人の視線の先には、ディランがいた。
村人と同じように土をかぶりながらも、疲れを見せず淡々と土を固め、堀の強度を確かめている。
その横顔には、揺るぎのない落ち着きがあった。
「……あんた、本当に何者なんだよ」
「ただの追放者ですよ」
軽口に、若者たちは顔を見合わせ、思わず笑った。
夕暮れ。
堀と柵が村の外縁を囲い、松明が赤々と燃え始めた。
畑は戦場に姿を変え、広場では簡素な夕食が配られる。
子どもたちは不安げに母親の袖を掴み、大人たちは沈黙のまま煮込みを口に運ぶ。
重苦しい空気が漂う。
その中で、ディランが隣に座った少女に声をかけた。
十歳ほどの孤児で、去年の襲撃で父を亡くした子だ。
彼女は小さく震えながらもスプーンを握っていた。
「怖いですか?」
少女はこくりとうなずいた。
「でも……がんばる。あの井戸をきれいにしてくれた人がいるから」
その言葉に、周りの大人たちが顔を上げる。
ディランは柔らかく微笑み、答えた。
「じゃあ、明日は僕が少し本気を出すので、安心してください」
軽口に見えて、なぜか胸の奥に火をともすような響きがあった。
母親たちはそっと頷き、少年たちは目を輝かせ、娘たちは複雑な眼差しを向けた。
村は、長い絶望の中で初めて「守られる」という感覚を思い出していた。
夜半。
見張り台に立った男が、闇に目を凝らす。
森の向こうで枝が折れ、地を揺らす足音が迫ってくる。
獣のうなり声、耳を劈く咆哮。
「き、来たぞ! 魔物の群れが!」
叫びが村を震わせた。
子どもと老人は小屋に避難し、若者たちは武器を握る。
松明の炎が揺れ、夜空の星が霞む。
その中で、村の外門に立つ一人の影。
ディラン・アークレイン。
「……さて。夕飯を邪魔する不届き者たちに、少しお灸を据えてやりましょうか」
低く呟くと、彼の背に闇の魔力が渦を巻いた。
その威圧に、怯えていた村人の膝が震えるのではなく、不思議と落ち着いていく。
――自分たちは守られる。そう思えたからだ。
森の木々を揺らしながら、それは現れた。
真っ黒な体毛に覆われた狼のような魔獣。赤く濁った眼を光らせ、牙をむき出しにしながら土を蹴る。
一頭、二頭ではない。十、二十……百に届くかという数が、地響きを立てて迫ってくる。
その迫力に、見張り台の男が悲鳴をあげた。
「む、無理だ……こんな数、勝てるはずが……!」
だが村の門の前に立つディランは、ただ片手を軽く振る。
その動作だけで、夜気に渦巻く闇が彼の周囲に集まった。
「さて。まずは……数を減らしましょうか」
ディランの足元に広がるのは、見たこともない魔法陣だった。
黒銀に光る幾何学模様が土を焦がし、冷たい霧を吐き出す。
その中心で彼は片目を閉じ、詠唱を呟いた。
「《夜影の帳》」
瞬間、村の周囲を覆うように漆黒の結界が張り巡らされる。
闇は柔らかく、それでいて鋼鉄よりも固く。
魔獣たちが突進してきても、その牙も爪も結界を破ることはできなかった。
「う、動けない……! 魔物が……!」
門の上にいた若者が驚愕の声を漏らす。
確かに結界の外で暴れる魔獣たちは、まるで泥沼に足を取られたかのように動きが鈍っていた。
ディランは軽く顎に手を当てる。
「うん、効き目あり。これなら――」
次の瞬間、彼の指先から放たれたのは、細く鋭い黒の槍。
音もなく宙を駆け、群れの先頭にいた魔獣の頭蓋を貫いた。
それが合図のように、次々と槍が飛び出す。
「《漆黒の穿槍》」
矢の雨のような闇槍が夜空を切り裂き、魔獣たちを一頭また一頭と貫き倒していく。
悲鳴すら上げる間もなく屍が積み重なり、血の匂いが風に乗った。
村人たちはその光景を呆然と見つめるしかない。
数で圧倒してくる群れを、一人で、一瞬で削っていく。
これが、王都で忌避され、恐れられた闇魔法の真骨頂だった。
だが群れはまだ止まらない。
結界の隙間を縫って、小型の魔獣が数頭、柵を飛び越えて侵入してきた。
「ひっ……!」
悲鳴があがる。
すぐさま、若者たちが鍬や斧を手に立ち上がった。
「やらせるか! ここは俺たちの村だ!」
ひとりが魔獣の脇腹に斧を叩き込み、もうひとりが背後から槍を突く。
さらに子どもが集めた石を母親たちが投げつけ、獣の動きを乱す。
老人さえ杖を振りかざし、必死に魔獣を牽制した。
血と汗と泥にまみれながらも、誰も退かない。
その背後に、闇の結界で守ってくれている男がいると信じていたからだ。
群れの奥から、ひときわ巨大な影が姿を現した。
肩までの高さが三メートルを超える巨獣。
全身を骨のような甲殻に覆い、咆哮とともに結界を叩き割らんとする。
ディランの目が細くなる。
「なるほど。群れを束ねる核ですね」
巨獣が前足を振り下ろすたびに、結界にひびが走る。
村人たちの顔から血の気が引いた。
「だ、だめだ……あれは……!」
その時、ディランはゆっくりと歩み出た。
彼の背から闇が羽根のように広がり、地を這う。
「ここから先は、僕の仕事です」
彼が高らかに詠唱する。
「《奈落の顎》」
地面に裂け目が走り、黒い闇の口が広がった。
渦を巻く闇が巨獣の足を絡め取り、ずるずると引きずり込んでいく。
甲殻の巨獣は吠え、抵抗し、爪で大地を削る。
だが闇は容赦なく、頭から胴へ、胴から尾へと飲み込み――最後に耳を劈く咆哮を残して消えた。
静寂。
森に残っていた魔獣たちは、核を失った群れの習性に従い、一斉に背を向けて逃げ去っていく。
結界が解け、夜風が広場を抜けた。
村人たちは誰も言葉を発せず、ただ立ち尽くした。
やがて、一人の子どもが叫んだ。
「す、すごい……勝ったんだ!」
それを合図に、歓声が爆発した。
涙を流す者、膝から崩れ落ちる者、互いに抱き合って嗚咽する者。
絶望しかなかった村に、奇跡のような勝利が訪れたのだ。
その中心に立つディランは、肩をすくめて苦笑した。
「ちょっと魔力を使いすぎましたね。……でも、皆さんが奮闘してくれたから、僕も安心して力を出せました」
その言葉に、村人たちは一斉に頭を下げた。
感謝と敬意と畏怖が入り混じった眼差し。
追放者であるはずの彼は、この瞬間、村を救った英雄となった。
戦いの後。
村長は震える手でディランに歩み寄り、深く頭を垂れた。
「……ディラン殿。お主は、この村にとって救いの神に等しい。
もしよければ……この村を治め、導いてはくださらぬか」
その言葉に、ディランはぽかんと口を開けた。
「え、僕が……ですか?」
村人たちの目が、一斉に彼に向けられる。
恐れと敬意と、そして期待に満ちた眼差し。
ディランはしばし沈黙し、空を仰いだ。
夜空に瞬く星々の下で、彼の胸に奇妙な温かさが芽生える。
「……まあ、やることがないので。いいですよ。ここで、のんびり暮らしてみましょうか」
その瞬間、村人たちの歓声が再び広がった。
辺境の小さな村は、追放された闇魔法使いを新たな主として迎え入れることになったのだ。
読んでいただきありがとうございます。
毎日更新しています。
できればブックマーク登録してこの作品を追っていただけると嬉しいです!また、感想もいただけるととても励みになりますし、著者が喜びます。ぜひ気兼ねなくコメントいただけると嬉しいです。